一回ぐらいやっちゃいなよ、夢も希望もないんだから。


収納――と声に出そうとして鯉川は口を閉ざした。いくらなんでも危な過ぎる。鯉川は一つだけ輝く星を見つめながらそう思った。空気、つまりは空であるが、空とは宇宙でないか。自分は無意識のうちに空の範囲をこの地球の大気圏だけだと思っていたが、今自分が見ているこの空とは、何十億光年先の宇宙なのだ。現にあの大きな恒星の光を見ているのだから。そして魔素は宇宙空間からこの地球へ降り注いでいる。では何億光年先の広大な宇宙空間にある魔素が一瞬で消失したらどうなるであろう。魔素とは物質だ。気体ではないが、素粒子と同じぐらい目に見えないほどの、小さな塵のようなものらしい。だが宇宙空間に漂う膨大な魔素を収納したらどうなる?下手をしたら、太陽の何千倍もの質量がいきなり消失する可能性だってあるのだ。そう、可能性である。だがそれが正しかったら…それによる太陽系…地球への影響はどうなる?分からない。分からないからこそ危険すぎる……いや、まて、どうだ?コップとガラスの実験では透明な物質が重なり合っている場合は、自分の意識次第でどちらも自由に収納が可能だった。ならこの地球の大気圏と宇宙空間を切り分けて収納することも可能かもしれない。それに、まずそもそもの話し、このアイテム収納のスキルがそんな膨大な量の物質を収納できるかも分かっていないではないか。これもただの杞憂……いややっぱり危険か?分かっていないものを分かったように断定するのはダメだ。スキルが収納できる限界量が分かっていない以上、無限に収納できることも想定しなくてはならない。それに魔素が透明な物質かもまだ分かっていないではないか。目に見えない程小さな物質なだけで、透明かは別の話しだ。大気圏とその他の宇宙空間を分離して見ることが可能であっても、魔素がそうとは限らない。


どうしたものだろうか。すでに部屋に戻っていた彼は、窓から夜空を眺めながら物思いにふけっていた。アイデア自体は良いと思ったが、出来るかどうか試すにしては危険すぎる賭けだ。ミスれば最悪人類滅亡。自分の借金返済のために、そんな恐ろしいことが出来る神経は持ち合わせていない。


だがやはり借金は返さなくては。なによりポーションの密売など下手したら終身刑になるかもしれない。鯉川はあの詐欺師まがいの医者との関係を早く断ち切りたかった。やはりそのような怪しい人間関係や借金を持っていると、異性との付き合いや結婚にマイナスになると考えていたからだ。つまりこの男は、まだ連絡先も交換してないのにもかかわらず、佐々木ゆりなとの結婚生活に思いを馳せていたのである。


アイテム収納による太陽系への危険性に気づく思量の十分の一でも使えれば、今の自分が如何に非現実的で、おかしなことを考えている男が分かっただろうが、やはりこの男は佐々木ゆりなが絡むと客観性を失ってしまうようである。


だがやはり佐々木ゆりなを除けば、男は冴えていた。そうだ、下からだと空が見えてしまうのであれば、高いビルの上から町を見渡せばいいのであると。そうして次の日に鯉川は同じアパートの一階に住む大家に、自身が居た部屋の鍵と今月分の家賃を渡すと、家主の静止も無視してアパートを後にした。

そして鯉川はスマホで近くの不動産屋を検索すると、そこに足を運ぶ。世田谷区のダンジョンの近くで一番大きいマンションに住みたい…部屋は出来るだけ高い階層で。椅子に座ってそうそう切り出した鯉川に、アドバイザーはパソコンで検索しながら鯉川の要望に沿った物件を探していく。実はここ最近、新規冒険者の入居やそれを見越した商業施設の参入も増えてまして、それで地価が高騰してるんですよ。そんな世間話を語りながらも、アドバイザーはパソコンの画面をこちらに向けた。


一件だけですがありました。世田谷ダンジョンから徒歩十分。最上階の31階で屋上付きです。家賃は月50万ほどですが、家具付きで頭金はリーズナブルに100万円ほどとなっております…。アドバイザーはそう鯉川の身なりを見つめながらだんだん声が小さくなっていく。


だが鯉川は百万ならここにあると、すぐにポケットからなにかを取り出すふりをしながら、誰にも聞こえない程の微かな小声でスキルを発動した。確認させていただきます。アドバイザーはテーブルの上に置かれた紙袋の中身を取り出し、札束を確認すると、マネーカウンターで枚数を数えていく。


100万円きっちり確認が取れましたので、頭金の方は返却させていただきます。アドバイザーが頭を下げ封筒をこちらに渡そうとしたところを、鯉川は静止した。いえ、大丈夫です。この物件にするので、カギと契約書をください。


内見の方は…よろしいので?アドバイザーは困惑しながらも、黙ってうなずいた鯉川を見て微笑みを浮かべながら頭を下げた。内心、仕事が減ったと思っているに違いない。そんな下らない妄想を抱きながら、鯉川はアドバイザーに渡された契約書に必要事項とサインを書いていった。


ここが新しい家か…わるくない……いやすごくいい。

全体の広さはおおよそ100平米の2ldkで、小さなプールがある屋上付きだ。家具も傷汚れ一つなく、まるで職人が一つ一つ手作業で造り上げたような感じだ。実際はどうか鯉川が知ることはないが、とにかくそんな感じがするのだ。触ったベットの感触もなんだか高級感に溢れてる。冒険者候補生の時の合宿で泊まったホテルのベットみたいであった。全く酷い感想であるが、外食にすら満足に行けなかった貧しい一庶民の鯉川には、ほぼ初めての体験であり、この感動を表現する言葉を持ち合わせていなかったのである。

だが人間という生き物は慣れていくものだ。寝室に入って数分もすれば、どうればいいのか分からずたじろいていた鯉川も、やっと我が物顔でベットに寝転がった。ベットがへこまない様に、やけに静かで気を使った寝転がり方であったが、雑な男のことだ、ジャンプして尻からダイブする日も近いだろう。


これなら前のアパートから持ってきた家具は必要ないか…取り出したところでこの素晴らしい調和のとれた空間に傷がつくだけだ。さてと…。ベットで寝っ転がりながら一息ついた鯉川は、窓を開けてバルコニーに立つと、そこに取り付けられた屋上へと続く階段を登っていく。


ここから南には世田谷ダンジョンがあるはずだが、周りの商業ビルに阻まれその姿は確認できない。鯉川は屋上のフェンスを握りながら、絶対に空が視界に入らないよう若干下を向きながら、ダンジョン周辺を見つめるとスキルを発動した。


「収納」


その呟きとほぼ同じタイミングで手前に吸い込まれるように風が吹いた。

百メートル近い商業ビル群と高級住宅街。そこを取り囲む、目に見えないが確実に存在する空気。そしてその空気中に漂う魔素。鯉川はそれを視界にとらえていた。


そして今度は振り返って水が抜かれたプールの底を見つめると、鯉川は収納した魔素を”結晶の形でイメージする。もし空気中に散らばった状態の魔素を収納できたとして、そのまま放出しては意味がない。取り出した魔素の結晶化。鯉川は可能だと踏んでいた。塩水の実験では目視可能な、砂粒ほどの大きさの塩が、水に溶ける、つまり目視できない程バラバラになっていたのにも関わらず、収納して放出した時には水に溶かす前の大きさになっていた。もしかしたら無意識のうちに溶かす前の塩の形をイメージしていたからではないか。もしそれが正しければ……。


「……放出」


そこに現れたのはちょうどダンジョンで見た宝箱と同じ大きさの、巨大な魔石の結晶であった。

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インキャラ・ダンジョンズ☆~スキル【アイテム収納】をゲットした俺は認識革命で目の前の【タンパク質】を収納しゴブリンを分解する~ Green Power @katouzyunsan

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