第10話 あなたと一心同体

「どう……して?」

 ようやく彼女の口から出た言葉は、純粋な疑問だった。

「原君に聞いたんだ。大西君と万引きしているところを蛯原さんに見られて、脅されてるって」

「そんな……そんなこと言うはずないよ」

「確かに言った。録音もした。よかったら、聞く?」

 彼女は一瞬迷った後、こくりと首を縦に振った。




『今の録音、ちゃんと聞こえたかな?』

『長田……お前、どう言うつもりなんだよ』

『別に、悪いようにはしないよ。ちょっと聞きたいことがあるだけで』

『その携帯……』

『お察しの通り、バックアップは取ってあるから没収しても無駄。おまけにここじゃ店員さんがすぐ通報してくれるよ?』

『わかった、わかったから。でも約束を破ったのはお前なんだから、拡散はしないでくれよ、な?』

『……条件があるんだけど』

『なんだ?』

『大西君に原君、君達二人が言ってたもっとヤバいことって何?』

『は? なんでお前に教えなきゃ……』

『今すぐこれ、拡散してもいいんだけど?』

 僕の声が遠くなり、原の声が近くなる。

『わかった、わかったって! 言えばいいんだろ言えば』

 再び原の声が小さくなった。

『はぁ……万引きだよ万引き。それで脅されてんの』

『誰に?』

『お前、そんなこと言ったら……!』

『大丈夫、万引きには時効ってやつがある。今更リークされたところで逮捕はされない』

『ほ、本当かよ……。わかった。話すよ』

『随分といさぎいいね。で? 誰』

『……蛯原。蛯原優里だよ、同じクラスの』

『……嘘じゃないだろうな?』

『こんな状況で嘘がつけるほど、俺は肝据わってないんだよ……。なあ頼む、見逃してくれ……』

『……わかった。ただし明日、大西君をその場で止めてくれ』

『は? 無理に決まってんだろ!? 後であいつに何されるか……』

『大丈夫。窃盗に傷害、彼はきっと少年院行きだよ。未来永劫、ネットで叩かれるのと勇気を出すの。どっちが原君のためになるかわかるよね?』

『……おい待て、万引きは時効があるんじゃ』

『あるよ。7年だけど』

『はぁ!? お前……ふざけるなよ!!』

『おっと動かないで。話は最後まで聞くものだよ』

『……チッ』

『僕はリークするつもりは今のところ無い。協力さえしてくれれば、の話だけど。逆に君が大西君に加勢すれば、二人揃って少年院。拡散よりよっぽど社会的地位に傷がつくと思うけど?』

『……確かに、お前にバレちまった以上、俺は袋の鼠、か』

『……』

『わかった。お前の言う通りにする』




 ——ピッ。

 僕は流している録音を止めた。

 彼女はただ、項垂うなだれている。

「僕が聞きたかったのはなんで美依さんを襲わせたのかってこと。答えてくれる?」


 自然と二人の歩みは止まる。優里は、俯きながら、少しずつ話し始めた。

「——私はずっと長田君を見ていた。いじめられている時も、一人で帰る時もずっと。ひとりぼっちの、可哀想な長田君を見ているのが好きだったの……。あなたを慰めている時間が、私の中で一番、甘くて蕩けるような心地がした。あなたを通して、私は自分を慰めていた。でも、あの人のせいで、長田君は変わった。私ね、可愛いものも可哀想なものも全部好き。全部愛おしいの。でも……」

 彼女は一つ、深呼吸をする。

「……かっこいいものは、嫌い。惨めな気持ちになるから。だから襲わせたの。かっこいいあの人が、長田君をかっこよくしてしまったあの人が、どうしようもなく嫌いだから」


 でも全部バレちゃったね、と彼女は空を仰ぎながら苦笑いした。ほのかに覗いた左手首には、何本もの切ったような跡があった。

 僕も、一歩間違えていれば彼女のようになっていたのかも知れない。

「僕は別に君を否定しないよ。ただ、やり方を間違えただけ。取り繕って、無理して笑ううちに、壊れてしまっただけなんだから」

 夕日が、彼女の頬に伝う涙の跡をオレンジ色に光らせた。


 結局優里は、警察に全てを話したようだった。

 美依を襲おうとした大西のやつも、原の働きもあって無事通報が間に合い逮捕された。その数日後、原の方も窃盗の疑いで連れて行かれたようだが。

 学校は、その二人の噂で大騒ぎだった。優里と大西が付き合っていただとか、三人でいかがわしいことをしていたなどの根拠の無い噂も広がった。僕は聞かれる度に否定していたけど、当の本人はただニコニコしているだけだった。


 大西が逮捕された後、美依は僕達を追いかけて、そしてまず僕を殴った。勿論平手で。

「馬鹿! あれだけ自分を大事にしろって言ったばっかりじゃない!!」

 彼女はなんとなく察していたのだろう。僕は必死に謝り、事情を説明した。美依は一通り僕の主張を聞くと、今度は優里を平手打ちした。

「悪いけど、好きな人が自殺まで追い込まれるのを楽しんで見てるなんて怒られても仕方ないからね!? あの二人を脅せるならどうしていじめを止めるように言わないのよ!」

 叩かれた優里は濡れた頬を抑え肩を震わせた。

「だって……いじめがなくなっちゃったら、長田君との接点が無くなっちゃうから……」

 彼女は多分人との関わり方が下手なんだ。なにか理由がないと動いてはいけないと思ってしまっている。だから、僕が助手になった理由に興味があったんだ。

「——まぁ、薄々わかってはいたんだけどさ、あの二人を襲わせたのが優里さんだって」

「え……」

「そもそも襲われることも知ってたしね」

「な、なんで……」

 美依はさっき僕を殴った手をもう一度僕に近づける。咄嗟に目をつぶり身構えると、頭に、温かい感触。

 美依は僕の頭を優しく撫でているようだった。

「まだまだだね……。バックアップのクラウドが私と共通なの、忘れてたの?」

 そういえば、昨日の録音音声……そうか。馬鹿だな、僕って。

「でも、今日蛯原さんに聞かせた音声はバックアップは取ってませんよ。どうして彼女が二人と繋がっていると思ったんですか?」

「そりゃあ……消去法でわかるでしょ? 私が明日フリーなことを知っているのはこの三人。財ちゃんはあんなことがあったんだから当然白、私も白。優里さんは……グレーだね」

「じゃあ、それならなんで、長田君に言わなかったの?」

 優里はまだ痛む頬をさすりながら美依を見上げる。

「だって……財ちゃんは怒るでしょ? 友達が疑われたら誰だって気分は良くない。だから尻尾を出すまで黙っていようと思った。でも……そのせいで今回、助手を危険に晒してしまった」


 なので、と美依は何かを決心した様子でバッグをごそごそと漁り、おもむろにスタンガンを取り出した。

「!?」

 僕も優里も突然のことに驚きたじろいでしまう。だが、美依は僕らにお構いなしに、その腕を天高く突き上げた。

「これからはちゃんと、言うようにする。小さいことも共有して、信頼して、だから」

 彼女はスタンガンをそっと僕に向ける。

「君も……独断で行動するんじゃなくて、ちゃんと共有して。私を、信頼して。不幸なサプライズなんて、誰も喜ばないから」


 僕は美依の目をしっかりと見据えてその腕を握った。

「はい、僕はあなたの助手、ですから」

 満足したのか、美依はスタンガンをバッグに戻し、

「帰ろっか」

 と微笑んだ。


「ちなみに、さっきのスタンガンって……」

 優里が控えめに、まるで聞いてはいけないことを聞く子供のように美依に尋ねる。

「ああ、あれね。護身用。可愛いでしょ?」

 彼女のスタンガンはキャラ物のシールやストーンで派手に飾り付けされ、最早凶器には見えない代物だった。

 僕はまだまだ、助手として、彼女のことを知る必要があるみたいだ。

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