第23話「おつかれさま」

 使った色は青、白、緑のたった三つ。

 リーフの住処を描いた時のように、絵の具をふんだんに使うことはしなかった。

 この風景を転写するには、無駄な色を省くべきだと思ったからだ。

 筆の強弱だけで濃淡を表現したが、ところどころは思うように描けていない。


 リーフのおかげで再生能力を得ても、痛覚は普通に残っている。

 じくじくと苛む痛みが、細かな筆の動きを阻害した。

 しかし、それが唯一無二の『味』となっている。


 安全な場所から眺めたものではなく。

 生を脅かされながら描いた軌跡が、この地に充満する死を視覚化できるほどに表現していた。


「できた。できたぞ……リーフ」

「はい。見てました」

「すまん。一歩も動けない」


 俺はずるずるとリーフにしなだれかかる。

 情けないとか、そういう見栄を張る余裕すらない。

 一般人が拷問を受け続けたに等しいのだから、それも当然と言えば当然か。


「後のこと、任せてもいいか?」

「もちろんです」

「目立つことは極力避けてくれ。何か困ったことがあれば、鞄の中身は好きに使っていい」


 迫りくる眠気が意識を奪う前に、そう申し添えておく。


「任せてください」


 リーフに担いでもらい、山を下りる。

 ヒトを一人抱えているとは思えない軽快さだ。

 普段の俺なら無警戒にジャンプするたびに悲鳴を上げているところだが、達成感やら疲労やらでそんなことを言う気力すらも失っていた。


 ある地点を通過すると、消えていた音が戻ってくる。

 生の空間に、戻って来たのだ。


「ドラゴンさーん。終わりましたー」


 律儀に待ってくれていたドラゴンに、リーフが手を振る。


 ――俺が覚えているのは、そこまでだった。



 ▼ ▼ ▼


 何かの感触を感じて、俺は意識を浮上させた。


「……」


 目を開けると、天井が見えた。

 骨組みの部分を塗り固めた土で覆い、さらに凝った模様の施された壁紙を貼っている。

 貴族の屋敷などではよく見かける、かなり良い造りの天井だ。


 背中側から感じる感触からして、俺はベッドに寝かされているのだろう。

 普段の安宿で使っているものとは一線を画す柔らかさと布団の暖かさにやや面食らいながら目を開く。


「おはようございます、エルバさん」


 横に顔を向けると、にこにこした顔のリーフが見えた。

 彼女は枕の側で頬杖をつき、俺の跳ねた髪を弄っている。


 最初に感じた感触は、彼女の手のものだろう。


「……また俺の寝顔を見てたのか」

「はい」


 楽しそうに頷くリーフ。

 おっさんの寝顔を見て、おっさんの髪に触れて、何が楽しいというのだろうか。

 リーフについてある程度理解は進んだものの、ここだけは未だに分からない。


「俺は何日くらい寝ていた? ここはどこだ?」


 身体を起こし、周囲を見渡す。

 予想通り、俺は驚くほど豪華な部屋の、驚くほど高価そうなベッドに寝かされていた。


「三日間寝ていました。ここはドルトンの町の宿です」

「……なるほど」


 なんとなく、俺は眠っている間の顛末を察した。


 おそらく、リーフがブラックドラゴンの討伐者とバレてしまったのだろう。

 俺たちは来賓として丁重にもてなされている――といったところか。


 できればバレずにやり過ごしたかったんだが……仕方ないか。


「ここを手配してくれたのは誰だ? 町長か?」

「私です」

「……なに?」


 俺は思わず顔を上げた。

 リーフは宿の取り方なんて知らないはずだ。


「どうやって?」

「地上に降りてきて、エルバさんが安静に寝られる場所を探していたんですね」


 最初はドラゴンが寝床を用意してくれたらしいが、リーフはそれを辞退。

 やはり眠るならベッドがいいだろうと、彼女は俺を抱えて町に入った。


「そしたら、親切なヒトが宿の取り方を教えてくれたんですよ」

「親切な……ヒト?」

「はい。目立たずに宿を取りたいってお願いしたら、その通りにしてくれました」

「な、なるほど」


 嬉しそうに言うリーフに、俺は猛烈に嫌な予感がした。


「その親切なヒトは、どんな奴だった?」

「小柄な子供でした」

「……そうか」


 嫌な予感は的中した。

 リーフ。

 それはいいヒトじゃなくて、旅行者を狙ったぼったくり屋だぞ……。


「ここの宿代はどうしたんだ? 手持ちだけでは足りないと思うが」

「鞄の中にあるものを使わせてもらいました」


 俺は首をひねる。

 鞄の中身でこれほどいい宿が取れるはずがない。


「はい。手持ちのお金を全部見せましたけど、足りないと言われました。なので」

「……なので?」

「ドラゴンさんの鱗を渡しました」

「…………」


 山の上でもらった、風と炎の魔法が込められたドラゴンの鱗。

 確かにあれならどんな高級宿の代金だろうと賄えるだろう。


 賄えるどころか、一か月泊まっても釣りがくるレベルの代物だ。


「あれ、渡しちゃったの?」

「はい。私たちのことは内緒にしてくださいってちゃんとお願いもしました」


 魔法の力が込められたドラゴンの鱗を渡されたら、どんな無茶な願いだろうと二つ返事で了承するだろう。

 勿体ない――とは思ったが、最悪の事態である『リーフの正体がバレる』という部分はしっかりと防げている。


 もともと一般人の俺が持っているには過ぎた代物だったんだ。

 そう思うことにしよう。


「ありがとなリーフ。おかげでゆっくり休めたよ」

「それは良かったです」



 ▼


「エルバさん。ベッド、使わせてもらっていいですか?」


 俺が起き上がると同時に、リーフはそう尋ねてきた。

 高級宿なだけあり、ここのベッドはとにかくサイズが大きい。

 ――というか、二人一緒に寝ても大丈夫な、いわゆるダブルベッドだ。


 リーフが指定したとは思えないので、おそらく宿の人間が察して用意してくれたのだろう。


「もちろんだ」


 リーフが横になりたいなんて珍しいな、と思いながら見ていると、彼女はちょうど俺が眠っていた場所に寝転んだ。


「もう少し隣にズレた方がいいんじゃないか?」


 おっさんの臭いがシーツに移っているはずだ。

 リーフに「臭い」なんて言われたら数日は凹んでしまう自信がある。

 俺は自分自身を守るためにそう提案した。


「いえ、ここがいいです」


 リーフは俺が使っていた枕を胸に抱きながら、静かに目を閉じた。


「……寝たのか?」


 俺の言葉に反応はない。

 リーフは肉体的な疲れを感じない。

 ゆえに眠る必要はない、とは本人の弁だ。


 しかし、精神のほうはどうだ?

 俺が眠っている間、ひょっとしたらずっと気を張っていたんじゃないだろうか。


「……ありがとな。おつかれさん」


 絹のようになめらかな髪を撫でると、リーフの唇が嬉しそうに笑った……ような気がした。

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