翼より金と名誉が欲しかった。
「買取でよろしいでしょうか?」
「……あぁ…はい魔石の買い取りで」
「かしこまりました。それではこちらの方へお願いします」
魔石が仕舞われたポーチのチャックを握る右手が震えていた。小刻みにカチャカチャとなるチャックとファスナーを彼女に見られてないか、それを確認するため顔を彼女の方に戻す勇気は鯉川にはなかった。
すぐさまファスナーを開き、キャッシュカードと魔石を取り出した彼は、とっさに彼女の顔を確認する。やはりいつもの客に見せる微笑みがあった。だが震える手を見られていないか心配していた彼は、いまはむしろ、そのいつも通りの彼女の姿にどこか安心感を覚えていた。
内心一息つきながら落ち着いた鯉川は、その中身が外に出した瞬間に彼女にバレぬよう、握る手の甲を彼女の方に向けながらすっと魔石を置いた。
そしてその瞬間、彼はすぐに佐々木ゆりなの顔に視線を向ける。
彼女の瞳は――大きくみひらいていた。
トパーズのように美しく、大きな瞳。
あっと軽く口が開き、彼女の口の中が見えた。
そしてそのまますぐに閉じた彼女の口元は、先程の堅苦しいものとは違い、柔らかく、より深い微笑みを浮かべているように鯉川には、見えた。
「それでは査定のため一旦預からせていただきます」
しかし続くまたいつも通りの接客対応。
ほんの一瞬だけ満足感と幸福に満たされた心内も、静かに見つめる佐々木ゆりなの背中が、自分から離れていくたびに熱を失っていく。
まだ……足りない。
鯉川は無表情――平常心を装いながらもその内心は苦虫を噛み潰したかの如くであった。
「お待たせしました。買取金額は81600円になります」
カウンターの奥にある鑑定室から戻ってきた佐々木から、彼は先程渡したキャッシュカードを受け取った。
そして彼はいつも通り振り向きざまに軽い会釈をして、ギルドを後にしようとして自動ドアに手をかざした時だった。
鯉川とすれ違いざまにギルドに入ってきた男は、彼の存在にいちべつもせず、迷いもなく一直線に受付の方へ向かっていく。
嫌な予感を抱きつつ、一目散に振り向いた鯉川の視線の先にはあの男が、二枚目が佐々木ゆりなの前に立っていた。
鯉川は体中の血管が一瞬だけ締め付けられるような気がした。
その男のカウンターの前にはいくつもの紫色の魔石、低級ポーション、宝飾された銀の短剣――三階層以降で取れる多くの高価で、需要溢れる迷宮産アイテムの数々が並べられていた。
いま男はそれを売ろうとしているのだ。
そしてそれを目の前のカウンターで業務していた佐々木ゆりなという受付嬢が、たまたま業務を担当しているだけに過ぎない。
普通の、なんのおかしくもない、見慣れた、当たり前の光景。
ただ、それだけのことである。
ただ、それだけのことなのだが――。
「わぁ!すごいですね大和さん!まだ冒険者になって半月ほどなのに…」
「いやぁマジ組んだパーティーのおかげっすwガチでみんな強すぎだし、ガチおこぼれみたいな感じでww」
「初めての方みんなそうですよ。それでもこんなにたくさん良質な魔石にポーション、これは…魔道具?まで…本当にお買取りしてもよろしいんですか?報告書への記載さえしていただければ魔道具やポーションなんかは所持できますが」
「まぁ短剣はメインじゃないんでっ」
「でもポーションなんかは低級でも買うとなれば高価ですよ?今はパーティーの皆さんのおかげで安定して戦えてると思いますけど、不測の事態に備えないと……死んじゃいますよ?せっかく期待のルーキーなんですから」
「まぁ佐々木さんがそこまで言うならぁ?」
「ふふっ…ギルドとしてはこうやって下層に潜って需要の高いアイテムを取って来てくれる人は貴重なんです、しっかりしてくださいね?」
「じゃあ佐々木さんと言う通り、ポーション抜きで」
「ふふっ…はい、じゃあ査定の方になりますけど――」
「――お待たせしました。47万6000円になります」
どうして、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろうか。
どうして自分に見せたあの笑顔を、いやそれ以上に嬉しそうな笑顔を、なぜそう簡単にほかの男にも見せれるのだろうか。よりにもよってあのデクノ棒なんぞに。
開いたままの自動ドアの前で鯉川は黙って見つめていた。
その二枚目の大きな背中の向こうには、きっと彼女の笑顔があるのだろう。
しかしそれを見ているのは鯉川ではなく別の男であった。
なんども言う通り、ごく普通の、親しみある接客対応である。
彼女も二枚目も、なにかおかしなことも間違っていることもしていない。
しかしそれを見つめる鯉川は、まるで自分だけの大切なナニかを横からかすめ取られ、独占されているかのような、それでいてその大切な存在に裏切られたかのような、そんな被害妄想的な錯覚にさえ陥っていた。
その日、男は迷宮の三階層に潜ることを決めた。
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