サイン会

「──これからサイン会だと言うのに浮かない顔だなリリコ」


 私が憂鬱そうな顔で作業部屋でお茶を飲んでいると、資料を取りにやって来たクレイドが心配そうに隣の椅子に腰かけた。


「え? あはは、いやそんなことはないですよ。ちょっと疲れたかも知れませんね。締め切り前で結構修羅場だったので」

「そうか。リリコは何でも自分一人でやってしまうからな。いくら好きでも仕事を詰めないで適度に休むのは大切なのだぞ? 日本にいた頃もかなりの無理をしていたではないか」

「そうですね。反省します」


 私の返事でホッと安心したように戻って行く。そんなことを言っている彼も、空いている時間にも新しいマンガのプロットを練っていたり、キャラの表情や背景の構図を考えてせっせと描いていたりする。クレイドだって相当な仕事人間である。


「……ふう」


 私は確かに浮かない顔をしているのだろう。サイン会に行きたくないのは事実なのだから。


 私がマンガ家としてデビューしてから、この一年はかなり充実した生活を送っている。今までタイトルと作者名のみとなっていた表紙にも、白黒ではあるが日本のように表紙絵を入れる形式を取り入れたりしたためやたらと目立つことになり、驚くほど手に取って貰える率が上がったのも、知名度が一気に上がった原因かも知れない。周囲もそれに追随するように表紙入りのマンガや小説が出回るようになった。

 それは良いのだが、その結果、沢山の人からファンレターを貰ったりすることにも繋がり、サイン会というのも行われることになる。

 私はクレイドと違って一般庶民だし、怖がらせる顔もしていないのでサイン会でのコスプレなどはしていない。むしろ仕事を増やすために顔を売りたい人もいるので、コスプレスタイルはごく少数派だ。


 最初は嬉しくてマメにサイン会もやっていたが、とあるファンが一般的な常識人ではないことにも気がついた。いわゆる盲目崇拝系である。


「素晴らしい作品で涙が止まらなかった」

「人物描写がこまやかで一緒になって冒険しているような気持ちになった」


 までは良かったのだが、


「神のごとき完成度で、これ以上のマンガ家はきっと現れない」

「作品を通してマーブル先生と私は出会う宿命にあったと今なら分かる」

「このような作品を描ける人は、きっと人格も高潔で慈悲深く全てを受け入れる女神のような人に違いない」

「私が貴女を一生支え続けるので、是非結婚して欲しい。二人は離れ離れだった片翼同士であり、対になり永遠に惹かれ合う運命なのだ」


 と徐々にエスカレートして来た。何だよ離れ離れの片翼同士って。一番大事な本体どこ行ったんだよ。

 週に一、二回のペースで全て同一人物である。毎度グリーンの葉っぱの舞うレターセットで、びっしりと便箋三枚ぐらいに整った文字で、誉め言葉とマンガの感想が書き連ねられており、最後は決まって【貴女のMより】と正確な名前すら明かしていない。


 最近では町で買い物をしていた私の観察記録から、服装への注文、結婚した後の幸せな暮らしについて妄想で色々書き込まれている。もはや単なるファンではなく立派なストーカーである。貴女のMとか言われても知らん。マーブルだってMだし。マイケル、マーク、モートン、ムーアにマリガン……おっとマリガンは女性だった、ともかく沢山ありすぎて全く絞り込めないし、年齢も分からない。結婚したいとかほざくぐらいだから男性なのであろう、と予想できるぐらいである。


 サイン会で誰か目星が付けられないだろうか、とサインをしながら注意深く観察していたが、私の目がポンコツなのか、老若男女問わず言動もごく普通だし、純粋で良いファンにしか思えない。

 もう学校にもたまにしか行かないし、ほぼ引きこもって黙々とマンガを描いているだけの私と直接会えるのはサイン会ぐらいだ。必ず来てくれたファンの男性のうちの一人に違いない。そう考えると、疑心暗鬼になるし他の純粋に応援してくれるファンの人たちに失礼だという気持ちにもなる。

 だから、ファンの人に会えるのは嬉しいけど近頃は憂鬱、という状態になるのである。


 弟にもこんな手紙が来てねえ、と相談の手紙を出したが、「俺もめっちゃ加工された女の子の写真と、メルアドと電話番号が添付されたファンレターが届いたりするけど、実際に家まで来られたことはないなー。来たら即通報するけどさ。まあ気色悪いには違いないけど、特に被害が出てないなら、単なる姉ちゃんの熱烈なファンだ、ぐらいに思っておけばいいんじゃない? 現時点では放置プレイ推奨」と返事が来て、確かに今のところ実害は出てないし深く考えすぎかもなー、とは思うのだが、やはり非力な女ではあるので、不安はあるのである。


「……ま、城に住んでる間は門兵さんもいるし滅多なことは起きないか」


 アルドラみたいな絶世の美女でもないしね。

 私は気持ちを切り替えて出掛ける準備を始めるのだった。




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