第22話


「寄り道なんてしなくていい。早く空の家に行こう」


 顔がほてる。

 もちろんいい。

 手を繋いでイルミネーションを見ながら歩く。なんて甘々なシチュエーションなんだろう。

 しおりがそう言うなら、今日はわざわざクリスマスツリーまで行かなくたって構わない。


 肌が触れることへの高鳴りは、私が彼女を普通の友達としては見ていないことを示唆し……「わっ!」


「急にどうしたの!」

「いいから」


 彼女の右手が私の左手を取った。

 するすると指が絡めとられていく。

 お互いの指が全部絡まり、摩擦のない肌から彼女の熱を感じとったのも束の間。


「栞さん。栞さん!?」


 ぐいと、無理やり体ごと引っ張られる。

 右腕に抱き着く格好になって、ふわりとした彼女の長い髪が鼻をくすぐった。

 もたれかかってもびくともしない。

 芯があるのに柔らかな、女の子の体。


「つかまってて」

「ふぁい」

「足、痛いんでしょ」


 冬の空気よりも透き通った声。

 その言葉が皮切りとなり、サポーターの巻かれた右膝が思い出したように悲鳴をあげた。

 結構痛い。いや、かなり痛い。ロウソクのように熱く熔けて、すぐに力が入らなくなる。

 もし栞に掴まっていなければその場で崩れ落ちていた。


「……なんで分かったの」

「さっきから引きずってた」

「自分では気づかなかったよ。急いでたから」

「そんなことあるの」


 呆れたような笑みに見惚みとれてしまう。きっと私は栞にからかわれるのが好きだ。



 歩道に沿って植えられた木にイルミネーションライトが巻かれている。

 季節が移り枝の青葉は枯れた。代わりに人口の灯りが白く輝く。


 高校最初の夏休みに怪我で陸上部から離れた。歩けるようになっても、当たり前にやるべきだと思っていた部活動や人付き合いを放り出して、ただ一人の転校生を追いかけている。


 最初に会った日は、怪我で落ちこんだ私を正面から抱きしめてくれた。

 ホームルームを抜け出した日は、ほっそりとした背中で負ぶってくれた。

 寝坊したうえ自業自得で足を痛めた今だって、私は彼女に縋っている。体も、心も。


「重くない? 大丈夫?」

「平気」

「ほんとに? 一人でもいいって言って、平気じゃなかったのは誰だよう」


 そっぽを向く彼女を逃さないよう、組んだ腕にぎゅっと密着する。

 私の胸はあってないようなものだから押し付けても情緒がない。

 背も私の方が高くて、頭をかしげると肩の上に乗ってしまう。

 なにより私が足を引きずっているから、はたから見るとデートというより介護じゃん。

 かっこつかないなあ。


 誤魔化すように「誰だ誰だ」と小突いてみる。

 当の彼女はどこ吹く風と顔色を変えない。

 意識されてないみたいで、ちょっと悔しい。


「助けてとは言ってない。けど、空がいなかったら死んでたかも」

「何それ。じゃあ私だって、栞のおかげで生きてることにする」


 クリスマスにあてられて、栞に肩を寄せる行為が、彼女に語り掛ける自分の声が、撫でるように甘くなっているのが分かる。


「空、今日は頑張るから」

「そんなに力まなくて大丈夫だよ。でもそう言ってくれるなら、頑張ってエスコートしてもらおうかな」


 栞も多分、人付き合いは不器用な方だ。気持ちを言葉で表すことが少ない。

 心配するときも怒るときも先に行動で示してくる。

 何を考えているか分からないことも多い。

 だけど私はそんな彼女に惹かれて、なんとか理解して、心から笑わせたいと思っている。


「来年は私が栞をツリーに連れてくね」

「ん」


 組んだ腕から伝わる温もりは、真冬の夜風に晒されてもむしろ増していく。

 もっと感じたくて頭を擦りつける。彼女はそれを拒まなかった。とても自然で、涼やかで、いい感じ。



 しかし、うちの玄関をくぐった途端、彼女の挙動はおかしくなる。


「ただいま。友達つれてきたよ」

「こ、こん、こんばんは!」


 いつの間にか栞は、まるで兵隊のように姿勢を正して目を見開いていた。

 最近学校でよく見るヒビが入った氷のような顔。本人曰く笑っているという口端くちはは、釣った小魚のようにぴくぴくと震えている。


「おかえりなさい。久しぶりね栞ちゃん、覚えてる?」


 包み込むような母の笑み。

 べへべへと言葉なく返す栞に、妹はナメクジを見るような目を向けていた。


うみも、あいさつして」

「はいはい、夏目なつめ海です、どーも」

「こら」


 妹の頭を小突く。うざいと、塩を撒くように手を払われた。


青野あおの栞です。本日は、よろしくお願いしまう、す。これ、お土産」


 栞はおずおずとバッグから紙袋を取り出した。それを母ではなく妹に渡すあたり、相当視野が狭くなっている。


「栞、緊張してるの?」

「別にしてない……よ!」


 さすがに嘘。私でも分かる。

 ようやく尻尾がつかめた。栞がヘンになったワケ。

 緊張。

 ずっと緊張していたんだ。

 あとは、栞がこうなるのはどんなときだっけ……


 そんな思考を夕食の芳ばしい香りがかき消す。

 仕事終わりの父も気配を消して席についていた。栞と目が合うと「いらっしゃい」と穏やかに告げる。


 いつもは三人の食卓が、今日は栞と父を加えて五人になる。

 栞は他人の家だけでなく大人数にも慣れていないんだろうなと、ただ立ち尽くしている姿を見て思った。


 妹を上座に追いやり、普段使っていない椅子を持ってきて栞を私の隣に座らせる。

 妹は栞を警戒しながらご馳走に目を輝かせるという器用なことをやっていた。



「青野さんすごくモテそうですね。彼氏ぐらいいますよね。そらねえじゃなくてその人といればいいのに」


 人懐っこかったはずの妹が栞には態度が悪い。小悪党のような皮肉を吐く。


「彼氏は、いないです」

「そら姉と仲いいんですね」

「空は」


 そら、という言葉に妹が眉をひそめた。チキンを食べる手が止まる。


「空は、一番の友達、です。海さんも空のこと、好きですか?」

「まあ、それなりに」


 栞はひとつひとつ石を積むように言葉を選んでいる。


「海さんは、空のどこが好きですか」

「どこって言われても」

「海さんと、空は、昔から仲がいいんですか。二人とも、どんな子どもでしたか。休みの日は何をして過ごしていますか。好きな食べ物は何ですか。どこの小学校ですか」


 矢継ぎ早に責め立てる栞に妹が圧倒される。

 生意気な妹にもっと言ってやれと心の中で応援する。


「小学生じゃなくて中学生なんですけど!」

「海さんもかわいいから、モテそう……やね! クリスマスに放っておくなんて、ひどい話やな」


 私からも「かわいいかわいい」と追い打ちをかける。

 妹はふんと鼻を鳴らしたあと、「クリスマスは家族で過ごす派なの!」とそっぽを向いた。

 苦笑する母と父を見た栞は、ぞぞぞと私の方を向いて罪悪感を露わにする。

 喫茶店で聞き覚えのある方言は置いておいて、とりあえず「グッジョブ」と親指を突き出しておいた。

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ワケあり転校生と本気出して付き合ってみた れも @lemo_cola

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