第4章 その四肢は誰がために踊る

第16話 行方不明の大女優

『……続いてのニュースです。過去に女優としても活躍していた足立あだちハナさんが行方不明となってから、今日で一週間が経過しました。警察はいまだに捜索を続けており、周囲からは心配の声が上がっています』


「ねえ」

「……」

「おーい!」

「……あ! す、すみません」

 僕は今、夏休み明け、華の金曜日の放課後を、この探偵事務所での訓練に費やしている最中だった。ボーッとしていた僕をとがめるように、美依は視線をテレビに移す。

『ハナさんの夫である足立グループ社長、足立 誠一郎せいいちろうさんは……』

「このニュースがそんなに気になるわけ? あ、もしかして足立ハナのファンとか」

「いや、そうじゃなくて……。この足立グループっていうの、僕の母さんが働いてる店のオーナーなんですよ」

「ふーん」

 そう言って美依は僕の手元からトランプを一枚抜き、口の端をわずかに歪めた。

「はい、あがり」

「ぐっ……そんなぁ……」

 これでちょうど十連敗。僕は不貞腐れながらも余ったジョーカーを机に放った。

「いやあ、惜しかったねー。もうちょっと集中してたら勝てたかもしれないのに」

 数字の揃ったカードを扇子のようにふりかざして、美依は意地の悪い笑みを浮かべていた。

 訓練という名の遊びとはいえ、ここまで負け続けると悔しさからつい「もう一戦」と言いたくなってしまう。こうやってギャンブラーは破滅していくのだと、僕は身をもって実感した。


『……はい。たったいま情報が入りました。行方不明となっていた足立ハナさんですが、遺体の一部と思われるものが都内のバーで発見されたとのことです。警察は……』

「うわー、この都内のバーって結構近くじゃない? ねぇ、財ちゃん。……財ちゃん?」

 そのニュースで映されたバーに、僕は見覚えがあった。間違いない、ここは……。


 ブブブブブ——。

 不意にポケットに入っていた携帯が震えだす。僕は慌ててその電話に出た。

「はい、もしもし」

「あ、財時ざいじ? 悪いんだけど、しばらく家に帰れそうにないかも」

「え? でも母さんの店、ニュースに出てたよ? 当分は営業できないんじゃ……」

「あー。いや、仕事で忙しいからってわけじゃ、ないんだけどね……」

 じゃあなんで、そう言いかけたところでニュースの声が僕の思考を塗りつぶす。

『発見した従業員は、行方不明となった足立ハナさんの夫である足立誠一郎さんの元妻であり、警察は事件と何らかの関係があるとして詳しい話を……』

「……もしかして、事情聴取? 母さんの同僚が疑われてるみたいだけど」

「あー、いや、その……ま、そんな感じ」

 母の声はどこか弱々しく、微かに震えている。無理もない。事情聴取なんてそうそう経験するものではないのだから、緊張して当たり前だろう。そう思う一方で、どこか言いようのない不安が全身を包む。

「本当に?」

「……ははっ。流石、我が息子ながら鋭いね」

「それって、どういう」


 電話越しに伝わる不穏な空気。テレビはいつの間にか消され、束の間の静寂が事務所内を支配した。

「私なの」

 母の囁くような声が、重い沈黙を破って僕の脳天に突き刺さる。

「何? どういうこと?」

「私が第一発見者。だからごめん……。しばらくは、帰れない」

 その言葉の意味を、必死に咀嚼しようと脳がフル回転する。じわじわと、でも確実に、現状を思い知らされる。

 電話は既に切れ、グチャグチャの頭に追い打ちをかけるように単調な電子音だけが、いつまでも、いつまでも響いていた。


「……ねえ、大丈夫? お母さんが、どうかしたの?」

 心配そうな顔で覗き込む美依を、僕はすがるように見つめることしか出来ない。乾いた空気が喉を何度もすり抜けて、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほどに掠れていた。

「母さんが……。母さんが、逮捕されるかもしれません」

「何、それ……! なんで、何の疑いで?」

「さっきの、ニュース……。あの、第一発見者が母さんで、それで」

 涙が喉に詰まって上手く喋れない。携帯を握りしめる手が痛い。気がつけば、僕は訳もわからず号泣していた。

「大丈夫、大丈夫だよ、財ちゃん。お母さんは絶対無実だから。だから落ち着いて、ね?」

 髪をそっと撫でられる度に、段々と感情のたかぶりがおさまっていく。一定間隔で感じる手のひらの温もりが、僕の心音と重なり優しく全身に広がった。

「すみません……もう、大丈夫、です」

 頭に乗る手に自分の手を添えて、さりげなく宙へと下ろす。視界に揺れる、彼女の指に巻き付けられた絆創膏が妙に目についた。

「ねぇ……依頼、してみない?」

「え?」

「今なら家族割引で無料。代理の依頼でも可。どう?」

 やる気に満ちた目で美依は静かに微笑む。母の無実を一刻も早く証明したい僕に、その提案を断る理由など存在しない。何も出来ないまま、このまま帰りを待ち続けるだなんて、助手の名がすたるというものだ。

「母さんの代理で、頼みます……。どうか、この行方不明事件の真犯人を見つけて、疑いを晴らしてください!」

「よし、そうこなくっちゃ!」

 差し込む夕日が、僕達の決意を鮮やかに照らし出す。無造作に置かれたジョーカーが、秋風に吹かれてふわりと裏返った。


 その一枚のカードは机の端にしがみつきながら、こいのぼりのようにゆるくたなびいて。

「……ん?」

 角の方を触ると僅かにではあるが、粘着質の、ベタベタした何かが指に引っかかる。美依の方を訝しげに見れば、さっと手を後ろに回してあからさまに目を逸らした。

「美依さん……まさか、その中指の絆創膏でズルを……?」

「だ、だから言ったじゃん。集中したら勝てる……ってね!」

 やられた。僕は思わず天井を仰いだ。

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