二歩進んで四歩下がったら急ぎ足で七歩進めばいい①


真っ暗な部屋の中で瞳を閉じた瞬間、スマホに通知が届く音が聞こえた。

勝手に明るくなったスマホの画面にはダンジョン・タイムズの速報が流れていた。


ダンジョン・タイムズとは日本暫定政府の旧臨時首都静岡府に本社を置いたソーシャルメディアである。

もともとはSNS上で冒険者専用の情報共有やパーティー編成を行う場として会員型掲示板を運営していたが、民間人も閲覧可能なダンジョン関連に特化したニュース記事も扱っている会社である。



『ダンジョンニュース速報!!』

ダンジョン知的生命体説へ一歩前進か⁉

これまでとんでも論として扱われていた「ダンジョン知的生命体説」

だがそれにメスを入れた論文が今週、日本の学会で発表された。

大阪府東区にある大阪工科大学に在籍する魔法化学準教授、鈴木源太氏は先週に

「ダンジョン周辺における空気中の魔素変化量」という論文を発表した。ダンジョンが世界に出現してから、人類が使えるようになったスキルの中に”魔力感知”というスキルが存在する。スキル保持者の内、1万人に一人という希少性の高いスキルだが、世界各地の魔力感知保持者から「ダンジョン周辺の魔素が非常に薄い」という報告がなされている。そのため鈴木准教授は大学の研究院生と共同で、ミスリル鉱石を利用した魔力受信機を製作。その魔力受信機によって迷宮周辺の空気中の魔素を検知したところ、迷宮から1km以上離れた街の中心地と比べて、迷宮から周辺の半径100メートル内の魔素濃度は4分の1程度の薄さであることが判明した。また1か月に及ぶ調査の結果、冒険者が多く潜入する朝の11~13時と午後の17時~21時までの期間では迷宮周辺の魔力の濃度は更に薄くなることが判明した。またその濃度は冒険者の入りが少ない14時~16時の間と比べると半分以下、また冒険者の潜入が禁止されている24~10時までの時間の4分の1以下であることが判明した。

この研究結果から鈴木源太准教授は「以前から言われている迷宮が魔素を外に放出した結果、地球上で魔素が現れたというのであれば迷宮周辺の魔素は寧ろ濃くなるはずだ」と推察をのべ、同時に「近年は魔素からエネルギーを取り出して発電する技術も生まれている。無尽蔵に現れるモンスターがどこから生まれてきているのかを考えると、迷宮が侵入者の多いタイミングで、エネルギー源となる魔素を周囲から多く吸収しているのではないか」と持論を展開。また今後は外国の魔力感知保持者やNASA、JAXA、JAMSTECなどと協力して迷宮内での調査だけでなく、宇宙空間や深海での調査もしてみたいと展望を明らかにした。


長ったらしい記事を流しながら読み終えた彼はスマホを放り捨てるように床においた。もしこの記事の内容の通りダンジョンが生命体であり、侵入者を撃退するために外から魔力を吸収しているのであれば、日中関係なく冒険者による波状攻撃を続ければ、いずれ魔力の枯渇よりダンジョンを殺すこともできるのでないか――そんな考えがふと頭の中をよぎるうちに鯉川はいつのまにか寝てしまっていた。




迷宮の三階層――それはまさに死体製造地帯といっても過言ではない。その理由はいくつかあるが、一番大きいのは人間とモンスターの間に急激な身体能力の差が広がるからである。


まずレベルというものは個人差が有れど総じて簡単に上がるモノではない。迷宮が生まれて10年ほどの年月のなかで――対象者の人種やモンスターのレベル、種類にもよるが――最初のレベルが上がるのにおおよそ100体から300体以上のモンスターを討伐しなければならないことが判明している。


仮に運よく数百体のモンスターを倒せたとしても、一回の敗北も許されないのだ。なぜなら、深い迷宮の中で一回でもモンスターからの傷を負えば、ポーションがない場合は出血によりほぼ100%死亡するからである。単騎の冒険者ならほぼ確殺。パーティーを組んでいても、モンスターの攻撃をしのぎ続けながら負傷者を守り、出口にたどり着くのは難しい。そのためその傷の大きさによってはパーティー全体の安全を考慮して見捨てられることが多い。


またポーションは供給が非常に少ないわりに、外貨獲得を目的としたダンジョン産アイテムの流通規制緩和策によって、ポーションの価格はうなぎ登りになっている。いちようポーションにおいては冒険者が優先的に購入できるようにはなっているが、数に限りがあるためいつでも入手できる代物ではない。またポーションと言ってもピンからキリまでで、一番入手しやすく安い低級ポーションは浅い傷を治す程度であり、モンスターから受けるような傷に対して有効的とは言いにくい。ほかにも中枢神経系をのぞくすべての器官を再生する事が出来る上級ポーションとなれば、流通の少なさや既得権益を守りたい日本医師会からの介入もあって一瓶1000万円以上はくだらない。


また戦いが不利になり撤退しようにも、広大で入り組んだ地形に――特に3階層以降の通路の全長は100から200kmほどであることがドローンによる測量で判明している――複数の罠を解除しながら、敵の追撃をかわし続け迷宮の出口にたどり着くなど不可能に等しい。


このような条件下においてレベルを上げ続けれる冒険者は非常に少ない。たいていの場合はレベルが一回も上がらずに死亡、または負傷して冒険者を引退するか、レベルが上がっても一回の小さなミスで傷を負い、先程と同じ結果になるのがほとんどである。


そのため8年前のアジア大戦のさなか全国で行われたダンジョン開拓計画による40万人の犠牲者をのぞけば、これまで候補生を卒業した20万人以上の冒険者のうちの半数以上が死亡または行方不明となっており、そのうちの6割以上が3階層以降で死亡または行方不明となっていた。


そして次の要因は今しがた言及した”罠”の存在だ。この罠の恐ろしい所は、特定のスキルを持ち合わせていないと罠の存在にすら気が付かないということだ。ご丁寧に罠の近くの石畳がズレていたり、色が違ったり、なにかを踏んだ感触でもあればいいのだが、たいていの罠は穴すらない壁からいきなり魔法や矢が飛んで来たり、落とし穴が発生する場合がほとんどである。いちよう罠が発生するポイントを踏まなければ罠が作動することはないが、それは”探索”というスキルがないと判別は非常に難しい。だがスキルというのはスクロールというアイテムを入手する必要があり、そのスクロールの入手は上級ポーション以上に難しいと言われている。またそのスクロールでどのようなスキルを入手できるかは完全なランダムであり、これまで各国が公表している情報によれば400種以上のスキルがあることが分かっている。そのなかで運よく探索のスキルを獲得できる者は非常に少ない。


そのため3階層以降を潜る冒険者の多くはBB弾を発射するドローンを使いながら罠を発動させることで解除している。また中には索敵専門の超小型ドローンも冒険者ギルドには売られており、これらを併用しながら進むのが3階層以降のセオリーとなっている。


「ありがとうございました~またのご利用お待ちしております」


名前も知らない女の声を背中で聞き流しながら、鯉川は冒険者ギルドの販売所をあとにした。解除ドローンが税込みで13万円。小型索敵ドローンが税込み10万円。


彼が2週間で稼いだ貯金はあっという間になくなってしまった。もっともバッテリーの容量的に長時間の仕様はできないため、使うタイミングは考えなくてはならないが、それでもこれは3階層で死なないための最低限の必要経費だ。


他にカメラや罠の解除機能だけでなく、散弾銃やライフルなどで武装された汎用型ドローンに、小型自爆ドローンなども売られている。だがこの汎用型ドローンに関しては200万円以上するうえに、弾の消費額もBB弾とは比べ物にもならない。


それに小型自爆ドローンは一発限りのしろものなのに40万円もするため、今の自分では買うことも有効に活用する事も不可能であると判断した――販売所の隣には死亡率の高い冒険者に数少なく融資してくれる、国営の冒険者銀行の支店があるが――鯉川は買うことをいったん保留にした。


時刻は13時21分。昼食を食べ終えた冒険者たちが迷宮の狭間を多い囲む防壁の中にぞろぞろと入り込んでいく。彼も前を歩く二人組のパーティーと同様に自分の顔が載せられた冒険者カードを検問所の係員に見せた。カードを確認した係員は彼のウエストポーチの中身を物色していく。


「はい、では大丈夫ですよ」


係員に会釈をして壁の中に入った彼の前には、先程の二人組が口を歪めながら列の奥の方を見つめていた。


「うわ…あれやばくね?」

「うやガチやん…」


二人組が見つめる方向、そこには白衣と白色のヘルメットを着た職員たちが壁の出口の方へと担架を運んでいた。その担架には青いビニール袋がかぶせられている。よく見れば担架の縁から垂れた人の右腕は紫色に腫上り、血がしたたり落ちていた。鯉川が冒険者になって2週間、その中で既に当たり前となってしまった光景に二人組の青年たちは今だ慣れていない様子であった。二人の装備も自分と同じ冒険者候補生卒業後にギルドから配られる初期装備であった。


鯉川はほかの大勢の冒険者同様に、過ぎ去っていく担架からすぐに視線を前に戻した。いま感傷的になる必要はない。モンスターを殺す。いや絶対に生き残る。今自分がすべきことはただそれだけだ。彼はこれまであってきたゴブリンの動きを思い出す。その多くは不意打ちによる一撃で葬ってきた。そうでなくとも戦いが不利になるようであれば機転を利かせてすぐに逃げのびた。彼にとって戦うことは目的じゃない。レベルを上げることも二の次だ。なによりもモンスターを殺すこと。そして日々の生活の糧とすること、生き残ることだ。ではなぜ自分は迷宮の3階層へと潜ろうとしているのか――くだらない、くだらない。自分が諦めれば済む話だ――そう自分に言い聞かせながらも、鯉川はまたダンジョンへ足を踏み入れた。



迷宮に入った彼は通路を眺める。目測で二十メートルさきに左へと続く曲がり角が見えた。曲がり角の手前には光源になるようなものはない。そのため彼は左側の壁を伝いながら足音を立てぬようにゆっくりと歩いていく。


もし敵が廊下の右側の、それも曲がり角の入口近くにいた場合、自分も右側にいると視界の角度的にバレる可能性がある。また左側にいても自分のすぐ後ろに光源があると影で存在を知られてしまうこともある。


これはネットニュースに載っていたことであったか、彼自身もそのミスによって何回かゴブリンの奇襲にあったことがある。やはり長時間の潜入となると集中力の消耗によりケアレルミスが増える。これまで多くの冒険者がこういった小さなミスと自分の能力の過信によって死亡しているのだ。


鯉川としても、同じ失敗を繰り返すきはさらさらないのだが、どこか彼の足踏みはいつも以上に乱雑で焦っているように見えた。



濡れた足で地面を踏む音が遠くから聞こえた。

音と音の間隔は一定で、遠くなったり近づいたりを繰り返している。これまでの経験と事前情報のお陰でゴブリンがこちらの存在に気づいていないと判断した彼は、いつも通り壁を軽く叩いて音を鳴らした。


返ってくるのはいつもどおりの気の抜けた鳴き声。ポップしたての人間を知らないコブリンだ。敵が曲がり角付近まで近づいてきたところで、彼は飛び出して、ゴブリンとの視線が合うよりも早く心臓に狙いを定めた。



……これで7個目。



小さな黄色い魔石をポケットに入れた彼は、スマホを取り出す。

時刻は14時を少し過ぎたころ。そして彼が今しがた開いた、歩行距離を教えてくれるアプリの画面には2kmと表示されていた。



まだ半分も進んでないか……。



低層ループを止めたいま、一回でもミスを冒して傷を負えば十中八九死ぬという恐怖のなかで、彼はこれまでに消耗した体力と集中力を考えたとき、どこかげんなりする思いであった。しかしそのように悲観的に考えることこそが、迷宮の思う壺であると自分に言い聞かせて、彼は無理やり自分を鼓舞していく。

冷静な彼であればこの時点で探索をやめて帰還していただろう。だが彼の頭のなかは、大和なる男の大きな背中を追うことだけに囚われていた。



それから4時間が経過したころ。軽食と排泄のために何回かの小休憩を挟みながら迷宮を突き進んでいった彼は、不意にスマホを覗いた。画面に映る9kmの文字に彼はどこか安堵したため息を吐く。まだ探索は終わっていないのにもかかわらず、彼の強張っていた肩の筋肉も少しだけほぐれたきがした。


だかその緩みも、右へと続く通路を曲がった先にあった行き止まりの壁――その手前に鎮座するソレを目にした途端に消え失せることになる。


縁は金細工で装飾され、大きさはキャリーボックスほどの木製の箱。

いわゆる宝箱であった。




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