第4話「魔女は絵が見たい」

 〝魔女〟

 それはこの世界を破滅に導こうとした者へ与えられる一種の称号のようなものだ。


 現在、歴史に名を残している魔女たちは五人。

 リーフはその中の一人――〝種子の魔女〟らしい。

 こんな可愛らしい少女が魔女だって?


「いやいや、そんなはずは……」


 にわかには信じられないが、前後の状況を加味すると現実味はある。

 魔獣をぶっ飛ばしたこと。

 俺の傷が癒えていること。

 魔女ならば、その程度のことは造作もないだろう。


 改めて、俺はリーフをまじまじと見やる。


「……」


 鮮やかな緑色の髪と瞳。髪には黒いカチューシャを付けている。

 くりくりとした目は見るものすべてに興味を持つ好奇の光を称えていた。

 目鼻立ちはすっきりとしていて、健康的な肌色にはくすみ一つない。

 黒を基調とした大きめのサイズのローブには、ところどころに金の刺繍が施されている。

 その下に着ているのは動きやすそうな白いワンピース。ひらひらしないよう、首には赤いリボンと腰にコルセットを巻いて固定している。

 履いているのは歩きやすそうなロングブーツ。革製だがよく手入れされており、経年劣化は見られない。

 着ているものや顔立ちから、どこかの国の姫様と言われても簡単に信じてしまえそうだ。


「どうしました?」


 こてん、と首を横に倒すリーフ。

 耳に響く声はとても心地良い。

 夜、耳元で囁かれるだけで安眠できそうだ。


 恐れるべき存在の魔女のはずだが、俺の警戒心は限りなくゼロに近かった。


「いや、失礼。聞いていた魔女の話と君があまりにも違っていたから、驚いていたんだ」


 俺は魔女伝説についてはあまり詳しくない。

 故郷で暴れ回った〝理の魔女〟に関しての逸話をいくつか知っている程度だ。


「世界を滅ぼすとか、そういう話ですか?」

「ああ……まあな」

「理由もなく人に危害を加えたりしませんよ。そういうことはもうしちゃいけないって言われましたから」


 まるで以前はやってました、とも捉えられそうな含みを持たせた言い方で、リーフはにこりと微笑んだ。


「エルバさん。絵を描いているって言いましたよね」

「ああ。各地の名所を回って、そこの風景を描いている」

「見てみたいです」

「すまん。完成品は手元にないんだ」


 両手を広げて肩をすくめると、リーフはか細い声で「そうですか」と項垂れた。


「良かったら今から描こうか?」

「いいんですか!?」


 命を救って貰った恩人だ。

 俺の腕前でその礼に釣り合うとは思わないが、せめてもの気持ちとして筆を取る。


 ペンと、絵の練習やちょっとしたメモ用のノート。

 大きなスケッチブックなんかは崖上に放置された鞄の中だが、これだけはいつも肌身離さず持っている。


「そこに座っててもらえるか」

「? こうですか?」

「そうそう。少しだけ、じっとしていてくれ」



 ▼


「――とりあえず完成だ」


 小一時間ほどで、俺はペンを置いた。

 待ちわびていたように、じっとしていたリーフが近付いてくる。

 ノートを覗き込み、彼女は大きな目をさらに見開いた。


「これって……」

「この場所と、君だ」


 俺が描いていたのは、目の前のこの場所だ。

 色とりどりの緑と光が降り注ぐ空間と、それに取り囲まれるように佇む少女。

 身体の調子が妙に良く、筆もいつもより滑らかに進められた。

 なかなかの出来栄えだ、と自画自賛してもいいだろう。


「絵の具は魔獣に食わせてしまったから、色付けは外に出てから――うぉ!?」


 リーフの顔を見て、俺は素っ頓狂な声を上げた。


「……」


 リーフは目を見開いたまま絵を凝視して動かない。

 そしてその瞳からは――何故か大粒の涙が溢れていた。


「あれ……私、なんで泣いてるんでしょう」

「いや、俺に聞かれても」


 リーフは自分の頬を流れる涙を袖で拭いながら、きょとんとしていた。


「エルバさんの絵、すごいです」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 絵描きを名乗っているが、これ一本で生計を立てている訳じゃない。

 絵そのものが娯楽品であり、大半の人間には無用のモノだ。

 娯楽品は、世の中が平和でなければ需要が下がる。

 生活が安定しないのに不必要なものを買っている暇なんてない、というのは至極真っ当な話だ。


 たとえ絵画が趣味の人物と出会っても、俺の絵を買ってくれるかは未知数。

 依頼されて絵を描いたはいいが「出来が良くない」と言って金を払おうとしない奴もいる。


 そういう状況なので、最近は気分が乗った時にしか描いていない。


 俺の主な収入源は雑用だ。

 困っていそうな人に声をかけ、解決策を提示して小遣いをもらう。


 正直に言えば、絵描きと名乗っているのはもはや意地に近い。


「すごい……本当に、すごいです」

「そこまで褒められると照れるな」


 絵を褒められたことはこれまでに何度もある。

 それは大抵の場合、俺の気分を良くして絵を値切ろうという打算の元の賞賛だ。


 しかしリーフは違う。

 純度百%、まさに手放しの賞賛。

 緑色の瞳をきらきらと輝かせるその姿は、まるで無邪気な子供のようだ。


「エルバさんっ! 他の絵も描いてほしいです!」

「んー。描いてやりたいのはやまやまなんだが」

「?」


 俺は最近の自分のことを話して聞かせた。


「――というわけで、筆が乗らないと今は描く気になれないんだ」

「どうすれば筆が乗りますか?」

「そうだなぁ。六大絶景を見るとか?」


 六大絶景。

 この大陸にある絶景たちを総称してそう呼んでいる。


「そこに行けば絵を描いてくれるんですね? 行きましょう!」

「まあ待て。話を最後まで聞いてくれ」


 鼻息を荒くして顔をぐいぐい近づけてくるリーフの両肩を掴み、落ち着かせる。


「俺だって行きたいのはやまやまなんだが、行けないんだ」

「どうしてですか?」


 むぅ、と眉を顰めるリーフの前に、俺は手のひらを広げた。


「六大絶景のうち、五つは危険な魔獣の住処になっている」


 かつては自由に行けたらしい絶景たちは、今はどこも魔獣の巣になっている。


「残り一つは?」

「単純に存在しているかが微妙だ」


 六大絶景の一つ〝奈落の大瀑布〟は、存在そのものが怪しまれている。

 高名な冒険者が存在を証明したわけでもなく、誰が描いたかも分からない書物の一文に載っていただけ、という眉唾物の話だ。


「じゃあ、五つだけで我慢します」

「どうして行く前提になってるんだ」


 俺の話はあまり耳に入っていなかったようだ。


「どんな魔獣が住んでいるんですか?」

「そうだな。例えば、ここから南下した先の山が六大絶景の一つ〝精霊の霊峰〟なんだが、ドラゴンの巣になってる」


 大陸最強の生物、ドラゴン。

 一匹でも周辺の生態系が変わると言われている超生物が、群れを成して山を囲っている。

 ドラゴンは好戦的ではないが、縄張りに入った者を容赦しない。

 絶景を見るどころか、山の麓に行っただけで骨まで焦がされて終わりだ。


「なるほど」

「だろ? わかったら諦めて」

「じゃあ私がドラゴンの巣を潰せば大丈夫ですね」

「何が大丈夫なんだ!?」


 まるで名案を思いついたように手を叩くリーフ。


「ドラゴンくらいなら倒せますよ」

「リーフ……君が強いことは理解した。だが、さすがに相手が悪すぎる」


 ドラゴンは知能が高く、個体によっては人語すら理解する。

 加えて奴らは仲間意識が強く、社会性を持っている。

 一体を攻撃すれば、たちまち取り囲まれてしまうだろう。


「私はエルバさんの絵がもっと見たいんです」

「どうしてそこまで?」


 俺はそこまで絵の才能を持っていない。

 下手の横好きを続けているだけだ。

 リーフがそこまで俺を買ってくれる理由が分からず問いかけるが、当の彼女はあっけらかんと首を横に振った。


「分かりません」

「分からない?」

「分からないですけど、胸がすごくドキドキしました。ほら今も」


 俺の手を掴んで自分の胸に引き寄せようとするリーフ。

 慌ててそれを阻止する。


「やめい」

「どうしてですか? 触ったほうが分かりやすいのに」

「触らなくても分かるから。続けてくれ」


 リーフは頭に「?」を浮かべていたが、気にせず話を再開した。


「これまでドキドキしたのは強い人と戦ったり、おいしい食べ物を食べたりした時なんですけど――その時と同じくらい、ううん、それ以上に強く感じました」


 両手を胸の前に置き、自分で鼓動を確かめるリーフ。


「この気持ちが何なのか、私は知りたいんです。お願いします。私に、あなたの絵を見せてください」

「……」


 リーフの目は真剣だった。

 伊達や酔狂で頼んでいる訳じゃない。

 心の底から、俺の絵を熱望してくれている。


 だったら――それに応えないわけにはいかなかった。


 無理だ。

 やめろ。


 俺の中でこれまで培ってきた人生経験が、急制動をかけてくる。

 それを無視して、深く頷いた。


「……わかった」

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