第4話 ちょっと前のお話し

2072年8月某日。


ある男は百メートルは超す高層ビルの間を歩いていた。先の特殊紛争――正式名称は世界同時多発的特殊紛争により荒廃した東京も復興を遂げ、あの当時とは見る影もないほど発展を続けていた。




特殊紛争後の政治的混乱により分裂した日本の統一、それに前後して暫定自治政府として自衛隊と米軍の協力関係の下に成功した特殊生物征討作戦。




つづく旧皇族の復帰による消滅した皇室の再建、行き場を失った1000万人の国内難民に対する大規模な仮設住居の建設と、公共事業の拡大による仕事の提供。




他にも詳細は秘密とされていた特殊会計の公開・一般会計への併合など、これにより政治家や官僚によって横流しにされていた2兆円と既に崩壊状態に陥っていた年金の停止によって浮いた5兆円の財源により行われた「保護者を失った子供等への支援法」が実施され、本来であれば死ぬはずだった多くの命が助かった――それもこれも当時から続く加藤総理のお蔭だと、極右政治団体の日本親衛隊の党首にして新生日本帝国の初代総理大臣の手腕によるものだ。テレビを付ければどの番組もニュースキャスターが似たようなことをオウム返しかのように繰り返し喋っている。




しかしその建ち並ぶビルの陰に隠れて、ゴミのような生活を続ける老人や、半グレ少年団の存在には誰も気づかない。いや、見て見ぬフリをしているのだ。多くの未来ある若者を救うためには老人を見捨てるほかなかった。限られた財源では全ての子供たちは救えない、ならどこかで切り捨てるほかない。




そうして社会から排斥された老人と、見捨てられた子供達は生きるために罪を犯す。そして先程の支援法と同時に制定された「新治安維持法」により組織された憲兵隊の被害者となったのだ。しかし誰も彼らに手を差し伸べない、この犠牲の上に今が成り立っているからだ。幾ら鉄とコンクリートの塊であの地獄を覆い隠そうとも、先の特殊紛争で産まれた経済損失2000兆円は一般庶民の生活を未だ圧迫し続けている。誰もだれかを救える余裕など存在しないのだ。




当然それはこの大発展を遂げていくビルの合間を突き進むこの男も同じであった。




摂氏46度の炎天下の中、男は額に大粒の汗を垂らしながら、仏頂面で、しかし目に強い力を宿しながら目の前の木造建築を見つめる。




「やっとだ…やっと……」




そう男は小さく呟いた。そしてそれに続くある言葉を吐こうとしたところで男の口は閉じる。その言葉は今言うべきものではなかったし、それよりも早く目の前の建物に入りたかったからだ。




「冒険者登録をしたい」




室内に入って男は二の一番にそう答えた。カウンターの受付嬢は一瞬キョトンとしたものの、直ぐに顔を元に戻して手続きに入る。




「畏まりましたー。それでは必要書類をご確認させてください」




そう答える受付嬢の微笑みに、男は一瞬だけ押し黙った。


しかし直ぐに我に返ったのか、腰につけたポーチからシワくちゃになった必要書類を受付嬢の前に放り投げる。




「これでいいはずだ」




その男の雑多な対応に受付嬢は苦笑いを浮かべながら書類を受け取ると、必要な記載に漏れがないか確認をしていく。国直営の冒険者ギルドに就職して早2年。未だ不慣れな事は多けれど、日を追うごとに増える新規冒険者の数のお蔭で、初年度から在籍している彼女の手つきは慣れたものであった。




「冒険者候補生卒業認定証と…マイナンバーカードに請求権放棄同意書…はい!特に問題はありません。それでしたら一応ですが犯罪歴の有無を調べる必要がありますので、マイナンバーカードはお借りしますね?」




「あぁ」




そう男の返事もよそに、受付嬢は男の必要書類とマイナンバーカードを手にしてスタスタと奥へ走って行く。そして数分後、少し息を吐きながら受付嬢は戻って来た。




「はい!これで問題ありません!同時に冒険者カードを発行いたしましたので…どうぞ!」




「あぁ…」




「では安全で快適な冒険者ライフを!!」




そう満面の笑みでお辞儀をする受付嬢を後にし、男は無言でギルドを後にした。


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