獲った烏の皮算用

医者から渡された借金の契約書にサインをした翌日、渡された上級ポーションを飲んで無事に退院できた彼は、アパートの布団で寝っ転がりながら天井を見つめていた。

うす暗いクリーム色の天井を眺めながら、鯉川は物思いにふけていく。


今日を持って正式に自分は2000万円の借金を背負った。冒険者学校での奨学金を含めると2400万円を超す。はっきり言って返せるわけがない。可能性があるとすればこの【アイテム収納】だろうか。


このスキル自体はこの冒険者界隈の中では非常に有名であった。

だがこのスキルを獲得した者は、日本に限らず世界でだれ一人もいない。もっともその存在をスキル保持者や国家が隠しているだけかもしれないが、世間の間では存在しているのかすら未知数であった。そしてそれはこれからも続くだろう。

少なくとも、このスキルの内容をまだ理解できていない鯉川は、自身のこのスキルを世間に公表する気はさらさらなかった。体を動かすことばかりで、無学だった鯉川でも、少し考えればこのスキルの有能性は理解できる。

一番最初に思い浮かぶのは高位冒険者の荷物運び。

冒険者はダンジョンの性質上一度に入れるのは6人まで。当然、食糧やサバイバルアイテムなどだけではなく、せっかく手に入れた迷宮産アイテムを全て地上に持ってこれるのは物理的に不可能だ。他にも二日以上の探索を想定するとなると仮眠も必要になってくるだろうが、ダンジョンの床は、一定期間移動しない無機物や、死体を吸収する性質をもっている。そのためテントを張る事も難しい。大体は吸着パット付きハンモックを壁に取り付けるなどをしなくてはならないが、大きくかさばるため、全員分を用意することは難しい。もしそれをするとなれば台車かなにかを荷物運びにひかせるしかないが、重労働なうえに、もし凶悪なモンスターから撤退を強いられるときには、結局持ってきた物品の全てを放棄せざるを得ない。

アイテム収納のスキルが有ればその障害をすべて取り除き、より快適に、より安全に、より早く、より深く迷宮に潜る事が出来る。そうなれば人類未踏の11階層の突破も夢ではない。だがこれは自身のスキルの存在を世間にバラスことになってしまう。現状は彼にとってあり得ない選択しだ。

ではほかにあるとすれば民間の物流だ。このスキルがどれほどの質量を収納できるのかは分からないが、仮にトラック一台分でも物を運べるとなれば、このスキルだけで生計は立てていける。大阪から東京まではリニアによって1時間ほどで移動が可能だ。これを利用すれば一人で5台分以上の物流を担う事になる。もし仮に小さな運送会社並みの売り上げを独り占めできたならば、2400万円など簡単に返済できるかもしれない。もっとも現実はそんな簡単な話ではなかった。奨学金ならともかく、医者から借りた2000万円は現金では返済できない。返すのならポーションでだけだ。これが医者に金を借りるうえで承諾したもう一つの条件である。そしてその金利は20%。医者はこれでも良心的な方だと言っていたが、税金や経済の話しに疎い鯉川にはこれが本当かどうか、サインをした時点では分からなかった。先程思い出したようにスマホで調べてみた彼は、自分の無知にひどく後悔した。ポーションなど完全に運任せ。30回潜って一回でも出たらいい方だ。最悪この金利分だけを払うだけで冒険者人生を終える可能性がある。


彼は小さく息を吸い、大げさに鼻から息を吐いた。


とにかく、なにをするにしたって、まずはこのアイテム収納について調べなくてならない。今の自分が知っている情報は目で見た生物以外の物質を自由に収納、放出できるということだけだ。


「……アイテム収納」


彼は寝っ転がりながら、首だけを上げると、ちゃぶ台の上に乗せられていたコップを見つめながら小さく呟いた。やはりあの時のオークのハンマーと同様に、まるで最初からそこに無かったかのように、コップは一瞬で消失する。


「放出」


そしてもとあった場所にコップをまた取り出すと、彼はなにげなく体を起こしてコップを見つめた。


ちゃぶ台に置かれたコップのすぐ隣には、コップの縁と同じ大きさの水滴が浮かんでいた。これは先程、自分がコップを収納する前にあった水滴だ。

おかしい、と彼は思った。彼はコップを放出する際、収納する前と同じ場所に出したつもりであった。だが実際は放出されたコップの位置はもとあった場所からコップ半分ほどずれていた。もしかしたら放出する物質の位置は、焦点が合っている場所ではないか。上げた首の位置も体の位置も動いていない。頭の中ではもとあった場所を見ていると認識していても、無意識のうちに見ている場所が少しだけずれていたのかもしれない。彼はその真偽を確かめるため、目を瞑りながらコップを収納しようと呟いた。


「収納」


だが目を開けてみるとコップは収納されることはない。

今度は収納とつぶやく前に一瞬だけ瞬きをした。

するとコップは消えていなかった。


スキルを完全に唱える前に少しでも目を瞑る――つまり目で見るという動作を止めるとスキルは発動しないようだ。これは何気に重要な情報であった。

もしあの時のオークのように武器もちのモンスターとの戦闘時に、この事を知らなければ不意を突かれていたかもしれない。


今度は瞬きをせずに普通に収納する。そして今度は左の玄関先の方を振り向くと、玄関の床に敷かれたマットの上に放出した。


その後はまた収納すると、玄関の方を見ながらちゃぶ台の上にコップを放出しようとした。だがやはりちゃぶ台の前にコップは存在しなかった。その後はコップを一度玄関の前の床に取り出すと、今度はちゃぶ台の方を見ながら、玄関に置いたコップを収納しようとする。だがこれもダメだった。

スキルを発動する前に玄関にコップがあることは一度見ているし、ちゃぶ台の方を振り向きながらも頭の中では玄関にコップがあると認識していても、スキルは発動しない。「目で見た」というのはスキルの発動時に目で見ていることを指しているようだ。


それを知った彼の中にはまた次の疑問が浮かんでくる。

彼は取り出した透明のコップに水を注いだ。

そしてスキルを発動しようとして止める。この位置からだと上からコップの中に水が入っていることが見えてしまう。彼は遠くの冷蔵庫の上に水の入ったコップを置くと、スキルを発動した。


そして冷蔵庫の方に近づくとコップの中身を確認する。

コップの中は空っぽであった。

彼は身長にコップの真ん中に焦点を合わせると水を放出する。すると一滴もこぼれずに水をコップの中に取り出すことが出来た。


そして彼は思い立ったかのようにコップの中に入っていた水を半分捨てると、先程板ちゃぶ台の隣に座りなおし、またスキルを発動した。すると今度はコップが消失し、水風船が破裂した時のように、一瞬だけ形を維持していた水が、形を崩しながら冷蔵庫の上に弾けた。


それを見届けた彼は水が床に滴り落ちるのも無視して、今度はベランダの窓を開けると、外にコップを置いて窓を閉めた。

そしてスキルを発動する。


コップが消えた。


彼の鼓動は少しだけ早くなっていく。

今度はコップに水を入れてベランダの外に置く。

一回目は水を収納し、放出する。

二回目はコップだけを収納した。


なるほど、やはり透明の物質が重なり合っている場合は、認識次第でどちらでも収納・放出できるようだ。


そしてさらに彼は頭に浮かんでいく疑問を確かめていく。

今度は水の入ったコップに塩を溶かしていく。

そして彼はコップを見つめる。正確にはコップの中にある水――その中に溶けた塩を見つめた。ふつうに考えて塩は水に溶けて見えていない。だがこれは過ちだ。

塩は水に溶けただけで消失したわけではない。彼が見ているコップの水の中には確実に存在している。自分には確実に見えているのだ。ただ溶けてしまって見えていないと頭が認識しているだけだ。見えるという現象は物質に反射した光が網膜を通り、目の神経を通じて脳に伝達し、像として認識することをさす。だがこのスキルの中では単純に頭の中で”塩は見えていない”と認識することと、目で見るという動作は別の概念であることは先程の実験で分かっている。自分がいま頭の中で塩が見えていないと認識している――逆に塩は見えると認識していなくても、自分の目と脳は、確実に水に溶けた塩を網膜を通して見ている。


「収納……放出」


彼は右手に現れた塩を見つめて、とっさに握りこぶしを作った。

そしてその瞬間、彼の脳に電撃が走った。

それが可能であれば……。

彼はすぐに冷蔵庫から鶏肉を取り出した。

そして彼はスキルを発動する。

そして……鶏肉は水分を残して消失した。


彼は喉から漏れそうな声を何とか飲み込んだ。


彼はすぐに玄関の方に向かい、靴底を踏みながら外に出た。

階段の踊り場から見えた電柱には、そこから伸びる電線の上にカラスが数匹止まっていた。


カラスと目が合う。

住宅街に鳴り響く鳴き声と共にカラスが羽ばたいた。


「収納」




カラスは……水と骨だけを残して消失した。



玄関の扉を静かに閉めた彼は笑っていた。

笑いながら、酷い興奮のせいで大人げもなく膝と手のひらが微かにふるえていた。


ダンジョンに潜ろう。

この力が有ればきっと……。


2000万円の借金など頭の片隅にも存在していなかった。

彼の頭の中にあるのは”佐々木ゆりな”、ただ一人だけだった。



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