第6話 チキチキ・ボーボー
「――日本の出生率が2.2人に上昇しました。今月の12日、子供庁は定例記者会見にて、先月の出生率が2.2人に上昇したと発表しました――えー…我が国の出生率ですが…今月までに2.2人、ついに2人以上を突破いたしました。えー出生率自体はですね、一昨年の冬ごろに記録した0.97人を境目にですね、えー毎月上昇していたわけでありますが、去年の1.9人から一時的な横這いを挟みまして、えー先月に入って2.2人に急上昇いたしました――日本の出生率が2人以上を記録したのは1974年を最後に、なんと98年ぶりとのことであり、子供庁は政府の立場として、加藤内閣による経済政策と治安維持による社会の安定化が好転要因になったと、自らの政策をアピールしました。次のニュースです――中華共和国が不法占領する沖縄県沖にて、日本の海上保安船と中国の武装海警が武力衝突しました。同様の事件は今年に入って9件起こっており、政府は度重なる中国からの挑発行為に怒りをあらわにしました。続いてのニュースです。大阪市生野区のお寺にて、仏像が盗まれたという――」
ニュースキャスターの淡々とした声を片耳で聞きながら、鯉川は受付を視野の左隅に捉えつつ、横に置かれた観葉植物を焦点の合わない目でぼーっと見つめていた。この技なのか、癖なのか、少なくとも本人は技だと思っているものは、小学校での初恋相手に、ばれない様に本人を見つめるために編み出したものである。そんな無意識にやってしまう癖を、彼は22歳になっても直せないでいた。
「はい!ありがとうございます!それでは冒険者候補生卒業認定証とマイナンバーカード、請求権放棄同意書はございますか?はい!ありがとうございます!それでは冒険者カードを発行いたしますので、あちらの待合席でお待ちください!」
隣に男が座った。
顔は鼻筋が通ったアスリート系の二枚目。背丈は自分より上だった。少なくとも172cmよりは上である。にも関わらずその胸筋と腕の分厚さは、自分よりあるかに上回っていた。世間知らずな鯉川でも分かる、通りを歩けば周りの女が全員振り返るような見た目をしていた。
そんな男はどうやら見るに、鯉川と同じ22歳。今年になって冒険者候補生を卒業した同期のようであった。
しかしいくら人付き合いが苦手だった自分とはいえ、こんな男が同じ訓練所に居れば顔と名前ぐらいは憶えていたはずだと鯉川は思った。だから別の訓練所出身なのかもしれない。このギルドセンターの近くであれば世田谷訓練所だろうか……と。
だからなんだと理性では分かっても、受付の女の眼を輝かせるほどの笑顔が、自然にできるこの男の素性を、彼は考えずにはいられなかった。
ちなみに新東京市にはダンジョンは7つ、冒険者訓練所が12か所存在する。そして鯉川が訓練所を卒業する前の去年度に開かれた、体力テストの一環である関東地区訓練生大会では、鯉川は7000位中698位であった。
これに何の意味があるのかというと、4年間の訓練で4回とも訓練生大会の成績が上位10パーセントよりも上であった者は、初年度からの給与が14万円にもなるからである。
近年の平均年収が180万であることを考えると、初任給で14万円はかなりデカイのだ。また特別公務員である冒険者の給与は10万か14万の固定給を除いて出来高制である。
そして鯉川の給与明細にも来月の7日から143000円の数字が記入されているのだ。だから隣に座った二枚目の男が自分と同じ特級候補生であるか、彼は観葉植物の右側にある、壁に張られた掲示板の小さな文字を眺めながら、視界の片隅で二枚目が持つ卒業認定書をとらえた。
二枚目の卒業認定書には………一般候補生と書かれていた。所詮は見世物の、使えない筋肉のようだ。鯉川は一瞬だけ安堵し、無意識に止まっていた息を吐き出した。そして鯉川は男には見えぬよう、反対の左頬をクイッと上げた。なお彼は所得税というものを知らない。
……俺は14万円。そしてもうすでにゴブリンを殺している。それも普通はパーティーを組んで行う初戦闘を一人で。しかしこの右に座る顔だけデクノ棒は一般人ビギナーときている。
なんならこいつの初冒険につきやってもいいかもしれん。体育成績はギリ上位10パーセントだったが、種目別の剣術戦闘で俺は「A+1」だったのだ。初めての本格的な戦闘、それもたった一人でゴブリン討伐を可能とした自分であれば、タッグがデクノ棒でも問題はない。
たった一日だが先輩は先輩だ。この使えない後輩の面倒をみる先輩を演出できれば……できればきっと……そんなことを考えながらも、とうの二枚目に対して「自分も初心者なんだが、是非よかったら一緒にダンジョンに潜らないか」とも声をかけられないのが鯉川であった。
そんな風に鯉川がもんもんとしていると、二枚目は聞きなれた呼び声に反応して立ち上がり、受付から冒険者カードを貰ってどこか外に出ていってしまう。
「次の方!どうぞー!」
落胆し、軽く肩を落とす鯉川の近くで、聞きなれない、顔も見たこともない女の声が聞こえた。しかし鯉川は席を立たなかった。すると別の誰かが立ち上がり、顔も知らない受付の方へと向かっていく。
昨日殺したゴブリンの小さな小さな魔石を、汗ばんだ両手で握りしめながら、男は勇気を振り絞れずに、ただ黙って、焦点の合わない眼で観葉植物を見つめていた。
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