またマンガを
「え? サイン会?」
「うむ、私の本が一番売り上げがあるらしくてな。購入者の希望もあるそうで、ホール出版社の方からそんな依頼が来たのだが……」
ある日、クレイドが夕食を食べていると、そんなことを言い出した。
「すごいじゃないですか!」
「だが、私はマンガこそ人気があるものの、こんな顔だろう? せっかく買ってくれる子供たちや女性などに顔を晒したら、また怖がられるんじゃないかと思うと心配でな」
顔立ちも整ったイケメンなのに、歴戦のスナイパーみたいな鋭い目つきのせいで、確かに一見さんには避けられそうな強面だ。
その上マンガ家として売れっ子になったせいで、マンガに割く時間も増えた。結果、常時睡眠不足で更に目に険しさが増している。日本で遭ったら決して目を合わせないようにするか、アングラな世界で生きている人と思われ近くを歩くことすら避けそうなタイプだ。とてもあの爽やかな冒険マンガの原作者のイメージではないだろう。
「でも、読者と会う機会なんて滅多にないですものね」
「そうなのだ。手紙などは貰っていても、買っている人の顔は分からぬ。ずっと本屋に張り付いている訳にも行かぬゆえな」
雑貨屋で売るには棚を占領しすぎて、他の商売物に影響が出るほどマンガや小説が溢れて来たため、一年ほど前に各地で本だけを扱う書店が出来た。私もちょくちょくお世話になっている。どうやらその本屋の何軒かでまとめて、新刊の購入者にサイン会をしたいらしい。
「答えはまだ保留にしているが、準備もあるからと催促が来ていてな。どうしたものかと……」
「でも、クレイドはやりたいんですよね?」
「ああ。だが読者を怖がらせる訳にも行かぬし、中止にした方が……」
「……じゃ、変装しましょうか」
「──変装?」
私は、フード付きのマントと、マンガに出て来る喋る猫のピリオのお面を作って付けるのはどうだろうかと提案した。人気のあるキャラだし、実際ピリオは人にバレないようにフード付きのマントを羽織っている設定だ。
「私の国ではコスプレなんて言って、結構マンガの登場人物の格好をしたりする人は多いんですよ。ホール出版社の方だって、プライバシーを優先したいし、魔王がマンガ描いてると知られたくはないとでも言えば、素顔を晒してくれとは言いませんよ。しぶられたら、売り上げに影響するかも知れないとか言っておけばいいんじゃないですか?」
「……なるほど。名案だなリリコ。よしその手で行こう! 早速ピリオの面を作らねばな。ゴブリンレディーならば手先も器用だし、力になってくれるに違いない」
目を輝かせて作業部屋へ向かうクレイドを見て、私も力になれて良かったと思った。
正直に言って、自分の抱いているモヤモヤが恋心と呼ばれるものではないか、と思わなかったと言えば噓になる。ただ、生きていた間にこんな胸が苦しくなるような感情を覚えたことはないし、これがそうなのだと確信は持てない。認めるつもりもない。
何故なら、たとえこれが恋であったとしても、相手は町を統べている魔王であり、私は一度死んでたまたまここで生きていると言うだけの、魔力も持たない人間である。町に代々住んでいた一般人ですらない。要はホーウェン国にとって部外者、異端の者である。
万が一、いや億が一、クレイドが私に対して恋愛感情を抱いてくれたとして、婚姻関係を持てたとしても、私が子供を産める可能性は限りなく低い。だって元は死者だしねえ。
……となると、だ。アルドラのような過ぎた美貌もなく平凡で、この国の人間でもない、子孫も残せない、いつぽっくり逝くかも分からず、マンガを描くぐらいしか取り柄もない私は、クレイドにとって好意そのものすら迷惑でしかない。ならばこの生まれた友情だけ大切に出来ればそれでいい。
私はこの先誰とも結婚することなく、一人で生きて行くと決めていた。それでも、日本であのまま死んでいた時よりもずっとずっと幸福だ。
(心配してくれていたトールには申し訳ないけど、こればっかりはどうしようもないよね)
そしてこの国で過ごす時間が経つにつれ、私もマンガ学校の教師だけではなく、自身の作品も描きたいと思うようになっていた。生徒たちの熱意に自分のやる気が触発されたのだ。
死んだからにはもう描くこともないだろうと思っていたが、それは日本での話。ここではちゃんと生きているのだし、私がこの国でマンガを描いたらいけない理由もない。
多分一番の理由は、私もマンガを描きたい、読者に喜んで貰いたいのだ。
私が生きてきた証をマンガとして残したい。私が人に自信を持って提供出来るものはマンガしかないのだから。
マンガを描くことで生き甲斐を持ち、読者を楽しませられれば、このフワフワしているような漠然とした未来への不安も、忘れるべき想いも、叶わぬ願いも、全部きれいに浄化できるような気がする。そう思いたい。
「──さて、そうと決まればプロットでも練りますか」
私はノートとシャーペンを取り出して、少し考えながら、サラサラと書き込みを始めるのだった。
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