第9話 口無し予備軍注意報が発令されました。

冒険者になって二日目。時刻は午後14時を回ったころ。鯉川はまたダンジョンの中へと足を踏み入れた。迷宮の廊下を歩きながら、鯉川は先日と通路の構造が変わっていることに気が付いた。


やはり訓練所で聞いていた通り、迷宮とは入りなおすたびにスタート位置がランダムに変わるらしい。それも調査の結果、単にスタート地点が変わるだけではなく、迷宮の空間自体が、必ず以前に入ったものとは異なっていることが分かっている。


なぜ迷宮がこのような他空間構造になっているのか、どのようにして必ず位置が変わるのかはいまだに判明できていないが、このダンジョンの構造により、基本的に自分以外の冒険者と接触する可能性は限りなく少ない。


これにより他の冒険者からの救援が見込めないため、単独による探索は命取りになる事が多い。しかし冒険者のようなモンスターと命のやり取りをするような職につく者たちの中には、変わり者や集団行動を苦手とする一匹狼も多く、そのために、この8年間で出た202000人以上の冒険者の死亡、または行方不明の約5割はパーティーを組まない単騎冒険者となっている。


これを回避するには肉体的な接触を維持しながら同時にダンジョンの狭間に侵入する事が必要であった。ただこれにも制限があり、一度に侵入できる人数の条件は最大でも6人までとなっている。またトラップが発生する3階層からは一つの階層を突破するのにも一週間以上かかる場合もあり、このような長期探索を考えれば単純な戦闘員だけでは探索を続けることはできない。


そのため探索のセオリーは、最低でも一人か二人は荷物持ちを入れるようになっていた。また強力なモンスターや、パーティーとの相性が悪いモンスターが現れた際に、複数パーティーによる戦闘も不可能であることから、迷宮は冒険者側に非常に不利な構図になっている。


そのため、いずれは不運な4割の死者に入るおそれのあるこの男は、トラップの無い2階層までを探索の範囲内と決めていた。それも基本的には2階層にも行かない予定であった。男には訓練所の恩師から受けた「己を知り、敵を知れる」という言葉を座右の銘にしていたのだ。


その恩師は人と関わる事が苦手な自分にも分け隔てなく接してくれる教官であったが、自分が卒業するちょうど2か月前、1年生の女子生徒にマッサージと称して胸を触ったことで退職する羽目になった。もっとも言葉に罪はない。彼はその言葉通り自分という存在をよく知っていた。


だから単騎の初心者でありながら、複数の敵と同時に戦うような自殺行為をする気はさらさらなかった。比較的弱いモンスターが出る2階層まででも、もし複数で襲われた場合、今の実力や装備では対処する事は難しいと判断したためだ。また傷を負った場合、奥地まで入り込めば、ダンジョンを脱出する前に出血によって死亡するか、十中八九モンスターと手負いの状態で戦う羽目になり死ぬことになるだろう。


だからそのような状況にならぬよう、すぐに迷宮の外に脱出できるために1階層の――それも入り口から体感で100メートル圏内で戦う作戦で彼はいた。いわゆる「低層ループ」と呼ばれるこの作戦は低リスク低リターン。そのため初心者や一部の中堅からは「臆病者」として馬鹿にされる行為であり、ダンジョン産アイテムを欲する全国の企業の圧力をつね日頃から受け続ける冒険者ギルドとしても、内心としてはレアなアイテムドロップ率の高い三階層以降での冒険を熱望しており、生産性を上げるため低層ループを続ける冒険者はあまり好まれてはいない。


だが組合の都合も、周りからの評価も関係ないボッチ童貞の男は、通路の曲がり角や背後――死角からの奇襲に注意しながら、入り口から体感で100メートル圏内を行ったり来たりしていた。




そしてこの作戦こそが彼の人生の分岐点となったのだった。




今思えば、戦闘が始まる前から感情的になっていた先日と違い、二度目の今回は彼は冷静さを維持しつつ慎重にうす暗い石畳の通路を歩いて行く。



すると通路の曲がり角の先からなにやら声がした。

脚を止め、よく耳をすませばどこか聞きなれた声である。



やはりゴブリンか……数は一つ。



敵の存在と数を把握した彼は、剣を引き抜くと、柄を逆手に取って軽く壁にたたきつけた。



「gyahua?」




すると曲がり角の向こう側に居るはずのゴブリンの鳴き声が聞こえた。多少の警戒心を含んだ声、しかし自分の存在に気付いている様子はない。一度人間と接触したことのあるモンスターの中には、人間の特徴――物音や足音、臭いを覚えている個体もいる。そのためすぐに襲ってこなかったことを見るに、おそらくはダンジョンから生成されたばかりの新個体なのだろう。このような個体は戦闘経験もなく、前者のモンスターと違って難易度も一段下がっている。しかしあの反射神経と、鋭い爪に牙、ワニにも劣らない咬合力であれば、初期装備、それもレベル上昇もスキルもない生身の人間であれば簡単に殺すことが出来る。


そうこうしている内に、ゴブリンの足音はすでに曲がり角の三歩先ほど。これ以上は近づかれると自分の存在に気づかれる可能性があった。ゴブリンの嗅覚は狭く、遠くを判別することはできない。しかしその分近くであれば微かな臭いでも嗅ぎ分けられることを講義中に聞いた覚えがった。最善を期すならば敵に攻撃手段を取らせずに、一気に殺す必要がある。



そう判断した瞬間――壁に背中を預ける様に待ち構えていた彼は、いきなりうねるように体を反転し、左足を踏み込んで飛び上がり、ゴブリンの前に姿を現す。そして間髪入れずに彼は左手で標準を合わせながら両刃の剣を突き刺さした。



「ggobae⁉」



ゴブリンは瞬時にして心臓を貫かれ、えぐられる。その激痛により生まれた混乱と恐怖から、ゴブリンは体を硬直させ血反吐を吐きだした。自身の戦闘服にゴブリンの吐物が降りかかるも、その隙を逃すわけもない彼は、すぐさまゴブリンの胴体に脚をかけ、力任せに食い込んだ剣を引き抜いた。


勢いのまま地面に倒れたゴブリンは、鼓動がかすかに動くたびに、噴水のように血漿を吹き出ていく。


しかし彼はモンスターの生命力を知っていた。最弱とうたわれるようなゴブリンであっても、100発近い弾丸を撃ち込まれてようやく死んだ個体も発見されている。確実に殺すためには的確に急所を狙い、破壊する必要があった。


彼は地べたに伏して、ピクピクと痙攣するゴブリンの胴体を踏みつけて地べたに固定すると、今だ腕を上げて足をつかもうとするゴブリンの反撃を許さず、そのまま両手で構えた剣を細い首元に振りかぶった。


大量の血が一気に噴き出して自身の下半身を汚していく。


もうすでに嗅ぎ慣れていた――あの記憶を引き起こす――臭いに彼はやはり、ヘルメットの中でしかめたような顔をした。


しかし先日と違い、彼は恐ろしいほどに冷静である。ただ黙ってゴブリンの方を見つめながら、刺した両刃の剣を横にずらして動脈を完全に切断する。次第にゴブリンの息は浅くなり、瞳が灰色へと変色していくのが見えた。


そして昨日と同じように、ゴブリンの亡骸は地面へと吸収されて行く。




「簡単にレベルは上がらんか…」




つまんだ黄色い小さな魔石をポケットしまった彼は、また迷宮の通路を歩き出した。


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