明日がある♪明日がある♪明日があるさ♪


灰色と桃色の斑点。

この天井にはどこか見覚えがあった。

どこだったか、思い出せそうで思い出せない。


彼が天井の記憶を探していると、隣で何か音が聞こえた。

内心驚いて、咄嗟に首を横にずらすと見知らぬ若い看護師が居た。


若い看護師は彼の様態を確認するとすぐに耳元のワイヤレスイヤホンにつけられたマイクのボタンを押した。


「先生、205の患者さんが目を覚ましましたので、すぐに来てください」


「あの…」


「すみません…すぐに先生がお見えになりますので少々お待ちになってください…それでは失礼します」


彼は何かを感じ取ったのか、看護師に声をかけようとした。しかしその看護師は彼の言葉を遮るように、そそくさと部屋を後にした。


頭を下げながら病室の扉を閉めた看護師を見届けた後、また首を元に戻すと天井を見つめた。それ以外にやることはない。テレビのリモコンは近くの花台にはなく、運悪くベットから離れたテレビスタンドの上に置かれていた。


何も出来ず、ただ淡々と記憶の旅に出ること数分――重たい足音が次第に大きくなっていくのとほぼ同時に、病室の扉が開かれた。


「すみませんね遅れて、ちょっと忙しくて」


男は肩で息を切らしながら、ベットの横に置かれた椅子に座った。


「時間がないので単刀直入に言いますけど、左肩関節付近の筋組織全体が壊死しちゃってるので、最悪左肩は切断しないといけません」


「切断……」


医者の言葉に鯉川の上半身が咄嗟に起き上った。だがそれと同時に脇腹と肩の周りに酷い激痛が突き刺さる。


「ああ、無理に動かさないで、今ギブスで固定してるだけだから……受け入れられないのは分かります……きみ新人さんでしょ?搬送されてきた時の装備も支給品だったし。ほぼ毎日あなたみたいな人たち相手してるけど、半分ぐらいは手術受けないで退院しちゃいますよ。お金がないからって。冒険者はお金借りるの難しいからね……でさ、話ちょっと変わるんだけど……今ね、運よく上級ポーション入ってんの…単価2000万もしたんだけどさ……どう?やる?条件飲んでくれたらお金は病院が貸してあげるけど」


「……条件」


「そうそう。あのさ、最近ポーションの価格上がってるの知ってる?ポーションってさ中級の物だと、ウイルス以外の感染症も完璧に直せるのよ。下級でも発症を遅らせることできるし……それもスポイト一滴程度で。中級ポーション一本で大体500人に使えるんだけどね、最近は梅毒とか性病が増えててさ、たまにDウイルス劇症肝炎の患者さんも運ばれてくるから…でも冒険者ギルド省はポーションの流通規制してるし、病院にたどり着くころには何個もの仲介業者挟むし、うちの所私立なんだけど、他の病院も欲しいから競売みたいにどんどん値段上がってくんだよ……だからさ、ポーションゲットしたらそのままこっちに流してくんない?もちろん弾むよ?」


「…………いくらですか」


「上級1000万、中級200万、下級50万……どう?これなら君はギルドに売るより高く売れて、私は安く買える。そうなれば手ごろなお値段で多くの患者を救える」


「……分かりました…やります」


「良かった、じゃあこれ契約書ね…あっそうだ、最後に言い忘れてたけどもう一つ条件があるんだけど…………」



鯉川は医者に渡された契約書にサインをした。

誰も居なくなった静かな部屋の中で、彼は瞳を閉じる。

セミの鳴き声はいつの間にか聞こえなくなっていた。


きっと、窓の向こうから見える木の根元には多くのセミの亡骸が落ちていることだろう。彼らに明日はやってこない。自分とそのセミたち、いったい何が違うのだろうか。自分も本当は同じ運命をたどるはずだったのだ。今こうして生き恥をさらせているのもただ運が良かったに過ぎない。


「なにをそんな急いでんだ……」


鯉川の問いに答える彼らは、もう誰もいない。



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