生徒たちとの日常

 いよいよ学校も完成し、授業の初日を迎える運びとなった。


 本来ならば、学校の維持のために学費や教材費など生徒から貰わねば経営は成り立たないのだが、クレイドが「元々私が広めたいと考えたゆえ」全面バックアップするから無料でいいと言う。何と私にまで給料を払ってくれるそうだ。

 考えてみれば、私はここに来てお金というものを全く使ってない。離れている人間の住む町どころか、すぐ傍にある城下町にすら出てないのだから当然である。

 人間の住む町では商品の取引や買い物をする際にも必要になるし、城下町にも商店はあるとのことで、欲しいものがあった時に自由に使えるお金があった方が良かろう、とクレイドが言う。まだトールには恩返しも出来ておらぬが、リリコにはせめて不自由のない生活を送らせたい、と申し訳なさそうな顔をした。日本では私の弟の金を湯水のようにマンガに使わせているが、彼だってこのホーウェン国では腐っても魔王なのだ。ホーウェン国でかかる経費はクレイドに負担して頂いても困りはしないだろう、うん。

 私も久々に無職から脱却することが出来て、地味に嬉しかった。


 この国のお金は四角いコインのような感じで、金、銀、銅貨が存在する。

 クレイドが説明するには、日本の金銭価値を考えると、金が一万円、銀が千円、銅が百円ぐらいだと思えばいいそうだ。パンや飲み物一つが銅一枚ぐらいだろうか。これは実際に使ってみて覚えていけばいい。

 しかし、いくらこの国で稼いでも、弟には還元出来ないんだよなあ。何とかトールにも迷惑を掛けているお返しをしたいのだけど。


 集まった生徒たちにはオーク族など大きな種族の魔族はおらず、予想通り細かい作業が得意なゴブリンやゴブリンレディー、ドワーフ、人間に近い獣人系の人たちが殆どだった。大柄な魔族はいくらマンガを読むのは好きでも、こんな繊細な絵を描くのは難しい、と本能的に分かる現実的な人たちが多いのだろう。


 学校に来たら、初っ端から魔王であるクレイドが席についているのを見た生徒たちは驚き、声にならない動揺を見せはしたが、彼から事前に説明がなされた。


「遠い東の島国からリリコを師として招いたのは、私も彼らの国で発展しているマンガを自らの手で描きたかったからだ。そしてこのホーウェン国全土にマンガを広めたい。それゆえここでは一切かしこまる必要もない。共にこの学校の生徒、同じ願いを持つ同士として学び、精進しよう」


 クレイドと同じクラスに分けられた人たちは、少しホッとしたような笑顔になり頷いた。別のクラスの人たちも、顔を合わせることもあるだろうから、と事前にそれぞれ挨拶をしに来てくれたので、特に大きな騒ぎになることもなかった。彼は権力もあるけど、一見強面だから怖かったんだろうねえ。皆も思ったより怖くないぞ、と胸を撫で下ろしたんじゃなかろうか。見た目が怖いけど、本当はただのマンガ好きの有能で優しい人なんだよこのお兄さんは。


 クレイドも「マンガを描く仲間が増えるのは喜ばしいものだ」と毎日いそいそと学校に通って来ては、私の授業を聞いてメモしたりしている。一足先に学び出したクレイドは当然絵も一番上手いし、コツみたいなものを体で理解しているので、周囲の生徒たちから教えを請われていることも多く、先生が二人いるようなものだ。本人も頼られて嬉しそうで、城に戻ってからも、より一層熱心に深夜まで絵の模写に勤しむようになった。

 私の授業内容は、当面は実践に役立つマメ知識みたいなものだったり、模写をするための基本的なやり方、上達法みたいなものだ。


 模写するために配った原稿が私の作品だと説明した時、私が単なるマンガ布教に来ただけのよその島国の商人などではなく、れっきとしたマンガ家だという事実に気づいた生徒の溢れんばかりの尊敬の眼差しは、何というかゾクゾクする嬉しさと、そこまでのマンガ家ではないんだよという羞恥心が同時に湧いて居たたまれなかった。

 しかし教える側としては、馬鹿にされるよりは尊敬されている方が授業はやりやすいのは確か。先生先生と慕われるのも悪い気分ではない。ま、私より絵も話も上手いマンガ家が誕生することも確実にあるだろうし、一時的なヨイショとして、ここはありがたく味わっておこう。


 初めて給料としてお金を貰った際には、嬉しくて城下町の雑貨屋でタマゴボーロのようなお菓子を買ったり、普段着を買ったりしてみたりと使ってみたが、日本にいた頃から外出も少なく着飾るような物欲もなかったので、物価がかなり安いこの国では大きく使うこともない。

 生活していれば一番の出費になる家賃もなければ、食事もお城のコック長たちが毎日美味しいものを食べさせてくれる。ナーバが私の部屋を定期的に掃除し、洗濯もしてくれると至れり尽くせりで、使おうとしても使い切れないというのが本音である。

 金貨を毎月五十枚も寄越すクレイドに、多すぎだからもっと少なくていいと文句を言っても「何か大きな買い物をすることがあれば使えるだろう。今使わないならば貯めておけばいい」と首を縦には振ってくれなかった。



 そして学校を開いて半年も経つと、生徒たちはみるみる上達し、模写した絵のペン入れ作業も楽々こなせるまでに成長した。


 ──さて、土台は出来た。これからが本当の正念場である。




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