第19話

「栞ちゃん、お友達連れてきてくれたん? 偉いなあ」


 私たち四人を席に案内するなり、浜梨さんはよしよしと栞の頭を撫で始めた。

 言葉を失っている私をよそに会話が進む。


「青野さんここでアルバイトしてたんだ」

「せやねん、うちの期待の新人。な、栞ちゃん」

「花さんっていうんですか。かっこいいですね!」

「照れるわー。まあ、ゆっくりしていって」


 落ち着いた店内の雰囲気に似合わず、浜梨さんは軽くて距離が近い。


 客足が止むのを見計らって、さっきーといわちゃんは浜梨さんを席に呼んだ。

 浜梨さんの佇まいに惹かれて盛り上がる二人。

 対して、隣に座る栞はそっぽを向き、私は愛想笑いをぷかぷかと浮かべることしかできなかった。


 浜梨はまなし はな。「喫茶ハマナス」マスターの一人娘。

 長身かつ細身。くっきりとした目と鼻筋の通った端正な顔立ち。

 明るいロングヘアのサイドは刈り上げられて、シルバーのピアスが指の本数より多く付けられている。

 全体的に男性的、中性的な印象。


 二十代後半の独身。きれいな女の子が好き。


「またおいでな」


 ひらひらと長い指を振る浜梨さんに見送られ店を出る。

 外はもう日が暮れていて、海の方に向かう冷たい夜風が家路につく足を急がせた。


 ハマナスのコーヒーは多分、おいしかったと思う。

 そんなことより、栞がバイトを始めていたこと、バイト先に親しい人がいること、それを知らなかったこと。

 逆流した胃酸のように頭にこびりつく。

 


 駅でさっきーといわちゃんと別れ、私は栞の家まで送っていくことにした。

 繁華街は今日も人通りが多くて落ち着かない。


「バイトしてたんだね」

「うん。まだ始めたばかりだけど」

「なんで」


 言ってくれなかったの?


「お母さんが前まであそこで働いてて。当分休むことになるんだったら、代わりに来てみないかって」

「生活が苦しいの? だったら私にも手伝わせて」

「そんなことまでしなくていい……よ。大丈夫だから」


 ぎこちない言葉とそわそわした口元は、私の知らない何かを予感させて身震いする。


 この数週間で変わった自覚はあるのか。

 本人にとっていいことなのか、悪いことなのか。

 変化の原因はアルバイトのせいなのか、もしかしたら私のせいなのか。


 そんな簡単な問いかけが、栞を相手にすると後戻りのできない綱渡りのようにたじろいでしまう。

 でも、踏み込むって決めたから……



 翌日


 学校を出て、こっそり栞の後をつけて、一本遅れたバスに乗る。

 私は昨日の今日で、またも倉庫跡地の商業施設に来ていた。


 理由はふたつ。

 一つ目は栞がアルバイトをしている姿を見るため。もう一つは浜梨という女性を調べるため。


 二階のメインストリートはクリスマス用のオブジェが飾られ、光り輝く夜の出番を待っていた。そこかしこに赤と緑の装飾、クリスマス、Christmas、Xmasの文字。

 突入するための心の準備ができず、海に面したウッドデッキで一人黄昏たそがれる。


 西日が海面に反射し、港町のウォーターフロントを橙色に染めていた。

 ロマンチックだと感じるはずの夕焼けに、逃亡犯を照らすサーチライトのような過剰な眩しさを感じる。

 友達のアルバイト先に二日連続で行くだけ。それなのに、まるで現場に戻る犯人のように緊張する。

 変に思われないだろうか。あの浜梨という店員にも、栞にも。


 カップルや学生で賑わうなか、夕焼け空に濃紺が混じる。

 かつて放課後の校庭を眺めていたときのような疎外感を覚えた。残暑の熱気が鬱陶しかったっけ。

 大きく息を吸うと、潮騒の混じった冷気が体を循環した。

 あの頃は一人だった。だけど今の私には栞という友達がいるのだ。

 


 喫茶ハマナスは施設の最奥という立地の悪さから夕日が届かない。薄暗い通路までは風変りな客しかたどり着かないのだろう。

 重い木の扉を引くと、カランコロンとドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた声で出迎えたのは、丈の短いワンピースにエプロンドレスをつけた女の子。

 派手な装飾はないけど、エプロンが下がった位置にあるせいで白黒のコントラストが胸を強調させる。

 ふわりと波うった色素の薄い髪に、白いフリルのカチューシャ。

 着せられている感じはしなくて、見世物でなくこの世界に当たり前に存在しているようかのよう。


 人の心を見透かしているほどに気だるげだった目が、私を見た途端ぱっと見開いた


「空!?」

「栞、何そのメイド服」

「これは、特に理由とかなくて」


 目を丸めて固まる栞と、それを見た私もまた固まってしまう。

 違和感を察して、もう一人の店員がよってくる。


「昨日の子やん。また来てくれたん、いらっしゃい」


 後から来た浜梨はまなしさんは、昨日と同じく白のシャツとデニムパンツに店名が書かれた緑のエプロン。

 なんでやねん。

 なんで栞にだけこんな格好をさせているの。


 あわあわとたじろぐ私たちを見かねて、浜梨さんが席に案内する。

 二人用のテーブルについた私の前で、栞はきまずそうに立ち尽くした。


「……」

「栞ちゃん、せっかくお友達が来てくれたんやから一緒に休憩してええよ」

「夏目空です! 栞のクラスメイトで、友達です!」


 自分でも無意識に飛び出した自己紹介。栞のことを知る彼女に自分の存在を強調させたかった。

 最後の「です!」の勢いに浜梨さんは苦笑する。


「花さんでええよ、マスターの親父とごっちゃになるからな。よろしく」


 親指でさされたカウンターの奥にはひげを蓄えた中年の男性がいた。

 ふむと、花さんは顎に手を当てて何やら考え込んだ。

 そして、を取り持つように慌てて接客する。


「ああっと、今日もええ天気でしたねえ。ご注文は?」


 いい天気。その言葉は最近の栞の、毎朝の決まり文句でもあった。


 コーヒー豆の香りに混じって、かすかにタバコのにおいがする。

 浅くても確かに存在する手のシワが、社会人として働いている花さんと学生をしている私との差を知らしめているようだった。


 正面に座る栞と目が合う。彼女はまたも慌てて顔を逸らした。

 ノーメイクでも白く滑らかな肌に、二重の目。誰がどう見てもきれいでかわいい。友達としてとても誇らしい。


 店内には常連とおぼしき中高年の客が数名だけ。流れるジャズミュージックとともに静かな時間を刻んでいた。

 そんな彼らに接客する栞の姿を想像する。

 愛想はよくないだろうけど、嫌でも露出した腕と太ももに目が向いてしまう。


「少々お待ちくださいね」

「花さん!」


 思わず呼びとめる。

 ただでさえ美人で、そのうえ媚びるような服を着て。

 メイド服姿の栞が不特定の客の目に触れる。いや、じろじろと見つめられる様子を想像すると……なんか、めっちゃ嫌だ。


 文字通り手に汗を握る。


「あの! 栞にこんな服を着せるの、やめてもらえませんか」


 女子高生のクレーマー。

 彼女のことになると突拍子がなくなるのは、きっと私の悪い癖だ。

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