魔王、マンガにはまる

 泣き出した弟を暫く見ていたものの、ちっとも収まる様子もない。先に冷静になった私が、とりあえずいつまでも玄関先でお客様をほったらかしにするのは止めなさい、と中に案内させた。


「ああ、相変わらず姉ちゃんだわ……」


 まだ涙は止まらないものの軽口が出るまで復活した弟がリビングに案内すると、小さな台が新たにテレビの横に置かれており、その上には私の遺影と花瓶に生けられた花、遺骨が入った骨壺が鎮座していた。線香が沢山焚かれていたようで、部屋の中の空気が白っぽい。換気で窓を開けて欲しいと頼む。


「……それにしても、もう少しまともな写真はなかったの?」


 遺影は、弟の初の出版祝いで外で高級焼肉をご馳走した時に撮られた、私が弟の本を持ってご機嫌な顔でピースしてる写真である。少しアルコールも入っているので目の辺りも少し赤い。


 窓を開けてからキッチンでお茶の用意をしていた弟が、そもそも写真なんかほぼ撮ってないじゃん俺も姉ちゃんも、と返して来たので、それもそうかと反省する。大体がSNS映えを考えたりとか、どこかで記念写真を、という行動を取らない姉弟なのである。しかし、自分の骨壺を自分で見る羽目になるとは思わなかった。貴重な経験である。最近の骨壺はオサレなのか、天使のような形の白磁の人形の形をしていて何故かちょっと嬉しい。もちろん全部入るようなサイズではないので、残りは父母の墓に入れる予定だそうだ。


「ほら、君もそこのソファー座ってね。紅茶で良かった?」


 キッチンから茶を乗せたトレイを持って出て来た弟が、物珍しそうにあちこち見回しているクレイドに声を掛けた。


「ああ、済まない。こちらの人間の家に入るというのは初めての経験ゆえ、失礼した」


 クレイドはハッとした表情になり、静かにソファーに座る。


「こちらの人間……?」


 首を傾げる弟に、私はサラっと打ち明けた。


「驚くなかれ、クレイド様は魔王様なのよ」

「クレイドってのがコイツの名前? ……姉ちゃん、もしや生前に俺が知らないような悪いことでもして、死んでから地獄に落ちたのか? まさかコイツに使役とかされてんの?」


 急に鋭い眼差しでクレイドを見る弟に私は慌てた。


「いや、閻魔様じゃないってば。魔王よ魔王。トールが良く書いてる異世界の魔王だってば」


 私は死んでからの経緯を説明した。


「だからね、私が自分の健康を過信して無茶した結果死んだだけで、別にクレイド様は関係ないのよ。むしろそのまま地縛霊とかにならないよう救ってくれた、通りすがりの善意の第三者。わざわざトールのところまで会わせに連れて来てくれたんだし、まずは無礼を謝りなさい」

「……そうなのか。──失礼な態度取ってすみませんでしたクレイド様。姉ちゃんに会わせてくれて本当にありがとうございます」

「親族とはいえ、人によって霊感というのは強弱がある。お主がリリコの姿を見られるかどうかは正直半々だった。もしトールにリリコが見えなかったら、私は虚言を吐く狂人扱いだったであろうし、そうならなくて済んだだけ良かったゆえ気にするな」

「まあ、確かにそう言われると返す言葉もないんですが……本当にすみませんでした」


 自分の非を認め深々と頭を下げる弟に、しっかりした子に育っているのを感じて、私が居なくても大丈夫だわ、と一安心した。


「それでトール、ちゃんと会えたし話も出来るから、多くないけど私の遺産とかね、マンションの荷物の整理の件について話をしたいんだけど」

「ああ、俺も分からないことあって、どうしようかと悩んでたんだよ。でも、クレイド様は聞いてても分からないだろうし退屈だろう?」

「……それもそうよね」

「ん? ああ、私のことは気にするな。本棚の書物でも読んで待っておるゆえ……これはリリコが描いたものなのか? いや、だが著者は斉木まーぶると書いてあるな……」


 私たちの話を聞きながらソファーの後ろにある本棚を眺めていたクレイドが、一冊の本を抜き取り眺めた。


「ああ、この国ではペンネームというのがありまして、斉木まーぶるは仕事で使う私のペンネームです」

「おお、そうなのか。それならば私はリリコの本を読んで待っているので、気にせず積もる話をすれば良い」

「──え? 日本語、読めるんですか?」


 驚いたように弟がクレイドを見た。


「数百年も行き来しているのだ。こちらの文字が読めなければ書物から情報を得ることすらままならぬであろう? しかし、このように絵が多いものは読んだことがないのだが……」


 そう言いながら紙をめくったクレイドが、そのまま黙って食い入るように読み始めた。自分の作品を目の前で読まれるのはこっぱずかしいような気持ちなのだが、まあ少しでも時間をつぶしてくれるのであれば有り難い。弟には貯金通帳や印鑑の置き場所、カードの暗証番号、税理士さんと弁護士さんの連絡先など細かいことを全部説明してメモをして貰う。


「まあ先日印税が入って来たばかりで数百万ぐらいは入っているけど、来年税金ががっと来るだろうから、とりあえずそれの支払いが済んでからトールが残ったの使いなさい。税理士さんと相談してね。あと、多分これから出た本の印税とかもまあそこそこ入るだろうから、出版社に連絡して遺族として自分に入るような切り替え手続きも弁護士さんと確認してくれる? その辺は私良く分からないから。それと、服やアクセサリーなんかも別に高級なものはないから全部捨てちゃっていいわ。本や家具、電化製品の類も必要ないのは処分して構わないからね。マンションも賃貸だから、早く空けてくれた方が大家さんも助かると思うし、早めにやっておいてくれると助かる」

「分かった」

「あと、作業机の引き出しにトール名義の通帳も入っててね、病気とかで入院とか当座の生活費が必要だった時に渡そうと思って、月々少しずつだけど貯金してあるのがあるの。それは遺産手続きじゃなく、トール個人のものってことで着服しといて。まだ百万にも届いてなかったし、名義もあんただから多分問題ないでしょ」

「着服とか言うな。それも一応弁護士さんに確認するから。──俺もそこそこ稼いでんだから、自分の結婚資金とかにしとけよ余った金は」

「相手も居なかったしねえ。まあ結局死んじゃったし、そんな貯金してても結局使わなかったんだからいいわよ。税金とか諸経費抜いて、残ったお金はトールの結婚資金にしたらいいわ」

「俺だってそんな相手いねえよ。……金なんかより姉ちゃんが生きててくれた方がなんぼか嬉しかったよ俺」


 また目を潤ませる弟に、私は肩をぽんぽんとしようとしてまたスカッと手がすり抜けた。シリアスになり切れないものである。


「……ごめんね。天涯孤独にしちゃって。私ももう少し健康に気をつけてれば良かったわ。もう今さらけど後悔先に立たずだから。……だけど、トールも仕事は無理しないでね。私みたいに、たまたま通りかかった魔王様が助けてくれるなんて偶然は滅多にないんだから」

「うん……うん……」


 まだメソメソしている弟を見て、この子は本当に泣き虫ねえ、と視線をそのままクレイドに移すと、目の前に読み終えたらしい本が十冊は積んであり、目を爛々とさせ、怖いような熱心さで黙々と私のマンガを読んでいる。


「……クレイド様? あのう、面白いですか? 私の本」

「…………」

「……おーい、クレイド様ー?」

「……ん? おお、リリコ!」


 何度か無視されて、持っていた本を読み終え、ようやく私の声に気が付いたクレイドが、頬を紅潮させて私に顔を向けた。


「リリコは素晴らしい画家だ! とても興味深いぞこの書物は。ページを繰る手が止まらぬわ」

「画家というかマンガ家というんですが、まあ楽しんで頂いて何よりです」

「トールよ、済まぬがこのような書物はもっと沢山あるのだろう? こちらで流通する金は持ち合わせておらぬが、この宝石と引き換えに、持ち帰って読める本を譲っては貰えぬか?」


 クレイドは手首に着けていたシルバーに赤や青の宝石がついたブレスレットを外すと、弟に手渡した。


「え? いや、でもこんな高そうなもの……」

「頼む! 我が国にはこのような書物はないのだ。城に戻れば金塊や別の宝石もあるのでいくらでも持って来られるぞ。町での商品取引以外はさほど使い道もなかったが……ああ、日本にこのような書物があると分かっていれば、もっと早く手に入れていたものを!」


 やたらとテンションの高いクレイドに弟も押され気味だ。


「いや、マンガぐらい、姉がお世話になってるし、お礼代わりになるなら全然問題ないんですが……こんな小さな家の本棚に収まる程度ではなく、どうせなら本屋でどんな本が並んでいるか見た方が良いのでは? 沢山種類もありますし、夜中までやってる本屋がありますので車も出しますよ」

「おお! そうか! 心遣い痛み入るぞ! リリコ、お前の弟は何と出来た人間であろうか」


 目をキラキラさせてこちらを見るクレイドは本当に子供のようで、私も思わず笑顔になった。


「……それじゃあ、弟にばーんと本を買って貰いましょうか」

「おうよ。どうせ姉ちゃんの遺産で小金も入るし、いくらでも買ったるわい。お金のことは気にせず、どーんと言ってくれ」


 ようやく弟がいつもの陽気さを取り戻した笑顔になった。

 車で十分ほどの、ITOYAという大きなチェーン店の本屋の棚を見て、クレイドの歓喜が限界突破し、あれもこれもと買い物籠に入れて収まらなくなり、お店に台車を借りて嬉々として本を載せ始めたのを見て、少し引きつった笑顔になりはしたのだが。


 ホーウェン国に帰る際も、弟の大きなキャリーカートを借りて、コロコロさせながら幸せそうに戻るクレイドは、同人誌即売会でお目当てのものが買えて大満足な兄ちゃんみたいだ、と弟が呟いていた。


 だが、彼にマンガの知識を与えたことで、ホーウェン国での私の暮らしが激変することになるとは、この時点では全く予想していなかった。




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