第6話「ツイてない」

 寝ている時、俺は大抵悪夢を見る。

 まだ何も知らないガキだった頃の、昔の夢だ。


 ▼ ▼ ▼


 俺は親父から勘当されたその日、婚約者であるリムリアのところへ足を運んだ。


「リムリア」


 親が決めた婚約者だったが、俺は彼女を心から好いていた。

 性格や趣味、嗜好やちょっとした日常の仕草まで。

 まるで神が用意してくださったかのように、何もかもが俺の心を捉えて離さない。

 俺たちは単なる政略結婚という枠を超えて惹かれ合っていた。


 目が合えば微笑み。

 手が触れればはにかみ。

 肩を寄せれば寄り添ってくれる。


 彼女に何もせず、あの家を去ることはできない。


「まあエルバ。どうしたんですか?」


 突然の訪問にも関わらず、リムリアは笑顔で出迎えてくれた。

 他人を蹴落とすか見下すことしか頭にない家族とは違い、心から俺を案じてくれる。

 彼女の笑顔を見た途端、俺の中で張りつめていた心が癒される感覚があった。


「実は……」


 俺は事の経緯をかいつまんで話す。


「そう……ですか。そんなことが……」

「ああ。だから僕たちの今後について、話し合う必要がある」


 婚約は破談になるが、俺はリムリアと離れたくなかった。

 話し合いと言いつつ、駆け落ちをする覚悟で来ていた。


 何もかもを捨てたとしても、彼女が傍に居れば俺は何だってやれる。

 そういう自信に満ち溢れていた。


 しかし。


「話し合いは必要ないわ」

「え?」


 くるりと振り返ったリムリアは、手を叩いて兵士を呼び寄せる。


「こいつをつまみ出して頂戴」

「り、リムリア? どうして!?」

「どうして、ですって? よくそんなことが言えたわね」


 振り返ったリムリアは――俺のよく知る彼女の表情ではなくなっていた。

 鋭い針で射殺すかのような目。

 思わず委縮する俺に、リムリアは吐き捨てる。


「アルヴァレスト一族の名を失ったあんたにもう用は無いわ」

「え……え?」

「将来設計も考え直さないと。確か八男のオルドにはまだ婚約者はいなかったはずよね? 急いで彼に取り入らないと。すぐに情報を集めてきて」

「リム……リア?」


 目を見開き、兵士に抵抗する気力すら失う俺に、リムリアは唇の端を歪めて見せた。


「あんたみたいな冴えない男に、この私が本気になるわけないでしょ」

「……そんな」


 俺は絶望した。



 ▼ ▼ ▼


「……」

「あ、おはようございますエルバさん」


 目が覚めると、宿屋のベッドの上だった。

 夢の中で声変わり前だった俺は、しわがれたおっさんに変貌している。


「……何、してるんだ?」


 顔を横に向けると、リーフがベッドの端に頬杖をついて俺を眺めていた。


「寝顔を見てました」

「いつから?」

「エルバさんが寝てから、ずっとです」


 不老不死であるリーフは、食事も睡眠も必要としない。

 食べることも寝ることもできるが、それらは彼女の中では生きるために必須のものではなく、あくまで趣味の一環に位置付けられている。

 食べなくても栄養失調になることもなければ、寝なくても睡眠不足になることもない。


「おっさんの寝顔なんか見てても楽しくなかっただろ?」

「そんなことありませんよ。鼻呼吸の音を聞いたり、寝返りを打つ周期とかを数えたり、寝言でどんな夢を見ているのかを想像したり、いろいろと楽しいです」


 不老不死の魔女の趣味はよく分からん。


「うんうん唸っていましたけど、どんな夢を見ていたんですか?」

「自意識過剰だった頃の夢だ」

「?」

「なんでもない。朝メシを食ったらすぐにここを出よう」


 俺は身支度を整えてから、宿に併設されている食堂へと向かった。


 ▼


「次の町まではどれくらいかかりますか?」

「二、三日といったところだな」

「分かりました。道中の護衛は任せてください」


 街道を歩きながら、俺は早くも昨日のやり取りに頭を抱えていた。

 リーフの熱意に当てられ、六大絶景のひとつ〝精霊の霊峰〟に挑むことになってしまった。

 そこは現在、ドラゴンの巣になっている。


(なんで安請け合いしたんだ俺は。年甲斐もなくカッコつけやがって。相手はドラゴンだぞ?)


 ドラゴンは分類上は魔獣になるが、他の種とは一線を画す強さを持っている。

 歴戦の冒険者がパーティを組み、命を賭してようやく討伐できるかどうか――というレベルだ。


 魔法を使った息吹は驚異の一言だが、ドラゴンの強さはそれだけではない。

 強靭な鱗は生半可な武器では全く歯が立たず、逆に斬った方が刃こぼれしてしまうほど硬い。

 もちろん爪や牙は言わずもがな。あれらを前にした鉄の鎧など紙屑も同然だ。


 唯一幸いなのが、縄張りに踏み入らなければあまり攻撃をしてこない、という点だ。

 縄張りの外で出会った場合、基本的には無視される。

 ただ、もちろん安心はできない。

 象よりも巨体なドラゴンは、歩いた際の尻尾に当たっただけで人間には致命傷となる。


 リーフの強さは重々承知しているが、彼女一人で本当に戦えるのだろうか。

 どう考えても荷が勝ちすぎているように思える。


「なぁ。本当にドラゴンたちを相手にするのか?」

「そうしないとエルバさんは絵を描けないんですよね?」

「いやまあ、そうなんだが」


 とはいえ俺と彼女が出会ってからまだ半日だ。

 俺が知らない技を何か持っている可能性だって十分にある。

 例えば――


「なあリーフ。ものすごく強い魔法を遠距離から放てたりするのか?」


 ドラゴンが知覚できないほど離れた場所から、狙撃手のように撃ち落とす。

 そんなことができるのなら、


「いいえ。私の特技はこれだけです」


 道端で地面を向いていた、しおれている花に触れる。

 たったそれだけで、腰を曲げた老人のように垂れていた花が急にぴんと姿勢を正し、枯れかけていた花びらに鮮やかな色を戻した。


「この力は触れないとできません」

「飛び道具とか、そういうものは」

「ないです」

「……そうか」


 複数のドラゴン相手に肉弾戦を仕掛ける少女を想像し、俺は首をひねった。

 本当に大丈夫だろうか。


(本当に無理となったら、別の風景画で我慢してもらおう)


 南には〝精霊の霊峰〟意外にも名所がいくつかある。

 いざとなった時の代案を考えながら、俺は街道を進んだ。


 ▼


「今日はここで寝よう」

「はーい」


 俺は火を起こし、一人分の食事を鞄から取り出す。

 男の一人旅なので、野営するときの食事は塩漬けされた保存食だけだ。


「本当に食べなくても大丈夫なのか?」

「平気です」


 一体、どこから栄養を補給しているんだろうか。

 謎だ。


「今日は魔物に出くわしませんでしたね」

「昨日の森が多いだけで、一日一回あるかないかくらいが普通だ」


 むしろ魔物なんかよりも盗賊を警戒した方がいいくらいだ。

 あいつらは徒党を組み、狙った獲物の身包みを確実に剥いでいく。


 ここは村が近いからまだ大丈夫だが、離れたところで出くわした時は最悪だ。

 食料や道具を奪われれば、命を奪われなくとも待っているのは緩やかな死だ。

 完全な生身で厳しい自然を生きていけるほど、人間は強くない。


「さてと」


 保存食を胃に放り込み、手近な木の幹を枕にして横になる。

 リーフは膝を抱えた姿勢になり、ぱちぱちと音がする焚火を、じぃ、と眺めていた。


「少ししたら起きるから、それまで見張りを頼む」

「ずっと寝ていても大丈夫ですよ」


 リーフはそう言うが、さすがに火の番まで任せるのは心配だった。

 なんというか、彼女はあまり加減を知らない上に好奇心旺盛だ。


 薪を全部放り込んで大炎上、なんてことを平然としでかしそうだ。

 他にも、まだ乾いていない生木を放り込んで爆ぜさせたり、火の囲いを取っ払って周辺に燃え移らせたり――と、考えるとキリがない。

 身を守るという面では頼もしいが、それ以外だと心配しかない。


「人里を離れると自然に浅い眠りしかしなくなるんだ。そういう風に体が慣れちまって――」


 起きる口実を繕おうとすると――突然、リーフの背後から黒い影が出現した。

 黒装束を身にまとった男だと気付いた時には、彼女は羽交い絞めにされ、首にナイフを突きつけられていた。


「わぁ。何ですか?」


 気のない声を上げるリーフ。

 咄嗟に起き上がろうとする俺の喉元にも、別の場所から現れた男にナイフを宛がわれた。


「動くな」

「――くっ」


 盗賊だ。

 しかも、かなり手慣れている。


「ち――シケてやがる」


 三人目、四人目の男が俺の旅行鞄を逆さにし、出てきたものの中から使えそうなものを懐に入れていく。


(あの冒険者たちといい、盗賊といい――どうも最近、ツイてないな)


 運の悪さに肩を落としつつ、喉の震えでナイフに当たらないよう注意しながら口を開く。


「勘弁してくれないか。旧エルフの森で魔獣に襲われて今は素寒貧なんだ」


 相手も人間だ。

 境遇に同情し見逃してくれることもある。

 これで何度か窮地を切り抜けたことがあるが、今回はそうはいかなかった。


「男は喋るな」

「ぐ……」


 刃を押し付けられ、口を開くゆとりすら奪われる。


「荷物はシケてるが……連れは上等じゃねえか」


 盗賊たちの視線が、一斉にリーフに向かう。


「服だけでもかなりの値段が付きそうだな。おい女」

「はぇ?」


 リーフは目をぱちぱちとさせている。

 彼女のことだ。こいつらは俺の知り合いなんじゃないか――なんて考えているのかもしれない。


「その高そうなローブを寄越せ」

「寒いんですか?」


 あまりにも空気の読めていない発言に、男たちが失笑する。


「ああ。寒くてたまらねーんだわ」

「分かりました。お貸ししますね。けどその前に絵を拾わせてください」

「絵?」


 リーフの視線の先には、盗賊がひっくり返した際に鞄から出てきたスケッチブックがあった。

 中には、朝、彼女に見せたあの不思議な空間の絵が収められている。


「それ。大切なモノなんです」


 ナイフを押しのけ、スケッチブックに手を伸ばすリーフ。

 彼女の手が届く前に、盗賊の一人がスケッチブックを焚火の中へ蹴り入れた。


「あっ……」

「わりー。足が滑ったわ」

「……」

「くだらねー時間稼ぎしてんじゃねえ。さっさと脱げって言ってんだよ」

「……」

「この男の首、今すぐに掻っ切ってもいいんだぜ?」


 へらへらと笑う男たち。

 リーフの顔から、表情が消えた。


「なに――するんですか」

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