第21話「ドラゴンの加護」
ドラゴンの背に乗り、再び空へ飛ぶ。
乗せてくれているのは俺たちをここまで運んでくれた若い個体だ。
他のドラゴンがリーフを怖がったため、続投してくれた。
〝精霊の霊峰〟は岩山だ。
ほとんど植物も生えないため、長らく人が立ち入っていなかったが、先人が残した山道はずっと残っていた。
「……酷いな」
俺は眼下に見える山道
縄張り争いの影響で、完全に道が無くなっている。
山道以外はほぼ垂直の崖になっているため、歩いての登山はもはや不可能な状態だ。
「お前と出会わなかったら途方に暮れているところだったよ」
ドラゴンに話しかけると、彼は、ちらり、と一瞥してから視線を逸らした。
さらに上昇する途中、物言わぬ骸と化したブラックドラゴンが見えた。
身体の半分以上が山に突き刺さるような形になっており、いかにリーフの力が人外のものであるかを改めて実感する。
「そういえば、素材はどうする?」
「必要ですか?」
「売れば相当な金になるぞ」
「お金があると、旅が楽になるんでしたよね?」
「なると言えばなるが……管理が大変になるから、どちらとも言えないな」
うむぅ、とリーフは眉をひそめる。
「目立ちませんか?」
「確実に目立つな」
「じゃあ、いらないです」
あのサイズのブラックドラゴンだ。
一匹だけで長く遊んで暮らせるほどの金額になるだろう。
なのに、即答だった。
伝説の盗賊が残した秘宝に匹敵するような価値のある魔獣の素材を、彼女はあっさりと捨てた。
「お金よりも、私はエルバさんの絵が見たいです」
▼
ドルトンの町が見えなくなる。
遠くから様子を伺う限り、変化はまだない。
「ドラゴンよりもヤバい緑髪の女が暴れている」と騒ぎになっているとばかり思っていたが……いやに静かだ。
まあいい。
先のことは後回しにして、今は絵だ。
山頂に到着したら、風景をしっかりと記憶に留めなければ。
(……それにしても寒いな)
急激に周囲の気温が下がり始め、俺は両手で自分を抱きしめ、肘の上をさする。
寒い上に、少し頭痛がする。
こんな時に風邪なんて引いている場合か――と自分を叱咤していると、あることを思い出した。
「あ」
「どうしました? エルバさん」
「登山装備に換えてない」
寒いのは当然だ。
手袋も服も動きやすさを重視した薄い素材で、防寒機能は皆無と言っていい。
頭痛がするのは当然だ。
これだけ早い速度で空を駆け上がれば、高山病になるに決まっている。
〝精霊の霊峰〟は標高数千メートルを超える。
こんな軽装で山頂に行けば、数分で凍死か――もしくは、重度の高山病で絵を描くどころではなくなってしまう。
「すまん忘れ物をした。引き返してくれ」
ドラゴンの背を叩くと、上昇する速度が緩んだ。
戻ってくれるのかと思いきや、その場で翼を羽ばたかせたまま動こうとしない。
「おい、どうした? あんたが戻ってくれないと死んじまう」
『……』
ドラゴンが奇妙な動きで翼を動かすと、付け根の辺りで、ぱちん、と音が鳴った。
まるで狙ったかのように、俺の足元に平たい何かが転がってくる。
「これは……?」
ドラゴンの鱗だ。
太陽の光を反射して青く輝くそれを手に取ると、風が渦巻いた。
――と同時に、俺を苛んでいた寒さや頭痛がぴたりと止まる。
「エルバさん、それは何ですか?」
「ドラゴンの鱗だ。おそらく魔法をかけてくれたんだと思う」
風の魔法で高山病を防ぎ、炎の魔法で身体を温めてくれている。
今の俺に必要なものが詰まった魔道具だ。
「ありがとな」
ドラゴンは低く喉を鳴らし、俺から視線を逸らした。
▼
上昇を続けること数十分。
雲を突き抜け山頂が見えてきた――という所で、ドラゴンは不意に山へと降りた。
「どうした?」
首を器用に回し、ドラゴンは俺とリーフを鼻先でぐいぐいと山頂方向に誘導する。
「ここから先は自分で行け、ってことか?」
『……』
ドラゴンは動かない。
最後くらいは自分で歩け、と言っているのかもしれない。
おいしいところだけを取るような格好になってしまうが……。
まあ、体力は十二分に温存できている。
あと百メートル程度だし、歩こう。
「分かったよ。これ、預かっててくれ」
俺はスケッチブックと筆、そして絵の具だけを持ち出し、残りをドラゴンの足元に置いた。
足を踏み外してしまわないよう、リーフと自分を縄で繋ぐ。
「行きましょう、エルバさん」
「ああ」
▼
歩き始めて数十メートル。
不意に。
音が、消えた。
「――」
「わぷ」
思わず立ち止まり――すぐ後ろを歩いていたリーフが背中にぶつかった――、周辺を見渡す。
ドラゴンは相変わらずこっちをじっと見ているし、リーフは俺を不思議そうに見ている。
「……」
足元に目をやる。
一歩踏み出す前と、後。
区切りも何もないが、俺はここが『境界線』と理解した。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない。行こう」
『境界線』を超えた際に覚えた違和感の正体はすぐに分かった。
ここには生き物がいない。
申し訳程度に生えていた植物も、虫も、鳥も。
何もない。
あるのは冷たい岩と雪だけだ。
ドラゴンの魔法で遮断しているはずの冷気を飛び越え、俺は寒気を覚えた。
ここは。
生物が立ち入っては
生と死の概念が入れ替わり、生きていることが
その空間を踏み越えた俺は――ゆるやかに、死に向かって歩いている。
誰に教えられた訳でもなく、俺の身体に刻み付けられた生物としての本能がそう叫んでいた。
ドラゴンが足を止めた理由を、俺は今になって理解する。
「エルバさん? 大丈夫ですか?」
どんな所に居ようとリーフは普段と変わらない。
この極限の環境で、それはとても頼もしく思えた。
「大丈夫だ。先を急ごう」
▼
さらに歩くこと――どれくらいだろうか。
俺たちは、山頂に辿り着いた。
「ここが……」
「ああ。〝精霊の霊峰〟だ」
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