異世界の不思議

 私がこの国に来てもう半年以上になるのだが、今さらながら異世界ってすごいよなー、と最近になって気づいたことがある。

 まあ気づかなかった私が単にアホなだけだったのだが、私はホーウェン国の人たちと会話が出来ることを、つい最近まで不思議だと意識していなかった。考えてみたら私は外国人である。本来ならボディーランゲージでもしなければ意思疎通すら難しいはずなのだ。だが出来る。


 そこで改めて観察してみると、クレイドやオークのコック長、ゴブリンさんやゴブリンレディーさん、メイドの狐種魔族のナーバなど、会話は日本語で聞こえるのだが口元の動きが全く違う。要は私が話す日本語はこちらの言語として認識出来る音声として彼らに届き、彼らが話すホーウェン国の言葉は日本語として知覚できるよう私に届いているようなのだ。昔読んだマンガの便利アイテムで自動翻訳してくれる豆腐だかこんにゃくがあったが、そんな物を食べずとも自動翻訳されているのである。素晴らしい。


 これは大発見だとクレイドに報告に行くと、どうやら彼も日本から持ち込んだマンガの文字がこちらの言語として認識出来ることには気づいていたそうだ。


「不思議な話だが、あちらで読んでいる時には日本語としてしか認識出来なかったが、ホーウェン国に持ち帰ったマンガは、我が国の言語として書いてあるように理解出来てしまう。国に合った仕様になるということだろうか」


 逆はどうなのだろうかと思い、クレイドにホーウェン国の歴史書を見せて貰った。すると明らかに日本語ではないうねうねした文字が書かれているのに、書いてあることは分かる。的確な例えかどうか自信がないが、外国映画を見ていて、俳優が話している言葉は分からないのに、日本語で字幕が出ているから意味が分かる、という感じだろうか。

 流石に異世界とは謎の多い国である。まあ日本でしっかり死んでる人間である私が、この国では生きている状態からして普通ではないのだけど。ともあれコミュニケーション手段に問題がないのは個人的には大変助かる。


 それならば他の人はどうなのか、とクレイドに許可を得て、仲良しのゴブリンレディーさんをこっそり呼んで、モニターとして日本のマンガが読めるか確認したところ……読めた。そして、怖いぐらいドハマりされた。


「ねえリリコ、この子ったら何で自分が死ぬかも知れないってのに罠に飛び込むような真似しちまうんだよ。いくら仲間のためとは言っても、これはあんまりじゃないかい? 貧乏くじじゃないか。それにしてもさ、こんな細かい線画は生まれて初めて見たよ」


 とおいおい泣きながらハンカチで涙を拭う。そして、これもリリコの国の書物なのかと聞かれ頷くと、こんな不憫な話とても現実とは思えない、とまた泣かれる。


「ええと、これは現実の話ではなくてですね、想像上の話でして」

「──想像? つまり嘘ってことかい?」


 嘘と言われると人聞きが悪い、フィクションと言って欲しい。しかし思えばこの国では指南書と歴史書ぐらいしかないんだった。手書きという時間と手間が掛かる書物に、壮大な嘘を書き込むという発想が湧かないのも致し方ない。


「皆さんの種族で古くからの言い伝えみたいなものがありませんか? そんな大げさなものではなくとも、昔話とか想像上の生き物みたいな」

「ん? そりゃあるさ」

「そういうのって実際見たものじゃないし、話を盛って大きくされたのかどうか分からないじゃないですか? だからこれも嘘というか、こういう話があったらいいなあ、というのを想像して絵物語として描いてるんですよ。私の国は本を作る技術が発達しているので、読み物として広く親しまれてるんですよ」

「そうなのかい……こんな細かくて綺麗な絵が描かれてるのが何百ページとあるんだものねえ。羨ましいもんだねえ」


 しきりに感心するゴブリンレディーの姉さんに嬉しくなってしまい、実はそれ私が描きましたえへへ、と笑ったら驚愕された。


「ええっ? 本当にリリコが描いたのかいこれを?」

「はい。まあそれが仕事だったので」


 彼女たちは私が日本で既に死んだ人間ということは知らない。何故こちらでは生きているのか、正直言って私もクレイドもきちんとした説明が出来ないからだ。恐らく住んでいた次元が違うからだろう、という曖昧な説明をされても皆理解出来ないだろうし。


 へええ、大先生じゃないか、これからはリリコ先生と呼ばなきゃいけないかねえ、などと言い出したので、今は描いてないし止めて下さいと丁重に断った。ゴブリンレディーの姉さんは、少しためらった後、ちょっと頼みがあるんだけど、と私を見た。


「仕事仲間もこれ読んだら驚くと思うんだよ。とても面白かったし、まだ本棚には沢山別の話があるんだろう? ──もし良ければ、仲間にも読ませたいんだよ。クレイド様にお願いして本をお借りしたりするのは可能かねえ? 貴重な本だと思うから申し上げにくいんだけど」

「ああ、それならちょっと伺って来ますね」


 私は作業室へ向かうと、いつものようにカリカリと好きなマンガのワンシーンを描いていたクレイド様に、読書室のマンガの貸出は可能かと確認した。


「なるほど、他の人間にも読めたんだな」

「はい。それにこの国でマンガを広めるためにも、まずお城で働いている方にも先にマンガを知っておいて頂く方がやりやすいと思うんですよね。クレイド様が絵の練習をしている間は私も手が空いてるので、期間を決めて名前書いて貰って、みたいな作業は私がやれますし」


 ……実は、この半年仲良くして貰っているのに私は城で働く人たちの名前もろくに知らない。聞かなくても目の前まで行って話をするので困らないし、狐種族のナーバはいつもお世話になっているし、呼び掛けて話す機会が多いので強引に聞いただけだ。


 それにこちらの魔族の人たちは、顔で認識しているのでお互い余り名前で呼び合わない。私から見ると毛髪の量の違いしか分からないそっくりな顔のゴブリンさんたちも、誰が誰なのか顔でハッキリ分かると聞いたので、こちらからはなるべく聞かないように決めたのもある。

 だって種族によって顔立ちが似すぎていて、申し訳ないけど名前を聞いてもそれが誰なのか正確に判別が出来ないのよ。話をすれば大体分かるんだけど、見た目だけの判断だとまるっきり自信はない。佐藤さんだと思って声を掛けたら山本さんだったとか、失礼この上ないじゃないか。それなら最初から聞かない方がいい。ゴブリンレディーの仲良し姉さんだって、髪の毛が短いから判別出来るのだ。何年も付き合っていればきっと分かるのだと思うが、新入りの私にとっては、同一種族の方はほぼ「〇〇を探せ」状態なので、トラブルはなるべく回避するのが吉である。だが、本を良く借りる人であれば、聞かずとも名前が分かるし、言動と顔が段々一致して覚えられるのではないか、というほのかな期待もある。


「大切に扱ってくれるなら別に構わぬ。……ああ、それならついでにどの作品が好きだったかなど感想も聞いてくれぬか。今後の参考にしたい」

「了解しました」


 私はゴブリンレディーの姉さんに説明し、他の人も貸出はするので話を広めて欲しいと伝える。


「任せておくれ。いやー沢山あるから当分忙しいねえ」


 と二冊借りると、サインをしてご機嫌で戻って行った。私はノートを眺め、なるほど、姉さんはエドーラという名前なのだな、とホーウェン国在住半年にして初めて名前を知るのだった。

 ……お願いだから髪の毛は短いままでいてねエドーラさん。




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