第3章 交わる三本の矢

第11話 それぞれの事件

 身を焦がす眩しい日差し、鼓膜を絶え間なく震わせる蝉の声、体にじっとりとまとわりつく空気。全身が、夏を感じとっている。ここに冷えた麦茶があれば完璧だ。アイスでもいい。いや待て、スイカもありだな……。

「暑……」

 こうも気温が高いと、つい妄想が膨らんでしまう。少しでも涼みたい一心で、中指につけた螺旋状の指輪を汗ばむ額に押し当てるが焼石に水。仕方なく、ぬるい非常用の水をひたすら消費しつつ、美依は自分の状況について一から振り返り、その沸騰しそうな頭を必死に捻っていた。


「避暑地に別荘があるんだけどよかったら遊びに来ない?」

 そう言われたのは、ほんの1週間前。同じ大学のサークル仲間である藤堂莉奈とうどうりなからの誘いであった。蓋を開けてみれば他の友達も誘っていたらしく、当日、タクシーで現地集合するという話になったことを彼女から聞かされた。

 美依に残っている最後の記憶は、莉奈と一緒にタクシーに乗って、そのあと眠ってしまったところまでだ。


 ——そして今現在、この鍵のかかった物置に、なぜか美依一人が放置されている。幸いにも、非常時に備えて用意された水のおかげで脱水は免れることが出来そうだが、食料は皆無だ。このままここにいれば餓死は避けられないだろう。

 バッグも携帯もない今、助けは期待できない。なぜこうなったのか、そもそも誰がやったのか、疑問が沸々と湧いて出る。

「……考えるのは、脱出してから、だよね」

 脆そうに見えて意外に頑丈な木製の扉を睨みつけながら、美依はそっとひたいの汗を拭った。




 プルルル……プルルル……。

 事務所の古めかしい電話の音で目が覚める。夏休み、特にすることもない僕は留守番ついでに事務所に入り浸り、宿題をこなすのが日課となっていた。

 美依の父、すなわちこの事務所の所長は、僕が居眠りをしている間にどこかに出かけたのか探しても見当たらない。つまり事務所には今僕一人しかいないようだ。慌てて立ち上がり受話器を取る。

「はい、こちら遠藤探偵事務所」

「あの……依頼、よろしいでしょうか?」

 品のある女性の声だ。はい勿論、と言いたいところだが、僕の一存で依頼を受けることは出来ない。内容を聞いて所長に確認するのがベストだろう。

「えっと、内容をお聞きしてもよろしいですか?」

 電話の向こうの女性は一つ深呼吸をした後、震える声でその内容を告げた。

「——娘が、誘拐されまして……。警察には、言うなと」

「え、誘拐!?」

 僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。焦ってしどろもどろしているところで、不意に後ろから肩を叩かれた。びっくりして振り返ると、そこには手に買い物袋を下げた所長がいた。

「その依頼、引き受けましょう。詳しくお聞かせ願えますか?」

 僕から受話器を受け取った彼は、渋い声で力強くそう答えた。


「——つまり、依頼の内容は、その娘を誘拐した犯人の居場所を突き止めて無事に取り戻すこと……ですか?」

 一緒に電話を聞いていた僕は、所長に確認をとる。

「ああ、警察には私から言っておこう。勿論内密に、だがね」

 コンビニで買いたてのタバコを咥えながら、所長は調査の準備を進めていた。

「長田君、少々ハードかもしれないが、君には依頼人の家に行って犯人の要求を私に伝える役目を任せたい。ついでにその誘拐された娘の足取りも、わかる範囲で聞いておいてくれ。何せ人手が足りないからね」

 美依が友達と出かけている以上、今動けるのは僕しかいない。それに、高校生の僕なら依頼人の家に行くところを犯人に見られたとしても怪しまれないだろう。

「はい、任せてください」

 散らかった机上の宿題を素早く片付ける。美依の代わりというのは荷が重い。しかし、ここで働く以上、助手としての仕事はまっとうしたい。

「——よし」

 僕は気合を入れ直し、助けを求める依頼人の元へ急いだ。


 そびえ立つ鉄格子の門。色とりどりの花が咲き乱れる庭園。これほどまで豪邸という言葉がしっくりくる家は中々無い。『藤堂』と書かれた表札を見て僕はようやく、この現実味のない豪邸が、依頼人の家であると認識できた。

 恐る恐るインターホンを押すと、少し強張った、電話越しと同じ女性の声が返ってきた。

「……はい」

「すみません、先程お電話した遠藤探偵事務所の長田といいます。えっと——」

「どうぞ、お入りください」

 ガチャンと門の鍵が開く音がした。見た目に反して軽い門扉もんぴを押しながら、僕は何から何まで非現実的なこの未知の領域にただただ驚嘆していた。

 庭園を抜け玄関まで来ると、上品な出立ちの女性が扉を開けてそっと手招きをした。辺りを警戒しつつ中に入ると、そこはまるで高級なホテルのような、煌びやかでゴージャスな空間が広がっていた。その輝きに思わず息を飲んでしまう。

「あなたが、探偵さん?」

 ——しまった、あまりに豪華な内装に気を取られていた。僕は一つ咳払いをし、軽い自己紹介と自分の役割、そして所長の動きを簡潔に説明した。


「そう……。つまり、あなたは助手で私の話や犯人の動きを探偵さんに伝える、探偵さんはその情報を元に娘を探す、そういうことね?」

「はい、その通りです。そういえば、さっきの電話以降、犯人からの接触はありましたか?」

「いいえ、今のところは……。立ち話も何だし、座りましょうか」

 奥にある客間へ案内され、僕はなるべく周りの物に触らないように気をつけつつ、依頼人の後をついていった。

 ふと、廊下にある棚の端に伏せられた写真立てが目に止まる。つい好奇心に負け、それをそっと裏返すと、そこには家族で撮ったであろう写真が一枚、飾られていた。

 笑顔の男性とそれに寄り添う依頼人、そして間で笑う女の子。年齢は恐らく僕と同じくらい、いや少し年上かもしれない。


 現実味のなかったこの事件が、一気に僕の身近に迫ったような、そんな感じがした。

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