リリコ、師匠になる

 それからまた三カ月ほどが経った。日本では一カ月ほどだろうか。

 弟とは何度も手紙のやり取りをして、クレイドがマンガを持ち帰るついでに、私の頼んだものも一緒に持って来て貰えるようになった。……といっても大きな物は頼めないので、ちょっとした食べ物や小物程度だ。それでも、クレイドが私に提供してくれた部屋は、日本を感じさせてくれるアイテムが少しずつ増えて来て、個人的には日本を偲べて嬉しい。


 一番嬉しかったのはインスタントラーメンとお米とマーブルチョコである。

 別にここの食事が美味しくない訳ではないし、パン食も嫌いじゃない。ただ白いご飯はもっと好きなのだ。このお肉を白いご飯で食べたいなあ、と思っても白米がないので諦めていたが、これでたまにご飯を炊けるし、お握りだって食べられる。

 それに、インスタントラーメンも仕事で忙しい時にお世話になっていた関係で、たまにどうしても食べたくなる。ラーメンは何故あんなに美味しいのだろうか。野菜を入れたら栄養不足もある程度は補えるし、何といってもお湯さえあれば作れるお手軽さだ。

 クレイドやナーバ、コック長にも食べさせたら、「これは美味い」と喜んでくれて、定期的に持ち帰ってくれるようになった。様々な味の種類があって毎回驚かれる。こちらでも近いものが出来ないかオークのコック長と研究中らしい。金額はさほどでもないが、少しでも弟の負担が減るのならばそれに越したことはないので気長に待とうと思う。

 マーブルチョコは単に子供時代からお菓子の中で私が一番好きな物である。ペンネームにもまーぶると付けたぐらいだし。あの小さくカラフルなチョコレートは色鉛筆やカラーペンのようで見ていても楽しいし、食べると外側のカリカリした触感と中身のチョコレートのしっとり感の相性がたまらなくいいのだ。これもコック長が研究中らしく楽しみだ。


 ──ただ、私は最近少々暇を持て余している。


 手足のついたサボテン……カクタスダンサーの人たちと踊りながら種まきを手伝ったり、ナーバのメイド仕事の手伝いもしようとしたのだが、未だに魔王のお客様という扱いで断られてしまう。それならとコック長に何か手伝いをしたいと頼んでも、火傷でもされたら困るからと追い出される。ゴブリンさんやゴブリンレディーとは馴染んで世間話が出来るようになって、ちょいちょいと小さな仕事はさせて貰えるようになったが、それでもせいぜい洗濯を取り込み畳んだり、花瓶の花を入れ替えたりするぐらいである。散歩もそれなりに気晴らしは出来るが、基本ニート生活なのである。定年後の余生を暮らすバー様のような暮らしだ。


 何しろ健康を犠牲にしてまでマンガを描いていたほどの仕事人間なので、クレイドにゆっくり過ごせばいいと言われても限度がある。マンガだって好きだけど、延々と読んでいると、自分はもう仕事が出来ないんだなあ、と考えて気分が落ち込んだりもする。

 このままでは早々にボケてしまいそうで不安だ。本当にどうしたもんかなあ……と悩んでいると、ある日の夕食の際、クレイドがとんでもないことを言い出した。


「──あのな、リリコ」

「はい何でしょう?」

「私はかなりのマンガなる書物を読んだのだが」

「そのようですね。図書室の棚、ほぼ一室まるまるマンガ並んでますしね」

「うむ。それぞれに異なる良さがあるものよ。……でな、あの素晴らしい作品たちを眺めていると、私もふつふつと滾るものがあってな」

「淫らな本はほどほどにされた方が良いかと思いますけども」

「そうではない。何やら自分も描けるのではないか、いや是非ともあの美しく繊細な世界を描いてみたい、と思うようになったのだ」

「──マンガをですか?」

「左様」


 私はしばし沈黙して、すぐには無理じゃないでしょうかねえ、と呟いた。


「何故ゆえそう思う?」

「どのマンガ家さんも、いきなりあのような物語やクオリティーの高い絵が描けた訳ではありません。長いこと絵の練習もした訳です」

「ふむ」

「絵の練習は根気がいりますが、まあ好きならば苦ではありません。ただ、その絵を活かせる面白い話を考えることも大切なんです。物語を専門で書く人と絵を描く人が違う場合もありますが、何かマンガにしたいような小説がこちらの世界にあるのでしょうか?」

「いや、こちらには歴史書や料理などの指南書ぐらいしかない」

「ならば全部ご自身で考えねばなりませんよね。……それに、私は一人で描いてましたけど、あちらの電子機器の便利な機能を使ってかなりの時間を省略出来ても、一カ月で一話分、二十五ページ前後しか描けませんでした。それだけ時間が掛かる作業なのです。アシスタントとして複数の人を雇う方もいますが、この国でマンガが存在しない以上、そんな細かい作業が出来る人をまず育成するのも大変ですよ。魔王様としての責務をこなしつつであれば、例え今の画力がすごく上手で話を作るのも上手だとしても、一つの話を完成するまで数カ月はかかるでしょうね。絵がダメなら相当かかります」

「だてに長命な種族ではないのだ。学ぶ時間ならいくらでもある。やらねばならぬことは何でもする」


 冗談かと思ったらどうやら至って本気らしい。


「そんなにマンガが好きになったんですか?」

「ああ。マンガは本当に素晴らしい。感動があり、心揺さぶられる物語があり、読み終えるたびに心が豊かになる気がする。……私はな、ただ魔力が高かったから必然的に魔王になっただけで、自分が何かを好きで創造するというのはしたことがないのだ。ホーウェン国の民が考える努力を怠らぬように、天変地異を起こしたり、他国からの襲撃があった場合に抵抗できるよう、武器や戦の備えをして欲しいと願い、定期的に魔物をつかわしてわざと人間にケガをさせたりなどはしているが、逆に言えばその程度しかしていない」

「はあ、なるほど」


 魔王様というのは子供の面倒を見ている父親のような存在なのだろうか。弟が「領主とか町長みたいな感じ」と言っていたのはこういうことなのか。確かに平和で何の問題も起きない国という世界では、人間は考えることをしなくなるのかも知れない。病があるから治すための薬を人は考えたのだろうし、医者という存在がある訳だから。


「だが、マンガというものに出会い、私は書物でも人は色んな感情が持てる、与えられると分かった。私はホーウェン国にマンガを広めたい。そして、ここには幸いリリコがいる。私はこれは運命だと思ったのだ」

「──運命?」

「ぜひとも私の師として、私がマンガを描けるように導いて欲しいのだ」


 いやいやいや。私が魔王様をマンガ家にするんですか? そんなたいそうな人間じゃないんですけど。


「私は売れっ子でもないマンガ家だったんですが……」

「いやリリコの作品は素晴らしかった。あのような物語を私も描きたい」

「……」

「頼む」


 いやー、熱意は伝わるけど、でもなあ。この国ペンってインクはあっても羽ペンしかないし。トーンなんて当然ないし、トレースも出来ないから建物とか全部手描きよ? アナログでも流石に厳しすぎないかしらね。

 ……でも、弟に頼めばペン関係も画材関係も手には入るのか。うーん、だけどなー……。


 ただ、クレイドにマンガを教えるというのも、考えてみればありかも知れない、とふと思った。少なくとも私の暇すぎる毎日を有意義に使えるし、自分の得意分野でサポートできるのだから。私は少々乗り気になって来た。


「あの、ちなみにクレイド様は絵を描かれたことは……」

「ない」


 私はガックリと肩を落とした。1からではなく0からスタートか。

 ま、それもいいか。何しろ彼には恩義がある。私に出来ることがあるだけでも良かった。


「──分かりました。引き受けます。ですが、まず弟に手紙を書きますので、それを持って行って頂けますか? 具体的にはその後になります」

「分かった。リリコよ、本当に感謝するぞ」


 二メートル近い眼光鋭いイケメンが、頬を紅潮させてキラキラした目を向けて来ると少々ドキリとする。マンガのラブコメなら誤解をしてしまいそうな状況だが、私は見た目は平凡な自覚があるので平常心である。


 ただ私は仕事に関しては妥協をしないので、実際に彼がそう簡単にマンガが描けるかどうかは、彼の努力次第である。




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