第9話 もれいずる月の影のさやけさ

 人もまばらな病院の待合室で一人、お会計を待つ。検査の結果、幸いにも、骨も内臓も無事だった。

 既に日はほとんど傾き、地平線へゆっくりと、その顔をうずめていく。あの二人はとっくに家に着き、解散している頃だろうか。


 物思いにふけっていると、知らぬ間に電光掲示板に自分の番号が表示されていた。僕は慌てて席を立ち、空いている自動精算機に向かう。

 いつの間にか、待合室にいたのは僕一人のみとなっていた。


 病院を出ると、辺りはもう真っ暗だった。月と建物の明かりだけが、この街を覆っている。あまりにも忙しい一日で、夜ご飯のことをすっかり失念していた僕は、帰宅ついでにどこかの店で調達することを決めた。


 どこがいいだろう、スーパー、コンビニ……。周囲の店を物色しつつ、その歩みを進めていると、一軒のコンビニが目に入ってきた。

 何の変哲もない、よくあるコンビニ。そして、その入口で群れる若者。これもよくある光景だ。僕が気にする必要は全くない。ただし、その迷惑な若者が知り合いの場合を除いて、だが。いや、知り合いではなくいじめっ子達と言うべきだろうか。

 咄嗟に身を隠し、彼らの様子を伺う。やはり間違いない。大西と原、あいつらが何か話している。

 だが何か様子がおかしい。話す、というよりも言い争っているような、そんな雰囲気が見て取れる。気にはなってしまうがもう僕には関係ない、さっさと別の店を探そう。そう思ったその時

「だから、あの探偵襲うの手伝えって言ってんのがわかんねぇのかよ!?」

 大西の怒声が閑静な住宅街に響く。原はその声にびびって震えているようだった。

 探偵……襲う……? それはつまり、美依が狙われているということだろうか。まさか、今日の復讐か? あいつら、全く懲りていない……! いや、今は憤るよりも先に彼らの話を聞いておくべきだ。

 僕はダッシュで店の影に潜み、裏を回って二人に近づく。その声がハッキリと聞こえるギリギリの間合いをはかり、あらかじめマナーモードに切り替えた携帯をこっそり構えた。


「そんなことしたら、俺らのいじめ、バレちまうよ……」

「何言ってんだ原、あいつさえいなけりゃ拡散なんて無理だろうが。長田も、あいつの後ろ盾があるから調子に乗ってるだけだ。ちょっとわからせるだけで万事解決、だろ?」

「で、でもよ……もし通報とか、されたら」

「その辺はきちんと考えてんだ。ちゃんと人気ひとけのない道で、一人のところを狙う。明日がそのチャンスなんだとよ」

「お、長田は? あいつが一緒なんじゃ……」

「だから、それはあいつに任せときゃ大丈夫って言ってんだろ? それにあんなやつ、いたところでどうせ何も出来ねぇよ」

 思わず頭に血が上りそうになる。だが、ここで出て行っても返り討ちに遭うだけだ。

 僕はなんとか平常心を取り戻し、録音を続けた。

「わかってる、そりゃわかってるんだけどよ……」

「何ひよってんだ! どうせ断ってもさ、もっとヤバいことがバレちまうんだぜ? だったらあいつをボコして、鬱憤晴らす方が百倍ましだろうが」

「……」

「なぁ頼むよ原ぁ……。俺一人じゃどっちもバレて最悪な結果になるのはわかってんだろ……? 俺とお前との仲じゃねぇかよ……」

 大西は原の肩をポンと叩く。

「……大西」

 原がそれでも下を向いていると、大西はその肩に置いた手に力を込め、思いっきり引き寄せた。

「お前は断れねぇよな? 俺とお前はどっちも共犯なんだ。今更罪重ねたところで変わりはしねぇよ。な?」

 耳元で囁く大西に、原は頷くことしか出来ない様子だった。

「よし、じゃあ明日、放課後決行だからな! 忘れんなよ」

 大西は原を残し一人、去っていった。原の方はというと、その場にへなへなと座り込み大きくため息をついた後、ひたすらに虚空を見つめていた。


 これはチャンスだ。いつも助けてもらって、後ろに隠れてばかりの僕に与えられたチャンス。僕はこの偶然に感謝しなければならない。

 録音した音声のバックアップを取りながら、僕はようやく月光のもとにその身を晒した。

「こんばんは、原君」

 今までにないほどの笑顔で、僕はそう彼に話しかけた。


 翌日、時は来た。放課後、下校する生徒に混じって校門まで急ぐと、そこには既に美依が待機していた。

 長袖の白いワンピースにはこれでもかというくらいのフリル、これまたフリルのついた黒いコルセット、おまけにキャンディの髪飾りにハートのバッグといつも通りの彼女に、周囲の生徒は驚いているようだった。

「すみません、遅くなりました!」

 僕は手を振り彼女に駆け寄る。

「全然、今来たところ。それで、彼女は?」

「今日は委員会があって遅くなるって……」

「わかった。じゃあ私は少し後ろで待機しとくから」

 そう言って美依は、帰り道とは逆の方へ歩き出した。彼女はきっとなにも知らない。でも、それでいい。自分の後始末は自分で、だ。


 しばらく校門前で待っていると、後ろから僕を呼ぶ声がした。

「おまたせ! ごめんね、だいぶ遅くなっちゃって」

 優里は息を切らして肩を上下させている。

「いや、待ってないよ。少し休む?」

 今にも倒れてしまいそうな優里を気遣う僕に、彼女は首をブンブンと振って答えた。

「大丈夫! 歩けば落ち着くから」

 そっか、と答えて僕達は、夕焼けで赤く染まる道をゆっくりと歩き出した。さぁ、作戦決行だ。


 既に下校し尽くした後だからか、帰る道に生徒の姿はほとんど見えない。時々、散歩する人が目に入るくらいだ。

「ねぇ」

 不意に、優里が僕に話しかけてくる

「長田君はさ、なんで探偵の助手なんてやってるの?」

 その疑問は当然といえば当然だろう。彼女には、話しておくべきかもしれない。

「美依さんは、僕の恩人なんだ。僕が自殺を考えるまでに追い詰められていた時に彼女に出会ってさ、僕はなにもわかってなかったってことがわかった。」

「どういうこと?」

「僕は自分の人生、全部わかったような気になってたんだ。ずっといじめられて、それを引きずって、苦しい人生を送るくらいなら死んだ方がいいって、そう思ってた。でも……」

「でも?」

「彼女を見て、自由で、僕の予想出来ないことを平然と引き起こす彼女を見て、かっこいい、僕もそういう風に生きたい。そう思った」

 自分で言っていて照れくさくなってしまい、僕はつい、顔を背けて頭をかいてしまった。

「私も、思ったよ」

 優里がポツリと呟く。

「あの人は長田君をあんなにあっさり助けちゃった。私には、あんなやり方出来ない」


 彼女はずっと下を向いている。聞くなら、きっと今だ。

「あのね……長田く」

「蛯原さん」

 優里の言葉を遮り、僕は彼女の顔をしっかりと見る。

「僕からも一つ、質問いいかな?」

「な……なんだろう? いいよ、言って?」

 彼女も上目遣いで僕の顔をじっと見つめた。微妙な空気が二人の間を通り抜ける。


「大西君と原君に、美依さんを襲うように言ったのは君、だよね?」

 空気が一瞬にして凍る。

 彼女の双眸そうぼうが大きく、目玉が飛び出るのではないかと思わせるほど大きく開かれた。

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