#16 踏み抜く


 無事チラシを全て配り終えた私たちは、すっかり暗くなった中帰路についていた。


 一定の間隔を置いて立っている街灯はレトロなデザインで、オレンジ色の光がぼんやりと灯っている。

 だが、それとは別に夜の街を照らす光があった。

 蛍のように、空中に光が飛んでいる。それも色とりどりの。


「これ、なんです?」


「夜光虫。これからの季節出てくるんだ」


 と、大七矢さんがその中の1匹を手で包み込み、私に差し出す。


 虫は苦手じゃないけど、いきなり目の前に虫を差し出すのはびっくりされるよ。

 だけど大七矢さんの手の中にいたのは思い描いていた蛍のような虫の姿とは大きく異なっていた。


「蝶々? でも身体がなくて羽だけみたい」


「この羽に昼間の光を貯めて、夜に光る。個体で光の色が違うのは、鱗粉の量とか角度によるんだそうだ」


 その蝶に似た光は、大七矢さんの指先からふわりと羽ばたき、夜空に消えていった。

 ふわふわと舞う光の下にいると、星が一気に増えたみたいだ。


「なるほど。人間界で言う夜光虫とは違うんだな。あっちはプランクトンだし」


「へえ。同じ名前の生き物がそっちにもいるのか」


 ユウヤが呟いた言葉に、大七矢さんが興味津々で食いつく。

 2人とも物知りだし、知的探究心が強いから気が合うのかもしれない。


「ユウヤ、ほんとに博識だよね」


「図鑑が絵本替わりで有名なユウヤくんですから!」


「いや違うでしょ」


 だが私が褒めるとすぐ調子に乗るのがユウヤだ。

 ある意味わかりやすくて扱いやすいからいいんだけど。


「にしても今日の心菜はよく頑張ったな!」


「え」


 話の流れをぶった切って七宝さんが満足そうな顔をしている。


「初日から頑張ってくれて店長は嬉しいぞ! ユウヤもな!」


「いえいえ。俺も楽しかったよ。ね、心菜ちゃん」


 うんうん、と腕を組んで大袈裟に頷く七宝さんの空気に押され、今更少し小っ恥ずかしくなって下を向く。


「いや、えへへ……でもあれは七宝さんのおかげというか」


「何? やっぱりオレが素晴らしかったのか! 優秀な上司NO.1だからなオレは!」


 手のひら返しがすごいなこの人。

 いつも自信に満ちているのはいい事だけど。


「調子に乗るな馬鹿野郎」


 そんな七宝さんの肩にチョップを食らわす大七矢さん。頭には手が届かなかったのかな。


「おい心菜、今失礼な事考えただろ」


「い、いえ、そんなことないですよ!」


 大七矢さんにギロリと睨まれ慌てて目を逸らす。

 心を読まれた。

 でも並んで立ってるのを見たら余計に身長差に目がいくわけで、これは不可抗力だもんね。ね?


「でも2人ともお疲れ様だよお。色々とわかんない事ばっかで大変だったでしょ? えらいえらい」


 にこにこと穏やかな笑みを浮かべ手をかざす文月さんに、思わず頭を下げて大人しく撫でられてしまう。

 なんか、私もここに染まってきている気がする。


「ほら、ゆーたんもえらいえらい」


「いや、俺年上」


「撫でるから屈みなさい」


「……はい」


 おい年上しっかりしろ。呑まれてるぞ。

 その横で良緑さんが猫のように伸びをする。


「今日は珍しく働いたからお腹すいたなー。神夜、今日の夜ご飯何?」


「そういや決めてないな。何がいい?」


 その言葉に、真っ先に目を輝かせたのが七宝さんと文月さんだった。


「神夜! オレトンカツがいい!」


「僕はお菓子食べたい!」


 はいはい、と手を挙げて神夜さんに詰め寄る2人の勢いに、神夜さんは慣れているのか微動だにせずに考え込む。


「はいはい、わかったから。トンカツか……。豚肉、あったっけな。今から油使うのはめんどくさいな」


 まるで主婦だ。

 思考がもうお母さんだよ、神夜さん。


 ぶつぶつと呟きながら思考を巡らせる神夜さんの言葉に大七矢さんがぴくっと反応する。


「あ、めんどくさいなら今日の料理当番、変わってやろうか? この前見たレシピを試してみたくて」


 心做しかそわそわして見える彼の言葉を、私以外のみんなが声を揃えてかき消した。


「却下」


「なんでだよ!」


 何故だかみんな目が死んでる。

 ユウヤに関しては少し震えているようにも見える。

 みんなに反対された大七矢さんも納得のいかないようでわなわなと拳を震わせていた。


「大七矢さんは料理しちゃ駄目なんですか?」


 本人を前にして堂々と聞くのも申し訳ない気がするので、隣にいた良緑さんにこっそり耳打ちする。

 だけどそんな私の気遣いも気にせず、みんなに聞こえるくらいの声量で良緑さんは悪びれもせず答えてくれた。


「あー、大七矢の作る料理ってすげー不味いんだよなー。あれはもう、もはや料理と言うのもおこがましいレベル。食べれるものから食べれないものを生み出す。無害なものから毒を生み出す。錬金術師もびっくりよ」


「そんな言わなくてもいいだろ!」


 あーあー、そんなに言うから大七矢さん涙目になっちゃってるよ。

 何だか可哀想になってくる。

 自分より背の低い子がショックを受けているのを見て、慌ててフォローする。


「い、いやー、さすがにそんな事はないでしょ、大七矢さん器用そうだし……」


 私の言葉を聞いた途端、曇っていた大七矢さんの表情が少し輝く。

 だが、そんな所に七宝さんによる空気を読まない追撃が。


「大七矢はマジで料理下手とかいうレベルじゃないんだぞ! あれはこの世の地獄を煮詰めているとしか思えない!」


「この野郎! もう知らねー! バカー!」


 とうとう大七矢さんは拗ねて私たちの少し前をずんずん歩いて行ってしまった。

 これは完全におこだ。


「七宝さん……あーあ……」


「なんだい? オレは嘘はつかないから安心してくれよな!」


 呆れる私に気づかないのか、七宝さんは豪快に笑って胸を叩いた。

 違う、そうじゃないんだよな……。


「心菜ちゃん、気にしなくてもいいよお。そのうち機嫌直すよ」


「妙に達観してますね文月さん」


「割といつもの事だからね」


「そうですか……」


 常識人だと思っていた大七矢さんも、意外と子供っぽい性格のようだ。

 いや、この場合七宝さんが悪いのか?

 そして本当に大七矢さんの料理は不味いのか?


「あんまり言うと機嫌直すのめんどくさいんだからやめろよな」


 はあ、と大きく溜息をつきながら神夜さんは良緑さんの頭を軽く叩いた。

 良緑さんは、「はいはーい」と反省してないようだけど。

 

「文月も、大七矢の機嫌なんか勝手に治るもんじゃないんだから。適当な事言わないの」


「そうなんですか?」


「てへ」


 そうなんかい。


「心菜ちゃん、本当に大七矢の料理は……言っちゃ悪いとは思うけど、マジでみんなの言う通りやばいから気をつけてね。俺はもう地獄を見てるから……」


 ユウヤまで青い顔をしてたのは、経験者だったからなのか。

 こんなに証言者がいるのなら本当なんだろうな。

 何だか疑って悪かったような悪くないような。


 少し先をしょんぼりと肩を落として歩く大七矢さんを見てると罪悪感が湧き出てくる。

 なんか申し訳ない事しちゃったな。

 いやでもあれは自滅なのでは。

 もしや自覚ないタイプのメシマズなのか。


「あ、えっと、大七矢さん」


 みんなの元を離れて大七矢さんに近づくも、あまりのへこみ様に気まずくなってしまう。


「……んだよ。心菜も俺の飯なんか食いたくないってんだろ……」


 うわあ、あの自信家で偉そうな大七矢さんがここまでへこんでる。

 人間、ちょっとした事でこんなにも変わるもんなんだなあ。


「ち、違いますよ、やだなあ!」


「……本音は?」


「……私、警戒心が強いタイプでして」


「ほらやっぱり食いたくないんだろ! みんなして俺の事を料理下手とかダークマター製造機とか炭の錬金術師とか言うんだ!」


「いや全く食べたくないとかじゃなくてですね! てかそこまで言ってないですからね!?」


 余計に落ち込んでしまわれた。

 しまった、何かフォローしなければ、この人のテンションはどんどん奈落に落ちていってしまいそう。


「あ、え、えーと、私、家庭科の授業とかいつも平均点だったんですよね! もっと個性を出せるような独創的な料理をしたくって! よかったら一緒に何か作りませんか? 参考にしたいなー……」


 慌てた私の口からは自分でもよく分からない言い訳が出てきてしまった。

 それを聞いて大七矢さんの歩みがピタリと止まる。


「……したいなー……なんて……」


 しまった。

 さすがにあからさますぎるよな。

 相変わらず私は言い訳が苦手すぎる。

 これは余計に怒らせてしまったパターンか?


「……な……」


 大七矢さんの肩が震える。

 絞り出されたような声に思わず背筋が伸びる。


「すみません! 悪気があった訳では、」


「なーんだ、そうかそうか!」


「……へ?」


 顔を上げ私に向き直る大七矢さんの目は想像とは真逆で、なんていうか、すごく嬉しそうにキラキラしていた。

 え、チョロい。

 いやそうじゃなくて。


「えーと、大七矢さん?」


「そうか、俺の料理を参考にしたい、か。仕方ないな。俺はそう簡単に手の内を明かすような奴では無いけどな、そこまで言うなら考えてやらんこともないぞこの野郎」


 そうは言いつつ、頬が緩みまくっている。

 あの仏頂面と同一人物なのかと疑うほど、満面の笑みだ。


「全く、心菜は俺の事を舐めているみたいだな。七宝みたいにそんな単純な奴じゃないんだぞ俺は。だが仕方ない。そうと決まれば今日の晩飯後、キッチンに来い。俺が直々にレクチャーしてやろう、独創的な料理をな。明日の朝飯は決まりだな」


「あ、あはは、そうですね」


 予想外の地雷を踏み抜いたかもしれない、と気付いた時には遅かった。

 大七矢さんは意気揚々とみんなの元へ戻り、さっそく明日の朝御飯の話をしている。

 それを聞いたみんなの顔が青くなり、何か言いたげな目で私を見る。

 大七矢さんはそれに気付いていない。


「よし、じゃあ今から買い出しだな。今日の夜はトンカツだっか? まあいい、好きな時に作れるように豚肉も買うか。あとは心菜とユウヤの日用品も必要だな。家具は俺の家か七宝の家から送ってくるとして……まあいい、必要なものがあれば買えばいいんだからな。ほら行くぞ、もう日も落ちているんだから」


 どん底にあったテンションが天井突破った勢いで上がっている大七矢さんはいつも以上によく喋る。

 これがマシンガントークってやつか。

 会話のキャッチボールもないもんな、打ちっぱなしだもんな。


「わ、わあい、トンカツだあ! たななん、お菓子も買っていい?」


「ったく仕方ないな文月は。1人300円までだぞ」


 状況を飲み込めない、と言うか飲み込みたくないみんなの中で、文月さんが真っ先に正気を取り戻して大七矢さんのテンションに合わせていた。

 けど、すぐに大七矢さん以外のみんなが私の元に駆け寄って来て小声で問い詰める。


「おい心菜、大七矢に何言ったんだ、あいつおかしいくらいテンション高いぞ」


「あ、七宝さん、えーと、ちょっと料理を参考にしたいから一緒に何か作ろうと……」


「地獄を見たいのか心菜! 血迷ったか心菜! 正気なのか心菜ア!」


「うるさっ、声が大きいですってば七宝さん」


 うおおおと咆哮する七宝さんに肩を捕まれ激しく揺さぶられる。

 やめてください、酔います。


「心菜ちゃん、悪い事は言わないからやめときな? ね? 命大事に、だよ?」


 うるうるした目で見上げてくる文月さんに、再び罪悪感が蘇る。

 そんな顔で見つめられたら何もしてなくても悪い事した気になってきますよ。

 そんな文月さんの肩をポンと叩く良緑さん。


「おい文月、本音は?」


「おい心菜余計なことしてんじゃねえぞ、1人でカタ付けろよな」


「ヒィ!? 文月さん!?」


「どうかした?」


 なんだろう、一瞬文月さんが別人みたいに見えた気がする。

 けどほんとに一瞬だったし、すぐにいつもの文月さんに戻ってたし、なんだったんだ今のめっちゃ怖かった。


「あー……心菜ちゃん、この案件は流石のお兄さんでも手に余るっていうか……できる限りの事はしてみるけどね」


 ユウヤ、完全に目が泳いでるよ。

 そんなにやばかったのか。

 食べたんだな、大七矢さんの料理を。


 そんな中で神夜さんだけが違う角度の話題を振ってきた。


「凄いな心菜、あの大七矢が一瞬で上機嫌になった。これからは頼んだぞ」


「やめてください神夜さん……私にはもう何もできません……」


 この人の無邪気さが1番心にくるんだよね。

 そんなに期待しないでください、私の残基はもうゼロです。


「そう言うなら神夜さん、いつもどうやって大七矢さんの機嫌を直しているのか教えて貰えませんか? もう同じ轍は踏みませんので」


「え? えーと、部屋に閉じこもった大七矢に、好きな食べ物を作って持って行ってるな。部屋の中に入れてくれないからドアの前に置いているんだけど、しばらくするとちゃんと完食してあるんだ。ただ、料理を持っていった時はすごく悲しそうな顔をしているけどな……『お前、ほんとそういうとこだぞ』って」


 それは、


「神夜の作る料理は大七矢とは大違い! Delicious! なんだぞ!」


 七宝さん、一言余計ですよ。

 つまり、それって、


「絶対、大七矢は料理出来ない自分への当てつけだと思ってるよな……」


「だよね……」


 どうした? と首を傾げる神夜さんと七宝さん。

 私とユウヤは2人納得してまた小さく溜息をつくのだった。


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