マーブルチョコで落ちる女

「マーブル先生! この度は我が社のミケールがとんでもないことを致しまして、誠に申し訳ございませんっ!」

「デンゼル社長、顔を上げて下さい。別に社長のせいではありませんし」


 一夜明けた翌日の午前中。

 自警団からの連絡で事件を知ったデンゼル社長が、私の家に現れ土下座をした。クレイドは私が心配だからと昨夜からずっと一緒に居て、眠れない私の話相手になってくれていた。


「あの、ミケールさんは……」

「──朝一で面会に行って来ましたが、何やらぼんやりと遠くを見ているような感じで、話もろくに出来ませんでしてな。……いや、十年以上うちの会社に居て、本当に良く働く真面目な男だったんですがね。何でこんなことをしでかしたのか……」


 デンゼル社長も、私がずっと考えていた『真面目で仕事熱心な人』という印象を持っていたそうだ。


「ですが、三年前にたった一人の身内だった母親が病気で亡くなりましてな。一度暫く休んだことがあったんです。料理上手でいつもニコニコしてるような優しい人だった。──それからまた仕事に復帰したんですが、表情は暗かったですよ。仕事は今まで通り熱心というか、むしろ仕事に集中でもしないとやってられないといった感じで、今まで以上に良く働いたんですわ。残業も何時間も毎日やるもんで、体を壊すからサッサと帰れと追い出したこともあるほどで」

「そうなんですか……」

「でも、うちでマンガを出すような話になった辺りから、吹っ切れたような感じで明るくなって、ああようやく母親が亡くなった辛さから立ち直ったんだとばかり思っておったんですが、まさかマーブル先生にそんな感情を抱いていたとは……」


 デンゼル社長も、長い付き合いだったし、子供がいない自分には息子のように思っていたと言う。今でも信じられない気持ちなんですよ、とガックリとうなだれた。


「……リリコが描いたマンガが孤独なミケールの心に響いたのであろうよ。それが勘違いや、描いている本人への思慕に繋がったやも知れぬ。リリコのマンガはキャラクターの性格といいストーリーといい、どこか温かいものを感じるからな。読んでるといつもホッとする」


 クレイドが意外なことを言うので私は少し驚いた。


「クレイドはそんな風に思っていたんですか? 初めて聞きました」

「もちろん絵柄が好きとか話が面白いとか……理由は他にもあるがな」

「……ほー。師匠としてはありがたい限りですねえ」


 照れ臭くなって冗談っぽく返したが、本当はとても嬉しかった。


「──マーブル先生」


 デンゼル社長が顔を上げた。


「ミケールの奴はきちんと罪を償わせます。ただ当然ながらマーブル先生の我が社への信用はがた落ちかと思います。マンガを描くことで、下手に誤解を受けたりして、描くのも嫌になってしまったかも知れません。……ですが、先生の作品を待っているファンの方が沢山いらっしゃいます。私はマンガで子供たち、ひいては私ら世代の大人まで一緒になって楽しめるものが生まれたことが、本当に喜ばしいと考えているんです。……ですので、こんなことを言えた義理ではありませんが、時間がかかってもまた、一から我が社と信用を築いて行っては頂けないでしょうか?」

「……そうですね」


 私は少し考え込んだ。


「確かに、事情はどうあれミケールさんの行動は私には許せるものではありませんし、本当に怖かったです。……ですが、私はずっとマンガを描いて生きて来た人間です。他の方のように接客が上手いとか美味しい料理が作れるとか洋服を作るセンスがあるとか、そういう得意分野というのが、お恥ずかしいことにマンガしかないんです。ですから、辞めてしまうと何にも出来ない人になっちゃいます。──なので、これからもマンガ家として出来る限り頑張って行きたいと思っていますし、ホール出版社にはこれからもお世話になりたいとも考えてます」

「……おお、では!」

「ですが、暫くは原稿取りに来て下さったり、打ち合わせなどは信頼しているデンゼル社長以外の男性は抜きでお願いします。無意識でも誤解を招かれるのはこりごりですし、まだどうしても恐怖心が抜けないので」

「それはもちろんです! シャロルや他の女性編集しか接点も持たせませんよ。マーブル先生、改めてこれからもどうかよろしくお願い致します」


 デンゼル社長は涙ぐみながらも改めて深く頭を下げ、帰って行った。


「……ふう」


 デンゼル社長を見送ると、何か力が抜けたようになりため息が漏れた。


「リリコ、大丈夫か? 全然寝ていないだろう、少し休め。不安なようなら私はソファーのところにいるから安心して眠ればいい」

「クレイドだって眠ってないじゃないですか」

「男は女と違って頑丈だからな」


 改めて紅茶を淹れてテーブルに運ぶ。そこで私はふと気になっていたことを思い出した。


「クレイドって確か帰りの馬車のところにいましたよね? 何故私の家の近くにいたんですか?」

「──ああ、そうだった。忘れていた」


 クレイドが自分の鞄を開けて、二つの袋をテーブルに乗せた。そのまま私へ押し出す。


「……これは?」

「いやな、先日トールのところに資料を求めついでにリリコのマンガと手紙を渡しに行ったのだが、リリコは先週誕生日だったそうだな」

「ああそう言えば……」


 こちらでも一年は十二カ月だし、時計もあり二十四時間周期だが、日本と時間の過ぎ方が異なるので、どうも誕生日という感覚が曖昧になっていた気がする。それに、日本でなら一年だがホーウェン国ではもう三年ほど経っているのだ。二十七歳と言っていいのか、二十九歳なのか、どちら視点で考えればいいのやら。見た目は特に何も変化はないが、五年後十年後はどうなんだろう。


「じゃあ、これもしかしてプレゼントですか?」

「そうだ。パーティーの時に渡そうと思っていたら、仲間と仕事の話に夢中になってすっかり忘れてしまっていてな。帰りに気がついて、リリコの家まで届けようと歩いていたら叫び声が聞こえたという次第だ。今回はむしろ忘れていて良かったと心底思った」

「本当に。命の恩人です。またクレイドに助けられましたね私」

「……前回は私のせいで死んだようなものであろうよ」

「またまた。あれは自業自得だと言ったじゃないですか。……開けていいですか?」

「ああ。トールと私からだ」


 私はワクワクしながら一つ目の袋を開いた。弟の見慣れた文字の手紙が入っていたので、これは弟からだろう。中身は私の愛用していた頭痛薬と腰痛の時に病院で処方されていた湿布だ。結構な量が綺麗にラッピングされていてちょっと笑ってしまった。

 手紙には「そっちで仕事再開するようになったから、これから必要になるかも知れないと思って」とある。ありがたい。ただ、手紙の最後の方に、「いいかげん恋愛ポンコツ同士、クレイドとくっついちまえ。俺は恋愛相談は苦手なんだよ!」とあってドキリとしてしまった。私は弟にクレイドの話はしていないはずなのだが。

 もう一つのクレイドのプレゼントも開けると、そこには沢山のマーブルチョコが入っていた。ケース入りだと場所を取ると思ったのか、買ったものを全部ばらして透明の袋に小分けにして入れたものだ。これ一体どれだけ買ったのだろうか。様々な色がぱっと視界に入って顔がにやけてしまった。


「そう言えば最近弟に頼むの忘れてましたねえ。沢山あって仕事の合間に食べていたら太りそうです」

「少し細すぎるのだから、もっと肉がついても構わぬだろう」

「ダメですよ、せっかくお高いワンピースとか買ったばかりなんですから。でも大切に食べますね。これ簡単には腐らないでしょうし」

「ああ。……一応手紙も書いたので読んで欲しい」

「……え? あ、チョコに埋もれてました。すみません気づかずに」


 私はクレイドから手紙なんて初めて貰ったなあ、と思いつつ開く。


『リリコへ


 誕生日を知らず、今まで祝えなくて申し訳ない。

 トールに聞いたが、日本では毎年誕生日にはお祝いをしたりするそうだな。こちらではそういう習慣がないので、気にしたこともなかったのだ。これからは日本と同じように毎年プレゼントをしようと思っている。


 そして、一人暮らしを楽しんでいるところ大変言い出しにくいのだが、良ければ城に戻って来て貰えないだろうか?

 実は、ずっとリリコが来てから一緒に生活を共にしていたせいか、リリコのいない毎日が味気なく、マンガのような白黒の世界にいるようなのだ。……もちろん毎月のように出て来て、リリコと会って楽しい時間を過ごしてはいるのだが、城に戻ると途端にまたリリコのいる町に戻りたくなってしまう。


 トールに少し相談したところ、それは恋ではないかと言われた。師弟であるし友人だからと言ったら、師匠や友人に毎日会いたいとか一緒に暮らしたいとは思わないだろう、と言われてそれもそうかと得心した。


 私にはマンガを描いていても、そういう恋愛事には全く疎いもので、自分の感情を上手く表現出来ないが、私はリリコが好きなのだと思う。

 死ぬ原因を作ったような相手に好意を持てるか、と言われれば返す言葉もないのだが、出来ればこれからマンガを描きながら、城でずっと一緒に暮らして行きたいと思っている。

                         クレイド』


 私は口を開けたまま目で文章を追っていた。

 クレイドの方を見ると、相変わらず目つきは前科●犯と言いたくなるような凶悪さだが、耳が少し赤くなっている気がする。


「あのう……これを読むと、まるでプロポーズされているみたいなんですが」

「……やはりダメだろうか?」

「ダメというか、ええと、本当に好きなんですか、私のこと」

「好きだ」

「で、ですが魔王様は、魔力を持った方と結婚するのではないんですか?」

「……? いや、特にそういったことはない。世襲制ではないしな。一般の人間から突然魔力を持った人間が生まれることもあるし、私の子供が生まれたからといって、魔力を引き継ぐかどうかも分からない。現に私の両親は魔力を持たない普通の人間であった。千年以上前に亡くなったがな。不思議と力が衰え出す頃に、また魔力の強い者が生まれるのだ。世界というのは上手く出来ているものだ」

「はあ、なるほど……」


 私は頷きながら、それにしてもクレイドからまさか恋愛的な好意を持たれていたとは思わなかったと内心驚愕していた。お互いに恋の駆け引きだの機微だのに鈍感過ぎたのか。私は弟の手紙を思い出して顔から火が出そうな思いであった。でも考えてたことはこの際ぶっちゃけてしまおうと決めた。


「……ただ、私はもう日本で死んでる人間ですし、こちらで何故か普通に暮らせてますけども、いつポックリ逝くか分からないんですよ? そんな女は気持ち悪くないですか?」


 クレイドは不思議そうに首を傾げた。


「リリコは預言者なのか?」

「……え?」

「他の人間でいつ死ぬとはっきり分かっている者がいるのか? 私だって長命とは言え、いつ死ぬかなど分からぬぞ? 別に不死身ではないし、誰かに刺されたり病気や事故で死ぬこともある」

「いえまあそれはそうですけど」

「誰もが死ぬ時期は神任せだ。老若男女問わずこれは変わらぬ。いつ死ぬかなどと予測のつかないことを心配するよりも、毎日を悔いなく生きる方が有意義だろう? それにリリコを気持ち悪いなどと感じていたら、好きだとは言わぬであろうよ。大体私の方が周囲に怖がられる顔立ちゆえな」


 ……言われてみればその通りだ。いつ死ぬかなんて誰にも分からない。


「今回の件があって、リリコに危ないことが、またいつ自分の知らぬ間に起きるのかと考えただけでゾッとした。反面、これを理由に城へ連れ戻せるチャンスではないかと喜ぶ浅ましい自分もいたりな。──ただ最近気づいたのだが、私がマンガを描く理由は、国にマンガを広めたいし、民を喜ばせたいのも嘘ではないのだが、一番に読んで貰って楽しませたいのはリリコなのだ。リリコが面白いと言ってくれるだけでやる気がみなぎるし、描き続ける力が湧くのだ」

「…………」

「こちらの方が気持ち悪いと思われるかも知れないが、これからも私のマンガの原動力になっては貰えないだろうか? 一生大切にすると誓う」

「……ごく一般のプロポーズとはかけ離れてますね」


 私は笑った。そのままクローゼットの方へクレイドの手を引っ張った。

 中を開けると、クレイドの作品だけを揃えた隠し本棚を見せる。


「これは……?」

「私もクレイドのマンガを自分の仕事のモチベーションにしている、ということですよ」

「……リビングの本棚に私の作品が一つもないので、てっきり好んではいないのかと……」

「好きな人の作品を堂々と人前に出せるほどメンタル強くありませんので、コソコソとしておりました。あははははは」

「──本人をモチベーションにしてくれるとありがたいのだが」

「はい。宝石でもなくマーブルチョコなんかで落ちるような安い女ですが、これから末永くよろしくお願いいたします」


 いきなり抱き締めた目つきの悪い二メートル近い大男をそっと抱き返し、私は思わぬ幸せを感じていた。




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