出発前夜
日本に戻って弟の顔を見られる、と思っただけで私のテンションは急上昇したのだが、正直亡くなる直前の私の生活環境は劣悪で、ベースの体が霊体であってもボロボロだったらしい。まあ、私が人の手を借りずにマンガを仕上げたいというのは我が儘だし、それによって無茶をしていた自覚はある。
「いくら魔力で結界を張ったところで、本人の肉体や精神が脆弱なままではどうにもならぬ。まずはこちらで体を癒やしてからだ」
というクレイドの勧めに従い、ホーウェン国で暫くのんびりさせて頂くことにした。城の中は好きに見て回って構わない、というのでお言葉に甘えて探索してみたが、ラノベやマンガのように、獣人や植物系の魔族など様々な人たちがいた。
庭ではサボテンを擬人化したようなカクタスダンサーと言う種族が踊りながら土を耕してはせっせと食物や花の種を植えていたり、ゴブリンという小柄な人型の種族が、城の清掃に壁や屋根などの補修などを行っている。
弟の書く小説でもゴブリンは小柄な人型だったが、その際描かれていた凶暴で女性を見ると見境なく襲うといった粗雑なところなどは一切なく、ゴブリンレディーという女性も穏やかでニコニコと勤勉な人たちといった印象だ。私に対しても笑顔でお辞儀をしてくれる。ただ、男性の髪の毛が薄いというのはファンタジーのイメージ通りで、やたらと髪の毛を大切にしているのが印象的だった。擦れて髪の毛にダメージが伝わるといけないと、真夏でも一切帽子も被らないという徹底ぶりである。国民的な魚介類の名前を持ったアニメのお父さんばりな過保護状態だ。
それにしても、ファンタジー作家の想像力は現実とかなりリンクしているものなんだなあ、と感心してしまった。日本人の創造力は侮れない。
それと、魔族の人は大変シャイな人が多い。
私が「こんにちはー」と笑顔で挨拶しても、慌てたようにオロオロして、ペコペコと頭を下げてささっと姿を消す人も多く、なかなか話が出来ない。
しかし、厨房のコック長は豚っぽい顔をしたオークという種族の大柄な人で、キリリとした顔つきで強面かと思いきやとても優しく大らかな人で、特に私を避けるでもなく、お茶を飲みながら色々と魔族の話を教えてくれた。
「いやあよ、人間ってのは魔族を嫌っているからよう、魔王様のお客であるお前さんに不快な思いをさせたくないってのもあると思うんだ」
「ああ、そうなんですか」
「それによ、人間は弱いから。うっかりケガでもさせちゃ大変だと心配してんだよ。ほら、お前さんは来て早々ずっと寝込んでただろう?」
まあ私の場合は仕事疲れと睡眠不足でスイッチが切れたというのが正しいのだが、確かに周囲から見れば病弱設定になっていてもおかしくはない。
「そんなに病弱ではないんですけどね。せっかくなので仲良くしたいんですけど、まあ徐々に慣れて頂くしかないですね」
「変わってんなあ。まあ俺は作った料理を綺麗に残さず食べてくれるから、お前さんのことは嫌いじゃねえよ」
「いや、美味しいですからね本当に」
「本当かい? 嬉しいねえ」
実際、百六十三センチで五十キロとやや痩せ気味だった私は、ここに来てから確実に一、二キロ増えている。体重計などはないのだが、貧弱な胸や腹部の辺りの肉の付き方の変化に女は敏感である。ぶっちゃけ死んでから太るというのも不思議なことだとは思うが、この世界と日本での存在の在り方が全くの別物だからだろう。いくら食べても変化しないと思っていたので、これからは気をつけねばならないと少々反省した。
洋服も死んだ時に着ていた服しか持ってなかったので、クレイドが人型魔族向けの普段着を何着も見繕って用意してくれた。
ウェストがゴム素材で出来た、ジャージーのような柔らかい生地で作られたシンプルなワンピースやシャツ、イージーパンツのような服は、ほぼ室内で仕事中に着ていた楽な格好と同じで、軽くて動きやすくい。ドレスも作るかと聞かれたが、別に着て行く所もないし、肩が凝りそうなので断った。お金の負担も最小限にしないと、こちらで仕事が出来るようになっても返せるかも分からないからだ。
自分では丈夫だと思っていたが、思った以上に体にはガタが来ていたようで、二週間ほどは食事をするのとほぼ寝ていることしかしてない状態だった。風呂にも入れず、初めて会った狐種のメイドさんが、絞ったタオルで体を拭いてくれたり、服を着たまま浴槽の方に横たわって頭を洗ってくれたりとマメにお世話をしてくれた。
「いつも助かってます。本当にありがとう」
「……お礼は止めて下さい。当然の仕事ですから」
ナーバという名前のその子は少し吊り目で、くりりとした目が特徴の美人さんだが、若干ツンデレ気味である。お礼を言っても冷めた口調で当たり前みたいに返して来るのだが、尻尾が嬉しそうにふぁさふぁさと揺れていたりしてとても可愛い。
周囲の人たちと少しずつ交流を深めている間に徐々に体調も戻り、気が付けば一カ月。日本でも十日ほど経っていることになる。
私の火葬なんかも済んで落ち着いた頃だろうか、と思うと居ても立ってもいられない気持ちになって来た。
「クレイド様、私もう元気になったので、そろそろ日本に行きたいんです」
その夜、夕食を一緒にしながら彼に切り出すと、クレイドは私をじっと見つめ頷いた。
「──うむ。肌艶も依然と比べ各段に良くなったように思える。それなら明日にでも向かうか」
「はい! ……ただ、クレイド様は猫の状態ですよね? 弟にどうやって接触したら……」
「別に私は猫にしかなれぬ訳ではない。ただ小さい方が魔力の消費が抑えられるからな。このままの姿では二、三時間保つのがせいぜいだろう。だが、十かそこらの子供の姿なら半日ぐらいは持つかも知れぬ。一先ずはそれで試してみよう」
「はい。ご面倒をお掛けしますが、どうぞよろしくお願いします」
私は深く頭を下げた。
明日には弟に会えると思うと、そわそわして落ち着かず、その夜はなかなか眠ることが出来なかった。
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