模写しまくって下さい

 クレイドに確認をしたら、使っていない部屋はいくらでもあるということなので、日当たりの良い部屋に大きな四角いテーブルを二つと椅子、それにこちらにも存在した大きな黒板とチョークを用意して貰った。


 ホーウェン国には電気というものは存在しない。暗くなったら灯りをつけるが、使うのはロウソクや油を入れたランプである。雰囲気としてはオレンジの灯りはロマンチックだし嫌いではないが、手紙程度ならまだしも、絵を描くには暗すぎるのだ。この国でマンガを描くならば、朝から夕方までの明るい時間がベストである。

 全て準備が出来た際に、私は彼に言った。


「クレイド様。私は職業として、お金を頂いてマンガを描く仕事をしていた人間です。ですから一度引き受けたからには全力で指導をさせて頂きます」

「勿論理解している」

「今までご自身が見て来たマンガのようなものを描きたいと言うことはプロ、つまり職業として名乗れる高いレベルの作品を描きたいということで間違いないですね? つまり趣味範囲ではないということですが」

「ああ。今後我が国に広めるためにも低レベルではいけないと思う」

「──分かりました。ではまず、マンガを描くことについては私を師として、私の指導に口を挟まず、きちんと学んで頂くようお願い出来ますか? 魔王様としての高い地位や権力は、マンガを描くことに何の関係もありませんし、私が忖度したり遠慮して教えなければならないと、正直早い成長を阻害すると考えます」

「もっともだな。異議はない」

「ではまず、クレイド様の画力を確認したいと思います。そちらの鉛筆を使い、何でもいいんですが……人物、男性でも女性でも構わないので人を描いて下さい。描いたことがないと仰っていたので下手でも問題ありません。全身と首から上の部分だけを試しに描いてみて下さい」

「む……分かった」

「消しゴムで修正したい部分は消せますのでまずは気楽に」


 頷いてカリカリと描き出した彼を見ながら、私は弟に頼んでいたノートを開き、後日頼むものとしてシャーペンを追加する。鉛筆は描きやすいのだがすぐに先が丸くなるし、減りが早い。カラーペンもいずれは頼まねばならないが、まだまだ先の話だ。


「……出来たぞ」


 クレイドが渡して来た紙を覗くと、女性だった。スカートを履いているのできっとそうだろう。

 まあ概ね予想通りというか、幼稚園児がクレヨンで描いた『わたしのおかあさん』のイメージに近い。手足は棒状だし顔は大きい。デッサン力はまだ皆無と言っていい。私は少し頭痛がして来た。だが、今まで描いたことがないにしては、ちゃんと目と鼻と口が定位置にあるのは褒めてもいい。

 私はマジックを取り出して、空白部分に大きく【1日目】と書いて壁に画びょうで貼り付けた。


「これが、初めて描いたクレイド様の絵です。ここから私が教えることは何もない、と言えるところまで定期的に進化を貼って行きましょう。上手くなって行くたびに自信を持てます」

「……その下手な絵を当分見なくてはならないのか」


 彼を見ると若干顔が赤い。思った以上にマンガを描く上で実力が伴っていない自身を恥じているのが窺える。


「……あのですね、今読書室にあるマンガを描いている方が、最初からあんなに上手だったと思いますか? 私だって昔はクレイド様より下手だったですよ。絵は描かないと上達しないんですよ。マンガ家としてデビューしてからも絵は成長します。描き始めたばかりでちゃんと人と判断出来る絵が描けてるんですから、伸びしろはあります」

「本当だろうか?」

「はい。逆に上手くなったらこういう絵は描かなくなるので、大変貴重とも言えます。自分の成長が定期的に見えるようにしておくのも、やる気が出て良いですからね」

「──精進しよう」

「さて、それでは本日のお題です。図書室から好きなシーンが入っているマンガを数冊選んで持って来て下さい」

「? うむ」


 暫く待っていると、三冊の本を抱えたクレイドが戻って来た。私も読んだことがある格闘マンガと恋愛マンガ、少年の冒険マンガである。


「ありがとうございます。ではそれぞれのお気に入りのシーンを、見ながらで構わないので同じように模写して描いて下さい。あ、背景なども全てお願いします」

「だが、真似をするのは良くないことではないのか?」

「別に悪くないですよ? 模写をすることで早く上達するんです。今見ないで想像だけでそういうシーンを描けますか? 描けないでしょう? そして、自分で同じシーンを描くことで、どういうところが感動したのかとか良いと思ったのか、ポーズなのか背景も含めての相乗効果なのか表情なのか、みたいなものが段々と分かって来ます。それは自分がこれからマンガを描いて行く上でも役立ちます」

「……分かった。しかしこの作業はかなり時間が掛かると思うのだが」

「構いません。むしろ時間を掛けて下さい。急いで描こうとすれば雑になります。雑に描いたものは、読者は自然と分かります。読者にやっつけ仕事みたいな絵を見せるのは失礼なことですし、感動など与えることは出来ません。描く速度などは、練習するうちに嫌でも早くなりますので、今は丁寧に、というのを最大の目標にして下さい。その間、私はポテチの製作についてコック長から相談を受けているので、少し席を外します」

「頑張ってみる……作れたら後で私も欲しい」

「分かりました」


 私は机に向かってマンガを見ながら、少しずつ描き始めた彼を置いて部屋から出ると、厨房に向かった。


「おおリリコ! 待っていたぞ」


 オーク族のコック長が笑顔で私を招いた。


「ポテチの件って聞きましたけど」

「ああ。ポテチってのはよ、美味いけど、ジャガイモの薄さとかが大事じゃねえかと思うんだよ。うちの国でも沢山ジャガイモは採れるし、安いんだけど、せいぜいスープに入れるぐらいしか使い道なくてな。形もすぐ崩れちまうしよ。こりゃあいいやと思ったんだけど、俺は細かい作業が苦手っつうか、ほら、手がデカいだろ? だからどうしてもあそこまで薄く切れなくて、揚げてもなんかべちゃっとしたような感じになるんだよな。長く揚げてたら焦げちまうしよ」


 手のひらを広げたコック長だが、確かに私の手の倍近くはある。特に他の料理はそこまで薄く切るような作業は必要ないので、手が大きくても今まで問題なかったらしい。料理好きで綺麗好きなオーク族は、料理をする仕事が多いらしく、他の何人かいる助手もオーク族である。


「私がいた国ではスライサーという専門の機器があったんですけどねえ……串切りや細切りにして揚げるというのもあるんですけど」

「いや、あのサクサクした感じが好きだから、まずアレを作りてえんだ」


 私も人並みには料理はしていたが、そこまで専門的な知識はない。

 ただ、薄く切れる人が居ればいいだけなんだよな、と思った時に、ふとある人の顔が浮かんだ。


「ゴブリンレディーさんとか手先器用そうじゃないですか?」

「んー? おお、ゴブリン族は確かに細かい作業は得意だな。だがゴブリンレディーも別の仕事をしてるし、俺らの仕事の分野で迷惑かけんのもなあ」

「出来ない部分はお互い助け合うものじゃないですか。上手く行けば、休憩室とかにおやつ代わりにポテチ置いたり出来るし、メリットもありますよ」

「そうか……それもアリか。ちと聞いてみるか」


 そのままコック長と一緒に作業場へ向かうと、ゴブリンレディーの皆さんは洗濯したものを畳んだり、取れたシャツのボタンを繕ったり、破れた部分を縫ったりしているところだった。


「おやリリコじゃないか、あれまコック長まで。一体どうしたんだい?」


 最初に仲良くなったゴブリンレディーのお姉さん(何歳かは不明だが、クレイドによると長命な種族が多いらしいのできっと物凄く年上)が私を見て手を挙げた。彼女はゴブリンレディーでは唯一髪の毛を短く切っている。長いのは鬱陶しいらしい。女性のゴブリン族は髪の毛が豊かで、編んだ髪の毛を後ろでまとめたり結んでている人が多いのに、何故男性のゴブリンさんたちは毛根が死滅しやすいのだろう。謎だ。


「実はですね……」


 私が説明すると、あはははは、と陽気に笑った。


「何だいそんなことかい。ジャガイモを薄く切るだけでいいなら簡単なことさね。ちょいと待ってな、洗濯物を片付けたら今日の仕事は終わりだからさ」


 そういうと、本当に十分ほどで作業を終わらせて、他に三人のゴブリンレディーを引き連れて厨房にやって来た。


「私らは全体的に小柄だろう? だからナイフも軽くて薄いものを専用で使ってるんだ。多分ジャガイモを薄く切るのにゃあ最適じゃないかい?」


 彼女たちが袋に入れて持ってきたのは、長さは十五センチほどで刃の幅が一センチあるかどうかの薄い果物ナイフのようなものであった。力もそんなに強くないので、切れ味はかなり鋭くしてあるらしい。

 ジャガイモを試しに出来るだけ薄く輪切りにしてくれと頼んだら、向こう側が透けるぐらいペラッペラな薄さで切ってくれて感激した。コック長も「こりゃあ凄いぜ!」と早速油で揚げ始め、日本で売っているポテチと遜色ない薄いものが出来上がった。木のボウルに山盛りにして塩を振り、ゴブリンレディーさんたちに渡す。


「これ、私の国ではおやつで食べられてるんですが、いかがですか?」

「そうなのかい? じゃ、頂こうかね」


 見たことがない調理方法で戸惑っていたゴブリンレディーだが、口に入れて食べるとぱああっと顔が笑顔になった。


「何だいサクサクして軽くて美味しいじゃないか!」

「あら本当! 油で揚げるなんてちょっと重たいと思ったけど、全然そんなことないわね」

「うちの旦那の晩酌のつまみにも良さそうだわ」


 思った以上に好評らしく、私も嬉しい。


「すまねえけど、週に二回とかでいいから、ジャガイモ切る作業してくんねえか? 休憩室にも沢山作って置いとくからよ」

「こんなの別に難しいことでも何でもないし、いくらでもやるよ。休憩しながら美味しいお茶請けあるのも嬉しいしねえ」

「任せておくれよ」


 ゴブリンレディーは出来上がった大量のポテチをボウルに入れると、休憩室にいる仲間と食べるからとご機嫌で帰り、私もクレイドと食べる分のポテチを手に入れた。これで定期的にポテチをつまめそうだ。太らないよう気をつけよう。


 作業部屋に戻ると、まだクレイドは作業中だったので、読書室にいるから終わったら教えてくれと声を掛け、読み終えてなかったマンガの続きを読みに行った。


「……描き終わったぞ」


 暫くのんびりと読書をしていると、クレイドが入って来て、テーブルに載っているポテチに気が付いた。


「おお、ようやく出来たのか? うむ、ジャガイモの薄さも申し分ない」


 シャリシャリと食べ出す彼からボウルを取り上げると、「今日の作業が済んでからですよ」とたしなめた。

 そのまま一緒に作業部屋に戻り、模写したシーンをじっくり眺める。

 背景もざっくりだし遠近感おかしいし、人物のサイズや顔のパーツの配置などまだまだ下手クソなのは仕方がない。描き始めたばかりなのだ。

 序盤はこういう模写を続けることで、観察眼やマンガとしての画面構成や人物の効果的なポーズ、配置などを学んで行くことになる。

 私は一通り気になるところを示し、次からは背景、人物、とバラバラに見るのではなく、一つの画面を構成するパーツとして見るように教えた。


「このシーンも、敵が倒れたところと、それが主人公の背後で起きているところに意味があるんです。両方あって初めて格好いいシーンになるんです。だから主人公だけ丁寧に描いて、後ろが適当だと効果が半減するんです。どちらも格好良く描くからこそ、より主人公が格好良く見えるでしょう?」

「──なるほど。納得出来るな」

「マンガというのは一枚絵ではないので、流れや動きを感じさせるのが大切なんです。これは体に染み込ませないと実感出来ません。明日から暫くは模写をして頂きます。多分一カ月もやれば、自分でも進歩が目に見えて分かってくると思いますよ。……あ、ですが、ちゃんと魔王様としての仕事はおろそかにはせずにお願いしますね」

「分かっている。……だが、マンガというのは私が考えていた以上に実に努力と根気のいる作業なのだな」

「当然じゃないですか。絵やセリフで物語を表現して、読んだ人を楽しませたり感動させたりしなきゃいけないんですよ? ただ時間もかかるし、体力も座り仕事の割にかなり奪われますけど、自分が狙った通りに読者が思ってくれたり、面白かったって言われると凄く嬉しいんですよ。報われるというか、達成感と言うんでしょうかね」

「うむ。そうであろうな。──私もそんな達成感を持てたり、感動を与えられるのであろうか?」

「努力すれば全て報われるとは言いませんよ。失敗することだってあります。ですが、努力は技術の裏付けになりますし、自信にも繋がります。少なくとも努力しなければスタート地点にも立てません。走り出してもゴール出来るかなんて分かりませんし、その後の話ですよ」


 クレイドは苦笑した。


「そうだな。少し弱気になった。許せ」

「では、明日以降も地道に頑張りましょう。クレイド様は今は何も考えず、技術向上に努めて下さい」

「うむ。……ところで、そろそろお茶にせぬか? ずっと絵を描いていたので小腹が空いた」


 私は笑った。


「じゃ、ポテチ食べますか。あと二時間もすれば夕食ですけど」

「その程度食べたところで食事に影響などない」


 呼び鈴を鳴らす彼を見ながらも、私の頭の中では、絵が上手くなってから次に何をやらせるか、というルートを複数考えていた。思った以上にやる気の魔王様には、それなりのスパルタ特訓をしてもらおうか。


 先生という立場も結構悩みが多いものである。




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