第5話「ひとつ屋根の下」


「って、出口が崖なことを忘れてた……」


 魔女を連れた旅は、開始わずか五分で立ち往生する羽目になった。

 俺があの場所に入ったのは崖の中腹にぽっかりと空いた穴からだ。

 山道のルートに戻るには、崖を登るか降りるかしなければならない。


 登るには足がかりとなる場所が少なすぎる。

 降りるにしては断崖絶壁が過ぎる。

 そして、ロープ替わりになるものはない。


「参ったな」


 ポリポリと頭を掻く俺。

 その横でリーフが自分の胸を、ぽよん、と叩いた。


「私に任せてください」

「任せるって、何を――をを!?」


 ひょい。

 そんな擬音がぴったりなくらいの手軽さで、リーフが俺を持ち上げた。

 まるで中身のない鞄を持ち上げたような軽々とした動作だ。


「上か下。どっちが行き先に近いですか?」

「ええと……上」

「では、上に飛びますね」

「おおぅ!?」


 リーフが、ぐん、と足を曲げ、文字通り飛んだ。

 風の魔法でも使っているのかというほどの脚力で切り立った崖を、たった一足でジャンプしてみせたのだ。


「!? 待て待て、魔物、魔物だ!」


 着地地点である山の上に、先客がいた。

 置き去りになっていた俺の旅行鞄を、熊の魔物が漁っている。

 中にはいくつかの保存食が入っており、その匂いに釣られたのだろう。

 なんて間の悪さだ……!


「大丈夫ですよ――えい!」


 リーフは着地と同時に、熊の魔物を蹴り飛ばした。

 体重数百キロの巨体を誇る魔物が、まるでぬいぐるみのように木々を薙ぎ倒して何十メートルも向こうに吹っ飛んでいく。


「さ、行きましょう」

「……ウソだろ」


 あまりの出鱈目な強さに、俺は口をあんぐりと開けることしかできなかった。



 ▼


 魔女は、その性質にちなんだ二つ名を与えられる。


 〝種子〟

 〝文学〟

 〝征戦〟

 〝隠遁〟

 〝理〟


 リーフの二つ名である〝種子〟

 その能力は、生物が持つ生命力に直接働きかけることができるというものだ。


 例えば、生命力を強化して傷を癒す。

 例えば、生命力を増強して身体能力を強化する。

 例えば、生命力を分け与えて老いた身体を若返らせる。


 リーフの並外れた身体能力は、彼女の力の一端でしかない。


「他の魔女と面識はあるのか?」

「何人かは知っていますよ――と」


 暗がりから飛び掛かってきた兎の魔物の突進を受け、リーフがよろめく。

 魔物相手に不覚を取ったのはこれで三回目だ。

 俺への護衛は完璧なのに、自分の防御に関してはとことん疎い。


「もう。お話の邪魔をしないでください」


 リーフは眉を潜めながら、魔物の耳を掴んで放り投げた。

 びたん! と痛そうな音を立てて木にぶつかり、兎はそれきり動かなくなった。


「えっと、他の魔女のお話でしたね」

「何事もなく話を再開してるが、大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。私、何しても死にませんから」


 生命力を操作するリーフは、ありとあらゆる攻撃が効かないらしい。

 俗に言う、不老不死というやつだ。


 剣で首を斬っても、

 槍で心臓を突いても、

 魔法で身体を焼いても、


 数秒後には治癒してしまう。


「死ななくても少しは防御するなりしてくれ。心臓に悪い」

「あはは。善処します。それで、お話の続きなんですけど、何度か封印が解かれたことがあって――」


 話を聞きながら、リーフの横顔をちらりと見やる。


 不老不死で、規格外の治癒術が使えて、他人を若返らせることもできる。

 さらに言うなら、強くて可愛い。

 ……そりゃ、権力者が放っておくはずないよな。


 俺は、彼女が封印された理由をなんとなく察した。



 ▼


「冒険者さんに魔獣を押し付けられたんですか」

「ああ。腹の傷はその時にやられたんだ――と、着いたぞ」

「わぁ、村ですね!」


 軽い雑談を交わしながら歩くこと数時間。

 俺達は、目的地である村に辿り着いた。

 これほど気が緩んだ状態で旧エルフの森の中を進んだのは初めてだ。


 熊。狼。猿。

 どんな魔物が出てきても、リーフはパンチ一発で倒してしまう。


 頼もしい限りだが……その代わり、力が強すぎて周辺の木々まで巻き添えになるのは困り物だ。


「護衛ありがとな。疲れてるだろ? 今日は早めに休もう」

「はーい」



 ▼


 場所を移し、小さな宿の中で俺はリーフに問いかけた。


「なあ、本当に良かったのか?」

「何がですか?」


 小さな机と椅子、そして固いベッドが一つだけ。

 寝泊まり専用と言ってもいい簡易的な宿だ。

 ここは元々、俺が予約していた部屋。

 リーフ用に新たな部屋を取ろうとしたが、生憎今日は他の客で満室になっていた。


「こんなおっさんと同室でいいのか? 夜になると狼になるかもしれないぞ?」


 そんな気は毛頭ないが、俺は自分の理性をあまり信用していない。

 何かの拍子にタガが外れる可能性だって大いにある。

 俺がリーフをどうこうできるとは思わないが、未遂であっても関係は壊れてしまうだろう。


 なので自衛を促すが、リーフは警戒心ゼロの表情で小首を傾げた。


「エルバさん、狼に変身できるんですか?」

「いや、ええと……比喩、なんだが」


 冗談を本気で返され、逆に俺がしどろもどろになってしまった。


「何がダメなんですか? 私はエルバさんと同じ部屋がいいです」

「……あーもう、君がいいならそれでいい」

「?」


 おっさんで良かった。

 あと十年若かったら、今の台詞だけで勘違いしてしまうところだ。


「ところでエルバさん、あなたのお腹を刺した冒険者さんはいましたか?」


 リーフは建付けの悪い窓を開き、外を眺めた。

 現地の村人に混ざって、俺のような旅行者の姿もポツポツと見える。


「いや。すぐにここを発ったらしい」


 この村を通りはしたが、旅の支度を整えてすぐに出て行った、とのことだ。

 あいつら、かなり慌てている様子だったらしい。

 俺がこの村に魔獣を押し付ける可能性を考慮していたんだろう。


「そうなんですか…… 残 念 です」


 リーフの声は、いつも通り心地良く耳を通り抜けた。

 少しだけ肌寒い風が頬を撫で、俺はぶるりと身体を震わせた。

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