第19話 手は口ほどにものを言う

 出てきた彼女は正直言ってかなりの美形だった。それこそ、かつてテレビで見た、記憶上の足立ハナと同じくらいに。まぁ、姉妹だというのなら当たり前なのかもしれないが。

「あれ、長田さん。あの……その方々、は」

「ああごめんね、この子がうちの息子で、こっちのダンディな方は……ええと、そう! お付き合いしてるの。で、その娘さん。お互いバツイチどうしでさ〜」

 咄嗟についた、明らかに苦し紛れの嘘。しかし、どうやら相手は意外にも、素直に納得してくれたみたいだった。

「えっと、それで今日はどうして?」

「あ、そうだ。ハナちゃんが行方不明になったの知ってるでしょ? 最近そんなニュースばっかりで、ちょっと心配になって来ちゃった。もしかしたら、何か知ってるかもしれないと思って」

「そっか……ありがとう。ごめん、家はちょっと汚くて。どうしよう、ファミレスとかで話す?」

 困ったような表情で首を傾げ、顔をかく彼女。その左手には、今の美依と同じように絆創膏が貼ってあった。


「それにしても……ちょっと日に焼けたんじゃない? 海にでも行ったの?」

「え? ああ、まあね。夏だし」

 日焼け止めが面倒で、と笑う彼女につられて、母も目を細めてにっこりと微笑む。

「そっか、行けるようになったんだね、海」

「……え?」

「いや、前に二人だけで話したことあったでしょ? ハナちゃんは抜きでさ……。その時に本当は海が苦手だって言ってたから」

「あ、いや、苦手だよ? でも友達の付き合いで……」

「あら、友達出来たの!? よかったぁ……心配してたのよ。作ったらって言ってもずっと『いらない』の一点張りだったから」


 何というか、二人の会話は噛み合っているようで噛み合っていない気がする。言葉に出来ない違和感。まるでハナの妹が母に言い訳をしているような、全くわからない話に合わせようとしているような、そんな感覚があるのだ。母の記憶が、目の前の彼女と微妙に合致していない。

「ねえ、長くなるならファミレス行こうよ。世間話はもう十分じゅうぶんでしょ?」

 ハナの妹は短い髪を揺らしながら、僕達の間を通り抜けて進む。その後ろ姿を、何故か母は目を見開いて凝視している。なんだ、何かに気がついたのか? なんとなく、今を逃したら駄目な気がして、振り返らず歩こうとする彼女に思わず手を伸ばす。


 道路まであと僅か一歩、そこで彼女の動きは止まった。いや、引き止められた。

「ここで大丈夫です。よかったら、あなたのお姉さん、足立ハナさんの行方についての簡単な推理を聞いていただけませんか」

 その手を掴んだのは、美依だった。お互いの絆創膏が触れ合い、カサリと無機質な音を立てる。

「はぁ……? 姉はもう、見つかっているじゃありませんか、遺体として。犯人だってもう捕まっている。今更、何を推理するっていうんですか」

「そのためには、この絆創膏を外してもらう必要があります。左手の薬指。私が言いたいこと、わかりますか?」

「いいえ、わかりません。これは料理……いや、紙で切っただけですから」

「こんなに根本ねもとの方を? 薬指や中指の根本なんて一番怪我しにくい部位だと思いますが」

「じゃああなたは? あなただって中指の根本に絆創膏貼ってるでしょ。同じだよ。私の薬指と一緒」

 その言葉を聞いた瞬間、美依は悪い顔でニヤリと笑った。


 駄目だ、美依が何をしようとしているのかさっぱりわからない。そもそもこの段階で推理なんて、絶対に無理だろう。

 左手の薬指が一体何に……いや、待て。ちゃんとメモしたじゃないか。遺体の身元が本当に指輪でしか特定されていないとすれば、当然別人の可能性もある。外れかかった薬指の指輪、それがもし、遺体をハナだと思い込ませるためだとしたら……?

 四肢を二日に分けてばら撒いたのも、最初にハナの遺体だという印象をつけた後で、その罪をハナ以外の誰か——撒かれた場所からして恐らく社長——になすりつけるためだとしたら……。筋は通る、のかもしれない。


 美依は笑いながら、ゆっくりと自分の絆創膏をめくり、少しずつ剥がしていく。湿気がこもりふやけた皮膚。その一部分が輪のように、白く浮き上がる。

 そうか、どうして忘れていたんだろう。美依は夏の間中ずっと、指輪をつけていたじゃないか。誘拐に巻き込まれた時に失くした指輪、その日焼け跡を隠すために、彼女はわざわざ絆創膏を巻いていたのだ。

「さぁ、あなたの番ですよ。同じ、なんですよね?」

「……ええ、確かに。でも指輪の跡を隠したからって何になるの? 誰でも指輪の一つくらいする。私はただ、職場NGだからそうやって」

「違う」

 母は拳を握りしめ、地面を見つめながら唸るように呟く。

「やっぱり、あなたハナちゃんでしょ? 指輪も、私って一人称も、あの子は……ハル君は使わないもの。それに……」

 顔を上げた母は、その双眸を潤ませて自身の耳をちょんとつついた。

「耳の裏の黒子ほくろ、ハナちゃんにあって、ハル君にないもの、違う?」

 アルカイックスマイルをたたえた短髪の天使は、そっと左手で耳を押さえる。取り払われた絆創膏の下にはくっきりと、日焼けによる指輪の跡が残っていた。

 一筋、透き通った涙が頬を伝い落ち、アスファルトに弾けて散り散りとなった。

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