第12話 娘の正体
「えっと、それで藤堂さん。いくつか伺いたいことがあるのですが……」
柔らかいソファーに遠慮がちに腰掛ける僕を見かねたのか、彼女は机に置かれたティーカップをさりげなく差し出した。
「どうぞ、何でも聞いてください」
「ありがとうございます、では……」
手元の香り高い紅茶を一口すすり、渇いた口を潤す。
「娘さんが
「それが……娘は反抗期でして、いつもちょっと出かけるとしか言わないんです。今日も、ちょっと用事とだけ言ってすぐに出ていってしまって……。あの時、ちゃんと引きとめて聞いていれば、こんなことには」
「そうですか……。ちなみに、旦那さんの方はどちらに……? お仕事中ですか」
「あぁ、実は夫は今、部下を連れて海外へ出張しておりまして……電話もかけたんですが時差でどうにも繋がらなくて」
「えっと、失礼ですがご職業は?」
「……社長です。海外に言ったのは確か視察、だったと思います」
社長。なるほど、どうりで豪邸なわけだ。つまり拐われた女の子は社長令嬢ということになる。
「犯人の要求は? やはり金ですか」
「それが、誘拐したことと警察には言うなと言われただけでまだなんとも……」
その時、電話のベルがけたたましく鳴った。思わず体が小さく跳ねる。
「犯人でしょうか——ちょっと待ってください」
僕は咄嗟に懐からメモ帳とペンを出し、目の前に置いた。
「電話中はこれで指示します。僕に対して返事はしなくて大丈夫ですから」
彼女はおどおどしつつも頷き、鳴り続ける電話の受話器をゆっくりと手に取った。
『警察には言ってないだろうな?』
スピーカーモードにした電話から響く声にはボイスチェンジャーがかかっておりその性別はおろか年齢も分からない。僕は聞きたいことをメモに走り書きし彼女に見せた。
「勿論言っていません。それよりも娘は——娘は無事なんですか!? 一体何が目的でこんなこと……」
『そんなの金に決まってる! 社長ならたんまり持ってるだろ? 一億、アタッシュケースに詰めて指定した場所に来てもらう。あ、勿論現金で、ね』
「——場所は」
『それはまた後で。せいぜいケースにびっしり札束でも詰めておくんだな。あとそれを運ぶのは女にしてくれ。万が一ボディーガードなんてよこされたらたまらない』
「わかった。でも一つだけ、娘が無事なことを確認したい。声を……声だけでも聞かせてちょうだい」
『チッ、本当に鬱陶しい女。——まぁいいか。ほら、もし変なこと喋ろうものなら……わかってるわね?』
そう言うと突然音声にノイズが走り、弱々しい女の子の声が聞こえてきた。
『かる……い……ざわ……』
ドンッ!
衝撃音とともに女の子のうめき声が聞こえる。
『チッ、こいつ何言ってんだか——まあいいや。じゃあまた後ほどね、奥さん』
ガチャ。
犯人はそう言い捨て電話を切った。依頼人は受話器を震える手で元に戻し、その場に崩れ落ちる。彼女は泣いていた。
「お願いします……お願い、娘を——凛を助けて!!」
閉ざされた真夏の物置、それはさながらサウナのように蒸し暑い。最初はひんやりとしていたはずの金属製の指輪も気がつけば日光をたっぷりと吸収し、既に嫌な
美依は目の前の扉に向かって何度も蹴りをお見舞いするが、非力な女子一人の力ではどうにもならない。
ついには、扉が開くどころか買ったばかりのピンヒールが完全に壊れ使い物にならなくなってしまった。
「——やけになっちゃダメだ。深呼吸、深呼吸……」
水蒸気で飽和した空気を肺一杯に吸い込み……美依は壊れた方の靴を思いっきり天井に向かって飛ばした。
「いや、無理だし! 暑いし! ここで冷静になれる方が可笑しいわ、バーカバーカ!!」
鬱屈とした気持ちも、理不尽に対する絶望も、全て怒りに変えて吐き出す。
……よし、もう大丈夫だ。ここで挫けてしまうようでは探偵の、父の助手は務まらない。
「——ふぅ、スッキリした。あれ、そういえば飛ばした靴どこ?」
恐る恐る天井を仰ぐとそこには、だらしなく取れかけの踵をぶら下げたヒールが思い切り刺さっていた。どうやら爪先が上手く屋根の隙間に入り込み、がっちりとはまってしまったようだ。
「天井までは、大体1m半くらいか——もし、もしもあそこまで行けたら……」
美依はもう片方の靴を脱ぎ、手で弄びながら策を練る。上手くいくかどうかもわからない、一か八かの策を。
「帰ったら犯人には絶っ対、全部弁償して貰うから」
美依はツインテールに混じって揺れるピンクのリボンをそっと解き、その長い髪を下ろした。
空のペットボトルを一本一本捻り潰しながら、美依は考える。そもそも何故自分が閉じ込められているのか、それがどうしてもわからない。
「莉奈、大丈夫かな……」
一緒にいたはずの友達、莉奈はいいところのお嬢様だ。それこそ、今の私のように何かの事件に巻き込まれていてもおかしくない。
そうなると、私を閉じ込めた犯人は、私達が莉奈の別荘へ向かうことを知っていた人物。つまり彼女の友達を疑うことになる。その場合は、別荘に着いたところで襲われ、閉じ込められたと考えるのが妥当だろう。
ただ、不可解なのは莉奈が寝ている私を起こさなかったことだ。気を遣ったか、もしくは彼女も寝ていたのか。
——いや、タクシーの料金を払うことを考えれば、彼女は起きていたはずだ。私自身が電話でタクシーを呼んだことからタクシーの運転手がグルの可能性も低い。
そして何より、ひっかかっていること。それは、彼女が私に酔い止めを渡してきたことだ。あれが仮に、睡眠薬だとすれば……。
「いやいや、友達を疑うとか、暑さで頭回ってない証拠だし」
確か酔い止めには眠気の副作用もあったはず。ただの偶然、きっとそうに違いない。
ペットボトルを捻る手に汗が滲む。雑念を振り払うように、美依はワンピースを彩るサイドのリボンを引き抜き、それぞれを髪留めだったリボンに括り付けることで身長の2倍程のロープを2つこしらえた。そこに棒状のペットボトルを、一つ一つ丁寧に括っていく。
「よし、完成!」
そこには即席の縄梯子があった。ペットボトルの底は登る途中で取れてしまわないようにあえて捻らず、リボンもかなりキツく縛ってある。
問題があるとすれば、梯子や靴、そして屋根が自身の体重に耐えられるかという一点のみだろう。
「まぁ、3mくらいなら落ちてもギリ、死なない……かな?」
美依は静かに覚悟を決めて、手元の梯子を思いっきり頭上に放り投げた。中々狙いが定まらず、放っては落ちての失敗を繰り返す。
しかしそこで諦めるようなタマではない。根気よく、何度も何度も美依は梯子を投げ続けた。
脱出したい、その一心でひたすらに腕を伸ばし続けた。
そして遂に、天井からフックのように伸びるヒールに、その思いが届いた。
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