第7話 忍ぶることの弱りもぞする

「いやー、しかしここ、全然変わってないねー」

 美依が久しぶりの母校に興奮している様子を眺めながら、僕は保健室で最低限の治療を受けていた。今日は幸いにもほとんど血を流さずに済んだ事にホッとしていると、

「はい、終わり」

と言って、保健室の先生が僕の頬に絆創膏を貼った。保健室に来るのは出来れば今日で最後にしたい。

「ところで、こちらの方は?」

 保健室の先生は美依の方を見て首を傾げる。確かに、学校という空間で美依の容姿はかなり浮いている。とても、先生や学生には見えない。

「私、遠藤美依と言います。実はこの高校のOBでして……。あ、勿論、入校許可もちゃんと貰ってます」

 そう言って美依は胸元にぶら下がるカードホルダーを先生に見せた。

「あら、もしかして遠藤さん!? 嘘、全然気が付かなかったわ……。まぁ可愛くなっちゃって」

 どうやら先生は美依のことを知っているようだった。先生はそっと僕に耳打ちする。

「実は彼女、よくここに来てたのよ……。階段で転んだり、理科の実験で火傷したり、体育で怪我したり……とにかく色々」


 僕が思っているより彼女はドジっ子だったようだ。彼女が保健室の常連だと言った時、一体何人がその原因を、精神的なものではなく単純に怪我のせいだと思えるのだろう。よし、このことは一応内密にしておこう。僕はなんとなくそう決意した。

「じゃあ仕事も終わったし私は帰るね。一応、学校終わったら病院に行くこと! それじゃ」

 美依はそう言い残し、保健室を出て行った。

 キーンコーンカーンコーン

 昼休みの終わりを告げる、予鈴よれいがなった。


 放課後、あれから何事もなく、僕は肩から荷が降りた心地で下駄箱へ向かった。いつものように自分の名前を探し、その扉を開ける。

 今まで通りなら、その中が空っぽだったり、落書きや画鋲などといった、ちゃちな悪戯いたずらが待ち構えているところだが今日は違った。悪戯の痕跡を残さないさらな靴、そしてその上に、一通の手紙。

 こ、これは……いわゆるあれか?ラブレターなのか!?

 緊張でじっとりとシャツが濡れる。震える指先で、その可愛らしい封を慎重に、丁寧に開けた。

 まず目に入ったのは手紙の文字。丸く、ちょこんとした字体はいかにも女子、という感じがする。

『長田財時さんへ

 話したいことがあります。放課後、校舎裏に来てください』

 新手の悪戯かとも思ったが、これはもしかすると本当かもしれない。淡く脆い期待。だが僕は、例えそれがほんの少しの可能性だったとしても、決して無碍むげに扱うことは出来なかった。


 校舎裏、一人で、顔もわからない手紙の主をただひたすらに待つ。可愛い子だろうか。いや、重要なのは見た目ではなく中身だ。知り合いという可能性もあるがはたして……。妄想は膨らむばかりだ。


「ごめん、遅くなっちゃった!」

 か細い声。僕はこの声を知っている。

 顔を上げると、そこにいたのはクラスメイトの女の子、僕がいじめられる度に心配してくれて、いつも声をかけてくれる優しい女の子だった。

「えっと、話したいことって?」

 僕は期待に胸を膨らませずにはいられない。今までの優しさ……その答えを早く知りたくて、心がたかぶる。

「実は……」

 ドク……ドク……。

 自分の心音がその体を大きく震わせる。

「依頼したいことがあって」

「……え?」

「ごめん、今日の昼休みのあれ、見てたの。長田君、探偵の助手やってるんでしょ? それで相談したいなって思って」


 それ以上は耳に入らなかった。期待した自分の馬鹿さ加減には、ほとほと呆れてしまう。無情にも、僕のときめきは打ち砕かれてしまったのだ。そのショックは大きいが依頼は依頼。切り替えるのが男というものだ。

「わかった。じゃあ事務所まで案内するよ」

「本当!? ありがとう」

 そう言って彼女は笑った。期待していたような告白ではなかったが、何かと助けてくれた彼女に恩を返すのも悪くはないのかもしれない。

 夕焼けに染まり出した空を仰ぎながら、僕は平常心を取り戻した。

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