第5話 いいえ私はごく普通の女
あれから、僕達は取り調べ続きの毎日に辟易していた。
あの時、美依があらかじめ呼んでいた警察に、ひばり、いや、高橋まひる容疑者は連行され、崖の下の遺体も、無事引き上げられた。そのポケットには100円ライターが入っていたという。
更に驚くべきことに、遺体と一緒に落ちていたリュックの中身は、死後1週間程度の2歳児、その死因は餓死だったそうだ。まさかここまで彼女の推理が当たるとは思っていなかった。流石探偵、というべきだろうか。だが、それを彼女に言うと何故か不機嫌になってしまう。地雷、というやつなのかもしれない。
取り調べが終わった僕らを待ち構えていたのは、いかにもゴージャスな老夫婦、それに、ボロいコートを着たダンディなおじさんが一人、そして僕の母さんが一人。
「あんた……よかった……! よかった、無事で!」
警察署を出るなり母さんは僕のことをお構いなしで力一杯抱きしめた。
家に中々帰らない母さん。夜勤が忙しくてほとんど話さない母さん。そんな母さんが僕のことをこんなに心配していることを今日まで知る
ふと、となりを見ると猫まんまも、同じように夫婦二人分の愛で抱きしめられていた。多分彼女はもう、大丈夫だ。根拠はないがそんな気がした。
今回、僕は美依に命を救われたようなものだ。そのお礼がしたくて近寄ろうとするが、彼女は先程見かけたダンディなおじさんと何やら話しているようだった。
邪魔をするのも悪い。彼女らを遠巻きに眺め、退散しようと踵を返す。
「ん、ちょっと、君!」
呼び止められ振り向くと、彼女が手を振って何やら合図している。これは、こっちにこいと言うことだろうか。
言われた通り彼女の元に向かうと、美依はこれまでに見たことのないほど眩しい笑顔で
「お父さん、今日からこの子、助手の助手ってことにしていい?」
と僕の背中を軽快に叩いた。何が何だか分からず混乱していると、ダンディなおじさん、いやお父さんは豪快に笑い、OKサインを出した。
「待って、助手の助手って……」
「つまり私の助手。まぁバイトだと思って、ね?」
そう言われると断れない。それに、彼女と一緒だと、何だか人生まだまだこれから、という感じがする。
「あ、そういえば一人称、みーちゃんじゃないんですね」
「あー、あれね。演技」
「え、演技?」
「腕の包帯も料理失敗してできた火傷だし」
「じゃああれは? 自殺しようと思った理由みたいな……」
「あれは……。半分本当、かな」
そう言って彼女は苦笑いする。おそらく前半部分のことだろう。
「じゃあ、そのワンピースとかツインテールも役作りですか?」
僕は思いきって聞いてみた。
「……これは好きでやってるの! 悪い?」
どうやら、また地雷を踏み抜いてしまったみたいだ。髪を揺らしながら怒る姿はやっぱりちょっとメンヘラっぽい。でもこれも口に出すと益々怒るので、今度はそっと胸の内に秘めておくことにした。
「えっと、あの……そういえば、どうしてあそこで集団自殺があるってわかったんですか?」
気まずさもあって、僕はさりげなく話題を逸らす。
「いや、知らなかったよ。私はただ、お父さんの山の様子を時々パトロールしてるだけ」
「え!? あそこって美依さんのお父さんが持ってる土地なんですか」
「まあね、といってもあの山小屋とかは多分勝手に立てられたやつだから管轄外……かな?」
その言葉が本当ならすぐにでも取り壊すべきだと思うが。
「フフッ、そういえば、さ」
彼女は僕の口調を真似ながら、今度は自分のターンだと言わんばかりに真っ直ぐこちらを見つめ、その唇を開く。
「君の本当の名前は何? 人間失格君」
そういえば、自己紹介がまだだったな。
「えっと、
「ふーん、良い名前じゃん」
突風が、彼女の長いツインテールを青天に巻き上げる。僕の人生は今やっと、ほんの少しの光に照らされ、輝き出したのかもしれない。
「ま、これからよろしく、財ちゃん!」
あれ、何か忘れていないか?
アーサーは、絶望していた。この日、まさしく死のうとした今日、あの女に出会うまでは。彼は暗く長い山道を、その復讐心のみでひたすらに走り続けていた。あの女、俺の人生を狂わせたあの探偵の娘。
見つけた、ついに見つけたぞ。必ず、あの男は俺の手で始末する。女はまだだ、独り立ちまであと一歩というところまで泳がせて、一番熟れた時期に一気に、狩る。
震えて眠れ……遠藤ジョン、憎き名探偵。
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