#03 Lunaway


 心臓が釣り上げられるような浮遊感もつかの間、私の足裏はすぐに安定した地面に落ち着いた。


「落ち……て、ない……?」


 取り敢えずホッと胸を撫で下ろす。

 高所恐怖症に落ちる感覚は与えちゃダメだ。

 アレルギー並なんだからな。

 高い所に面白半分で連れていくのは万死に値するからな。

 面白がるんじゃないぞ、こっちは生死をさまよってる感覚なんだぞ。

 もう足なんかガックガクで階段とか登るのも降りるのも苦労するんだからな。

 下が見えるタイプの階段、明らかな設計ミスだろ、そんな隙間くらい埋めろよ。


 閑話休題。

 話が逸れた。


「心菜ちゃん、大丈夫? 産まれたての子鹿みたいになってるけど。

 あっ、俺は全然大丈夫だからね! いつまでもそうやってくっついていたっていいんだよ? むしろずっとこのままがいいな、俺的には!」


「一刻も早く距離を置きたいかな、私的には。具体的には5mくらい」


 今立っている場所がただの地面だと理解すると、私はすぐにユウヤから離れた。

 ユウヤは名残惜しそうだったけど、私には変態とくっつく趣味は無いので。



 あれ、ただの地面?


 そうだ、確かに私が今立っている場所は地面の上だ。

 舗装されたアスファルト……と言うよりかは石畳のような硬い地面。


 おかしい。


 私は部屋にいたはず。

 ふかふかとは決して言えない、使い古してくたびれたカーペットの上だったはずだ。


「どこだよここ!」


 ここがどこなのかって事も、周りの人の目を憚るなんて事も自分で考える前に私は、確かに頭に浮かぶ疑問を大声でぶつけていた。


「魔界だよー」


「いや雑っ!」


 私の困惑も大声もまるで気にしてないと言うようにユウヤは軽く口にした。

 まるで今日の夜ご飯のメニューを言うかのように。


 まて、魔界?

 さっきユウヤが説明してた、あの魔界?

 というか、そもそも私たちは部屋に居たはず。

 ここはどう見ても屋外、しかも大勢の人が行き交う街のど真ん中だ。

 確かユウヤがあの変な機械を頭上に掲げて、そして私は……。


「なるほど、あの光で目眩でも起こして気絶したんだなー、私。これは夢か。なるほどなるほど。道理で頭が痛いわけだ」


「心菜ちゃーん、さっき散々俺に現実逃避とか何とか言ってた癖に、秒速で信じられない事から目を背けてるじゃーん?」


「夢の中までユウヤはうるさいなあ。いいから黙ってなさい、私は夢から覚める」


「残念ながら、もしくは幸福にも、これは現実だよ、心菜ちゃん」


「そんな事言って夢の中に引き留めようったって無駄だよー、全くもう、あはははは」


「むしろ心菜ちゃんの方から夢の中に行こうとしてない? こっちが現実だぜ?」


「はは、そんな馬鹿な。ほっぺ引っ張ってあげるから確認してみな」


「いだだだだだだだ、心菜ちゃん! 痛いんだけど!  あ、でもこれも一つの愛のカタチ……? それなら、むしろアリかも……」


「あ、この反応はリアルかも」


 確かにユウヤのほっぺをつねった感触も確かに指先に残っている。

 つねった事で自分の指先が少し痛む感覚もある。

 ユウヤの叫び声で頭が痛いのも、ユウヤの発言に鳥肌が立つのも確かだ。


 つまり、これは夢では無いのか?

 この時期にしては少し暖かく心地いい風が頬を撫でるのも、温まった石畳の温度が靴下越しに伝わってくるのも――周りの視線が痛いのも。


「よし、ユウヤ。これが現実だと認めよう。その上でもう1回聞くね。ここはどこ?」


「魔界だよー」


 少しの諦めと期待を込めた質問に、無慈悲にもさっきと同じ脳天気な答えを返される。


 いや待て、栗栖野心菜。

 諦めるのはまだ早い。

 ここはきっと、魔界という名のテーマパークか何かなんだ。

 ほら見てごらん、空を飛ぶドラゴンなんかすごくリアルで……。


「いや信じられるわけないじゃん! 何だよ魔界って! どこだよ!」


 無理だ。

 どう足掻いてもこの状況を飲み込めない。

 自分を納得させるような答えは見つかりそうにない。


「うん、だからね、心菜ちゃん。ここは魔界なんだよ、信じられないかもしれないけどね。心菜ちゃんが証明してみなって言ったから、俺証明してみたんだよ。これで信じてくれたかな?」


 やめてくれユウヤ。

 そんな子供をあやすような口調で言い聞かせないでくれ。

 虚しくなる。


 でもやっぱり無理だ。

 信じられない。

 いくら現実味のない事だとしても、私には夢だと思わずにはいられなかった。


 落ち着け、私。

 まずは状況を整理しよう。

 車が通っていないにも関わらず、2車線分はありそうな大通り。

 歩行者天国ってやつかな。

 地面はレンガのような石畳で、アスファルト独特の匂いはしない。

 むしろ森の中にいるような、草と土の匂い。

 さっき家に帰って来る時に私に吹き付けていた春の始まりの冷たく強い風は無く、むしろ春が始まった暖かく優しい風が頬を撫でる。

 空は青空。

 清々しいくらいの晴天。


 ――を、我が物顔で行き来する大きな影。


 大きな口にはそれに見合う大きな牙。

 背中にはコウモリを彷彿とさせるゴツゴツとした翼。

 鋭い鉤爪。

 ギョロっとこちらを見るビー玉みたいな瞳。

 大木のような角。

 太陽の光を反射してキラキラと光る、体表を覆う鱗。


 簡単に説明するなら、物語に出てくるようなドラゴン。

 そう言うのが手っ取り早いだろう。


 その背に跨る人影も見える。

 逆光でよく見えないが、恐らく人だ。

 周りを見渡す。髪色も瞳の色もそれぞれ違う、派手な人達。


 その人達と目が合う。

 誰かも知らない人と目を合わすのは気まずい。

 慌てて目を逸らす。

 目を逸らした先にいた人とも目が合う。

 目を逸らす。

 別の人と目が合う。


「……めちゃくちゃ見られてない?」


「そうだねえ、見られてるねえ」


 周りの道行く人達は、私たちを驚いたように見ていた。

 すごく注目されてる。


 まあ、確かにちょっと大声を出してしまった。

 少し注目されても仕方が無いと思う。

 だが、そういう場合、すぐに「関わらないでおこう」と目を逸らし去って行くはずだ。

 それなのに、ずっと周りの人達は私とユウヤを注視していた。


「あ、あのー……お騒がせしてすみません、何でもないですよー……」


 弁解とも言い訳とも取れない、目立ち慣れてないか細い声は人々のざわめきに溶けて消える。


「ちょっと、ユウヤ!」


 これ以上目立つまいと声を抑え、隣に立つユウヤにしか聞こえないくらいの声量で話しかける。


「どうしたの、心菜ちゃん!」


「声が大きい!」


 駄目だった。

 つい声を大にしてしまった。


「ユウヤ、何かめちゃくちゃ注目されてない? てか囲まれてない? 何、私何かしたかな?」


 今度は声を荒らげないように心を落ち着かせながら、もう一度話しかける。

 次はユウヤも私の考えを汲んでくれたのか、同じようなヒソヒソ声で答える。


「うん。間違いなく注目されてるね。無理もないよ、こんなに人が多いところで異世界人が大声出してるんだからね。

 例えるならあれだ、俺たち、今、ツチノコみたいな感じ!」


「えっ、何それ希少価値高くない? 高級じゃん?」


「高級、高級、超高級。出すとこ出せば大金が手に入るレベル」


「なるほどなるほど、それはガン見してしまうね」


「でしょ?  俺もガン見して捕まえちゃう」


「捕まえちゃうねー……」


 捕まえちゃうだろうねー……。


「やばくない?」


「あっはっはー! 大丈夫! おにーさんにまっかせなさーい!」


 キラキラ笑顔で胸を叩いては噎せてる従兄に不安しか感じない。


「げほ……まあ、何はともあれ、こういう時はあれだよね」


「何?」


「逃げるしかないよね!」


 と、突然ユウヤはまた私を抱き寄せ、今度は抱き上げ米俵みたいに担いで、あっという間に集団から走って抜け出した。


「うわぁぁぁぁ!! ユウヤ! 下ろして! だから私高い所無理なんだって!」


「そうは言ってもこの状況でそんな事気にしてられないってば! ……あ、お姫様抱っこの方がナイト感強いし、そっちの方が良かった?」


「それならこっちの方がいい! ……いや良くないけど!」


 地面しか見えないかユウヤの顔しか見えないのなら、断然前者を取るかな!


 そう冗談を言いながらも、ユウヤは人を担いでいるとは思えないスピードでぐんぐんと集団から離れていく。

 ユウヤは研究大好き人間で自室に1日篭っていることもあるのに、私とは違って運動もできる。

 本人曰く「実験に使う大きい器具とか運ぶのに筋肉もいるからね、なんか自然と体力は付いたよ」らしい。

 羨ましい、憎い事この上ない。

 これが文武両道ってやつか。


 ちなみに、ユウヤは理系のように見えるが文系の成績もいい。

 そして運動もそれなりにできる。

 所謂、文武両道ってやつだ。

 その上、容姿もそれなりに整っている。

 私に対する言動は残念だけど……。

 黙ってればイケメンってやつなのだろう。

 つまり、文武両道才色兼備ってやつだ。

 そしてさらに、誰にでも優しく、人当たりもいい。

 まあ、それは従妹としては誇りに思う事が無い訳でもない。

 運動も勉強も出来て、それを鼻に掛けない。

 困っている人には手を貸し、だからといって面白味のない人間って訳でもなく、年相応に友達と冗談を言い合ったりもする。


 周りからの評判は完璧な好青年なのである。

 だから時々女の子からユウヤを紹介してくれと頼まれる事もある。

 ユウヤの残念な部分が周りにばれて私も同列に扱われるのも嫌なので断っているが、ユウヤからは

「心菜ちゃんは、俺が他の人に取られるのが嫌なんだよねー!」

 とあらぬ誤解を受けている。

 やめて欲しい。


 また話しが逸れた。

 つまるところ、ユウヤ凄い。


「まあ、これもいつまで持つか分からないけどね」


 ユウヤが私越しに後ろをチラッと見た。

 それにつられて私も視線を背後に向ける。


 なんということでしょう。

 さっきの野次馬の一部が私たちを追いかけてきているではありませんか。


「何で!?」


「だからさっき言ってたじゃん。魔界では俺らはツチノコみたいなもの。すっごく珍しい。出すとこ出せば大金が手に入る」


「だからってほぼ姿形同じ生き物をこんなに追いかける?」


「追いかけるんだなー、これが」


 捕まって出すとこ出されたら解剖とかホルマリン漬けとか剥製とかなるんじゃないの?

 もしくは実験動物的扱いとか受けちゃうんじゃないの?


「どうしようユウヤ……」


 今頼れるのはユウヤしかいない。

 でもそのユウヤも段々と息が荒くなってきている。

 私を担ぎながら全力疾走なんてやっぱり無理があるんだ。


「取り敢えず、一旦撒くしかないね。次の門真がって最初の路地に飛び込むからそのつもりで!」


「う、うん! わかった!」


 いつ振り回されても大丈夫なように、ユウヤにしがみつく。

 そして体が遠心力で外側に飛ばされそうになる感覚に襲われた。

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