……何故ここに?
「あのっ、私ミケールさんとお付き合いしてもいないですよね?」
「いずれ結婚する運命ですから、付き合いなどしても意味がないでしょう?」
「……私は誰とも結婚などするつもりはないのですが」
「僕以外とはですね。大丈夫、分かってますよ。だから僕もリリコさんの仕事が落ち着くまで待っているんじゃないですか」
冷静に諭そうとしても、全く話が嚙み合っていない。
いつも笑みを浮かべて楽しそうに仕事をしているミケールが、いつもと同じ穏やかな声で狂気じみた話を紡いでいる。
私は頭の中でぐるぐると考える。今までミケールと話した会話も全部は覚えていないが、彼に気を持たせるような話は一切してないし、そもそもクレイドにずっと片思いをしているのに、他の男に気持ちが向く訳もない。
ミケールからも、二人でどこか食事へ行こうとかデートに誘われたことすらないのだ。これで運命とか両想いとか言われても「正気ですか?」としか思えない。
「しかし、私も大分自由にさせていたつもりですが、ポテチ先生とはやましい関係じゃないという言葉を鵜呑みにし過ぎてましたね」
「本当にやましい関係はないですよ?」
「ですが、二人で食事をしたり買い物をしたりしていたのでしょう?」
「友人ですから。仕事の話などもしてましたし」
「いくら友人でも異性と二人でというのは頂けませんよね。結婚してたら不倫を疑われても仕方がないところですよ」
いや、結婚してないし、そもそも特定の恋人すらいないフラットな状態で、誰にも文句を言われる筋合いはない。私も少々ムッとして言い返そうとしたが、「そうだ!」と続けて出て来た言葉に背中にひやりとする。
「ようは気軽に出歩けなければ良い訳ですよね。マンガは両手が使えれば問題ないんですし、両足の腱に傷でもつけて歩けなくなれば、家から物理的に出なくて済みますよね。……ああ心配しなくても、私はこう見えて体力ありますし、軽いリリコさんを車椅子に乗せたりお風呂に入れるのも苦じゃないです。料理や掃除などもマメな方なので、リリコさんはマンガだけ描いてれば良い。マンガ家にとって最適な環境じゃありませんか」
「あなたが最適な環境を決めないで下さい。事故や自分の不注意でケガを負ったならまだ諦めもつきますが、何故健康な足を傷つけられなきゃならないんですか?」
「リリコさんが悪いんじゃないですか。運命の男がいると言うのに、他の男にフラフラしたりするからですよ。そうだ、馬車に轢かれて負傷したという筋書きはどうでしょうかね? 割と酔っ払いが道端で寝転がって手足を負傷したりするのは良くあることですし。ね?」
ね? じゃねえわ。何で鞄からナイフ取り出すのよ。つか何で持ってる。
マンガだけ描いてればいいって私は機械か何かなの?
「すみませんが、ミケールさんと結婚する予定は一切ありませんので、負傷する必要もありません。あの手紙も迷惑ですから、もう送って下さらなくて結構です。いえ送らないで下さい。迷惑です」
「素直じゃないですねえ。ワガママな女性も可愛いですが、あんまりツンケンしすぎるのもどうかと思いますよ」
そう言うと、ナイフを持っていない手で私の手首を掴んで引き寄せ、
「安心して下さい。痛いのは少しの間だけですから」
と耳元で囁いた。
「──嫌ですってば!」
余りにも身勝手な発言に我慢できずに突き飛ばした。
「ミケールさんのことは仕事相手としか思ってませんでしたし、運命も全く感じませんでした! 勝手な思い込みを人に押し付けないで下さい! 今は仕事付き合いすらしたくありません!」
ふらついたミケールがショックを受けたような顔をした。
「いつも会社で僕にだけ分かるように目配せしたり、笑顔を向けてくれていたじゃないですか!」
「仕事の話をするのに仏頂面でいろと? 目配せも勝手にミケールさんがそう感じただけですよね? プライベートな話すら殆どしたことはありませんよ私は」
「そんな……嘘だ!」
「嘘だと言われても、正直に話しただけです。恋愛感情など一切持ち合わせておりませんし、会話の数だけで言えば、デンゼル社長の方がよほど話をしてると思いますよ?」
「……デンゼル社長にも粉をかけていたんですか? まるで商売女のようじゃないですか。あんな素晴らしい作品を描いているのに」
「……はあ? 全く、人を侮辱するのもいい加減にして下さい!」
私は思わず大声で叫んだ。叫んでから気づく。そうだ、静かで人がいないから小声で話してしまったが、むしろ声を出した方が誰かに気づいて貰えるかも知れない。私はそのまま大声で話を続ける。
「勝手に作品と私を重ねないで下さい! 作品は作品、私は私です。第一ミケールさんは商売女などと女性を蔑むような発言をしてますが、需要があるから供給があるんですよ? そんな蔑んでいる女性を買う男性がいるからその商売が成り立つんじゃないですか。彼女たちだって仕事をしているんですよ生活のために。あなたが偉そうに言える立場じゃないでしょう?」
「……っ、黙っていれば生意気な!」
怒りのまま言い返してしまったことで、うっかりミケールを怒らせてしまった。彼がナイフを持っていたことをすっかり失念していた。
「こんな事件を起こしてただで済むと思ってるんですか? クビどころか牢屋に入ることになりますよ?」
「うるさいうるさいうるさーいっ!」
ブンッ、とナイフを振り回しミケールが叫ぶ。
「……何だよ大人しくていつもニコニコして出しゃばらない上品な淑女だと思ったら、とんだ食わせものだな。お前も会社の女と同じように口先ばかり上手い尻軽女だったんだな。ガッカリだよ。──もういいさ、死人になれば何も言えないだろう?」
明らかに足元を狙ってないナイフの刃。
せっかく第二の人生を頑張って生きようとしてたのに、こんな奴に殺されるのか。……いや、せめて最後まで足掻くぞ私は。今は怖いというよりも理不尽だという怒りの気持ちの方がはるかに大きい。
「誰かー! 助けて下さーいっ! 助けてーーーーっ!」
遠くまで届くようにありったけの大声で叫ぶ。誰か家から出て来て! 自警団の人呼んで!
「黙れ!」
ミケールがナイフを持ち替え私に振りかぶる。
……ああ、ダメか。私は思わず目を閉じた。
……が、いつまで経っても刃物が体に突き立てられることはなく、何故か「クソ、離せっ!」とわめいているミケールの声が聞こえ、目を開いた。
「……え?」
ミケールを思いっきり殴りつけ、倒れたところで腕を踏みつけナイフを蹴り飛ばした男が、「ケガはないか?」と私に振り返った。
「──クレイド?」
「リリコの悲鳴が聞こえて急いで声のする方に走って来たら、誰かに襲われそうだったので背後から引き倒して殴った。……だがこの男、良く見たらミケールではないか。何故このようなことに……」
私が大声を上げたのも役に立ったのか。
クレイドがミケールを馬乗りになって押さえつけていることで、ようやく安全が確保されたと感じた瞬間、私はボロボロと涙をこぼしていた。手足も震えてしまっている。思った以上に虚勢を張っていたようだ。
「……おーい、アンタ大丈夫かい?」
寝間着姿の中年夫婦が近くの家から出て来て、私に声を掛ける。人気がないと思っていたが、考えてみれば早朝からやっている店も多いし、仕事柄早く寝ている人たちも多かったのだろう。ぽつぽつと家に灯りが点き、何人か町の人が表に出て来たので、私は涙も止まらないまま、
「お願いします……自警団を呼んで下さい」
と繰り返していた。
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