第17話 探偵の足は調査のために

 翌日、気を取り直して、僕は美依の待つ事務所へと向かった。やはりというか、なんというか。結局、母は朝になっても帰って来なかった。まだ、取り調べを受けているのだろうか。まさか夜通し? ただでさえ眠る時間がないのに……。そんなネガティブなことばかり考えてしまう。

「……あ、着いた」

 気がつけば、遠藤探偵事務所と書かれた扉がもう目の前にあった。

「お父さん、どう? なんか情報貰えた?」

「いや、それがな……」

 この声……所長と美依が何か話しているみたいだ。

「知り合いに協力を申し込んではみたが、どうもそういう情報漏洩には上が厳しいみたいで……。唯一ポロリ出来たのは、長田君のお母様がずっと黙秘してて中々捜査が進まないってことぐらいか」

「それ、本当ですか」

 思わず扉を開けて、僕は二人の話に割り込んでしまった。もっと入るタイミングを見計らうべきだったかもしれない、と入った後になってふと思う。

「あ、財ちゃん……そうか、聞かれちゃったか」

「……母さん、何で」

「わからない。何もわからないからこそ調べる必要があるんだ。探偵たるもの、情報はただ待つんじゃなくて……」

 所長は自身の太ももを小気味よくはたき、不敵に笑った。

「やっぱり、足で稼がなきゃな」

 不安は未だ僕の心に巣食っている。しかし、その所長の一言に僕の口角は自然と上がっていた。基本のである聞き込み調査、望むところだ。

「それなら、僕は母さんの職場、現場に行かせてください。母の同僚に何度か会ったこともあるので話も聞きやすいでしょうし」

「あ、私も一緒に行きたい。遺体の一部があったって場所、ちゃんと自分の目で見たいな」

「ふむ、じゃあ足立さんの家には私が行こう。行方不明になった経緯も聞きたいからね」

 こうして、僕達はそれぞれのやるべきことを胸に、探偵事務所を後にした。


 母が勤めるバーは事務所からそこそこ近い距離にある。バーテンダーとして働く姿を僕は中々見かける機会がないのだが、近所では美味しいと評判らしい。母がそう自慢するのを昔はよく聞いていたものだ。だから例え父親がいなくても、いつも家でひとりぼっちでも、母は唯一の家族であり、僕の誇りでもあった。

「ねえ、これはあくまで調査の一環だから気を悪くしないで欲しいんだけど……」

 目的地に向かう最中さなか、美依は遠慮がちにポツリと漏らす。

「母さんのこと、ですか?」

「昨日のニュース……。足立グループ社長の元妻っていうのはさ、つまり」

「僕の父親、なんでしょうね。多分、きっと」

 美依の言葉を遮って、僕は小さく息をついた。彼女は僕の方を見ることなく、頭のリボンを微かに揺らしうつむいた。

「そっか。財ちゃんは聞いてなかったんだね、お母さんから」

「と、いうよりは……聞けなかったんです、単純に。自分が覚えてすらいない昔のことを今更聞いたところで、何の意味もないことくらいわかっていましたから。それに……」

「それに?」

 僕は真っ直ぐに、ただひたすらに前を向いて素直な心を吐き出した。

「僕の家族は、今も昔も母さん一人だけです」

「……そう、そっか」

 美依は心なしか、晴れ晴れとした表情をしていた。


 バーの前まで行くと、店員のような人が扉から出てくるところに偶然鉢合わせた。一瞬ギョッとしたような表情をしたが、僕の顔をまじまじと見て、店員は安心したように微笑んだ。

「長田さんの息子さん、だよね? 久しぶりに見たけど、大きくなったねぇ……」

「はい、お久しぶりです。あの、今日はちょっと聞きたいことがあって……。その、母さんの、ことで」

「そうよね、そりゃあ親が急に連れて行かれたら心配よね。えっと、そちらの方は……?」

「あ、すみません。これ、名刺です。長田さんから詳しい調査をするよう承りまして、付き添いで」

「探偵さん……。なるほど、ね。とりあえず二人とも、一旦店の中で話しましょうか」

 店員は辺りを警戒するように視線を泳がせながら、僕達を招き入れてくれた。


「ごめんね、ちょっとマスコミ続きで気が張ってて」

「いえ、こちらこそすみません、お忙しいところ」

「あら、いいのよ。しばらくは営業も出来そうにないし。それに長田さんにはずっとお世話になってきたから……。私に協力できることがあるならむしろ嬉しいわ」

 店員はにこりと笑い、カウンターから水を出してくれた。まだ残暑の残るこの季節、少し冷えたコップがはやる気持ちをゆっくりと落ち着かせていく。

「それでえっと……何から話せばいいのかしら」

「昨日の逮捕された状況、まずはそれが知りたいです」

「そうね……昨日のお昼くらいかしら。開店の仕込みのために長田さんと私、それに数人のスタッフが準備していて、私と長田さんが倉庫に行ったの。そこの鍵は長田さんが持ってたから開けてもらって、そしたら……手が」

「手?」

「そう、何というか……ミイラみたいにカピカピに乾いた左手があったの。薬指には名前入りの指輪もあった。外れかけてはいたけれど」

 なるほど、ニュースで言っていた遺体の一部というのはこの左手のことだったのか。僕は相槌を打ちながら続きを促した。

「それから、通報して警察が来て、今みたいに状況を説明して……一件落着かと思ったんだけど」

「でも、何で母さんがこんなに疑われているんですか? いくら何でも早計すぎるというか……」

「それは多分、倉庫の鍵のことを言ったからだと思う。あそこの鍵はオーナーの足立社長と行方不明になったハナさん本人、それに長田さんしか持っていなかったから」

 店員は顔を暗くしてため息を一つついた。確かにその状況でもっとも手っ取り早く捕まえられるのは母一人だ。社長は被害者側だから慎重になる必要があるし、別の真犯人がハナの鍵を奪って遺体を捨てたとしても、それを特定するには時間がかかりすぎる。

「あの、他に出入り口とかは……?」

 美依は店員が落ち着く頃を見計らってそっと訪ねた。

「そうねぇ、見たほうが早いかもしれないわ。今は私が鍵、預かってるから」

 こっち、と手招きしながら彼女はカウンターを出て入口のドアノブを回す。向かった先は店の裏。そこにはこじんまりとした、いかにも倉庫という感じの小屋が建っていた。

「たまにね、ハナさんがこの倉庫に抜き打ちで来たりして、よく驚かされたものだわ。なのに……まさか、こんなことになるなんて」

 小屋の扉に手をあてて、店員はしみじみと呟く。

「よく、来てたんですか。足立ハナさんは」

「ええ、この店がかなり気に入っていたみたいで……よく弟さんと一緒に飲みにね。長田さんとも仲が良かったのよ」

 そう言って彼女は涙ぐんだ。

「ごめんなさい、つい感傷に浸っちゃって。今、開けるわね」

 見た目の割にセキュリティはしっかりしているようで、店員がカードキーをスライドさせるとピーという機械音と共に扉がゆっくりと開いていく。

「……ヒッ!」

 瞬間、彼女は腰を抜かしへなへなとその場に座り込んでしまった。その顔は青ざめ、歯はガチガチと音を立てて打ち鳴らされっぱなしである。

「だ、大丈夫ですか!? もしかして、昨日のがトラウマ、とか……」

 思わず駆け寄った刹那、倉庫の中、彼女が目にした何かがふと視界をよぎる。灰色、いや茶色、違う。あれは、肌色。

「嘘、でしょ……?」

 その動きにつられて、店員の視線を辿った美依は完全に見てしまった。覗き込んだその先にある、明らかに異質な物体を。

 それは、ミイラのように乾ききり、生命の息吹を一切感じられない、切り取られた右手。遺体の、一部だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る