第14話「不穏な気配」

「ん――」


 鳥の囀りがわずかに鼓膜を揺らし、その刺激で目が覚めた。


「朝か」

「おはようございます、エルバさん」


 リーフから声がかかる。

 眠ることも趣味の一つにしか過ぎない彼女は、今日も夜通し起きていたようだ。


「ああ。おはよう」

「昨日はうなされてませんでしたね。寝言も全然言ってませんでした」


 俺は眠ると、高確率で昔の夢を見る。

 親に捨てられた場面、婚約者に見放された場面、それから――。


 とにかく、昔の自意識過剰だった頃を夢見るのだ。

 まるで「お前はその程度の人間なんだ」と言い聞かせるように。


「結局そのまま寝ちまったな。悪い」

「いいえ、全然平気です」


 起き上がると、固まった関節のあちこちが鳴った。

 しかし痛みは全く無い。

 というか、普段より心なしか身体が軽く感じる。

 疲れすぎて眠りが深かったのか、あるいは膝枕のおかげか。


 下手をすればもう一日ここで休まないと駄目かと思ったが、その必要はなさそうだ。

 安堵すると同時に、根を詰めて描きすぎたことを反省する。

 いくら絵を心待ちにしてくれる子が隣にいたとしても、ペース配分を考えなければ。


 ずっと俺の頭を撫でてくれていたらしく、額の辺りにまだリーフの手の感触が残っている。


「絵、ずっと見ていたのか?」

「はい」


 リーフは俺を撫でていた方と反対の手でスケッチブックを持っていた。

 おっさんの頭を撫でながら、絵を夜通し鑑賞する。


 魔女の夜の過ごし方はいつも通りよく分からない。

 まあ、おっさんの寝顔を見ているよりはいくらか健全だろう。


「百年以上見ていた風景のはずなのに、どうしてこんなにドキドキするのか不思議です」


 リーフは頭の上に「♪」が幻視できるほど上機嫌な様子だ。

 他のページ――まだ白紙の部分をめくりながら、嬉しそうに頭を左右に揺らす。


「これから、この何も描いていないページもエルバさんの絵でいっぱいになると考えると、すごくドキドキします」

「ご期待に沿えるように頑張るよ」


 言ってから、ん? と首を傾げた。

 スケッチブックは二十ページほどある。

 既に描いたリーフの故郷(?)と六大絶景を描くと仮定して――残り十三ページは何を描けばいいんだ?


「エルバさん。今日はどうしますか?」

「あ、ああ。買い物をしてから、次の町に発とう」

「はい」


 スケッチブックを大事そうに胸に抱き、リーフはベッドから立ち上がった。



 ▼


「まずいな」


 旅に必要なもの――主に食料と焚火の火種、そして情報――を揃えるべく財布の中を覗き込み、俺は眉をひそめた。


「何がまずいんですか?」

「金が足りん」


 リーフの食料は要らないとはいえ、あまりに手持ちが少ない。

 有り金を全部使えば道具は揃えられるが、無一文で旅をするのも考え物だ。

 なんだかんだ言って現金は強い。

 ある程度、金の形で残しておいた方が便利だ。


「も、もしかして私がパスタをおかわりしたから……」


 リーフが顔を青ざめさせる。

 おかわりはともかく、宿屋に渡した口止め料が効いているのは事実だ。

 加えて、絵を完成させるために買い込んだ画材。


 それら予定外の出費がボディブローのように効いている。


「ごめんなさい」

「リーフが謝る必要はないぞ。パスタは全然関係ないからな」

「本当ですか?」

「もちろんだ」


 パスタそのものは通常料金だから関係ない。

 ……俺は嘘は言っていないぞ。


「金は無いが、それで立ち行かないって訳でもないからな」

「どうするんですか?」

「次の町、ドルトンまでは七日ほどかかるが、買い込む食料は三日分だけにする」


 人間、毎日食べなくても死にはしない。

 二日に一回食べられれば十分だ。


「あの、私、何かお役に立てませんか」

「ありがたい申し出だが、気持ちだけ受け取っておくよ」


 リーフの能力をほんの少し活用すれば、路銀を稼ぐことは簡単だろう。

 しかし、あまり他人に見せびらかしていいものじゃない。

 身体強化や治癒術はまだ誤魔化しようがあるが……蘇生だけはまずい。

 できると分かった瞬間、どこからともなく刺客がやってきて彼女を引き入れようとするのは目に見えている。


 もし多くの国がリーフの存在を知ることになれば、歴史書にあったような戦争がまた起きてしまうとも限らない。 


 それに、彼女に頼りすぎることは俺にとっても良くないことだ。

 他人への過ぎた依存は身を滅ぼす。

 長らく一人旅をして、俺はそれを嫌というほど痛感していた。


 助力は最低限に留め、それ以外は自力でなんとかするくらいがちょうどいいだろう。


「もし、どうしてもお腹が空いたら言ってください」

「何か料理でも作ってくれるのか?」

「料理じゃありませんけど、私の肉や血を食べてください」

「何を提案しているんだ!?」


 素っ頓狂な声を上げると、当のリーフはきょとんとしていた。


「大丈夫です。少しの間死ななくなりますけど、何日かすれば元に戻りますから」

「何も大丈夫じゃないんだが!? そんな案は却下だ却下!」



 ▼


 魔女らしいといえば魔女らしい提案を蹴り、俺たちは町の情報屋の元へ向かった。

 リーフという心強い用心棒がいるとはいえ、情報収集は疎かにできない。


「エルバ。お前さんはいいやつだ」


 顔見知りの情報屋に金を渡すと、彼は神妙な顔でそう切り出した。 


「急にどうした。リップサービスの代金は渡した中に含まれていないぞ?」

「本音だ本音。素直に喜んどけ」


 本音ではあるだろうが、情報屋の言う「いいやつ」は金払いがいい上客、程度の意味だ。

 これで額面通りに受け取るなんて、愚か者のすること――。


「ですよね、エルバさんはいい人です!」

「……リーフ。少しだけ黙っていてくれるか」


 情報屋の褒め言葉を素直に受け取ったリーフを引き下がらせてから、続きを促す。


「で?」

「お前さんには死んでほしくねぇ。だから言っておく。いまドルトンに行くのはやめておけ」

「なぜだ?」


 煙草をくゆらせながら、情報屋はゆっくりと口を開いた。


「ドラゴンが暴れているらしい。いま下手に近づいたら死ぬぞ」

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