#07 キラキラ
足の側面に体重がかかる。
もちろん、その状態では体を支えられない訳で、当然のようにバランスを崩す。
大七矢さんに腕を掴まれたまま。
やばい、転ける。
何とか耐えようと、目に付いた机に掴まる。
だが、表面に敷かれていたテーブルクロスを掴んだだけで、それをずるずると引っ張りながら更に体は傾く。
思わず、ぎゅっと目を瞑る。
「うわっ!」
大七矢さん、ごめんなさい。
でも捕まるわけにはいかないんです。
大きな物音がして、何かが床に落ちる音がした。
沢山のものが落ちて、割れるような音もする。
今日で何回目の転倒だろう。
段々と痛みに慣れてきたような、逆に段々と痛みが蓄積されていって痛むような。
尻もちを付いたが、咄嗟に手を着いたので頭はぶつけなかった。
そう言えば、胸の辺りに何か暖かいものがあるな。なんだろう。
私は恐る恐る目を開けた。
「いってえな……」
ひえ。
自分の顔から血の気が引くのがわかった。
大七矢さんを巻き込んで転んだだけでなく、私は彼を抱きとめていた。
彼は私よりも背が低く、なんともピッタリなフィット感だ。
そう、まるでテディベアのように。
て、そんな事思ってる場合じゃない。
「す、すみませ、」
「あ?」
大七矢さんと目が合う。
彼は突然起こった一連の出来事にまだ頭が追いついていないらしく、眉をひそめている。
こうして見ると、この人も可愛い顔立ちをしているな。
彼がいくつなのか分からないけど、態度に比べてまだ幼さが残る顔。
くりくりとした大きな瞳に長いまつ毛、柔らかそうな頬。
小学生かな。
ちょっと生意気で背伸びしている小学生に見えて、こんな状態だけど少しほっこりしてしまう。
けど、彼の顔が赤くなっていくのと同時に現実に返される。
「な、なんで」
何か言いたそうだけど、怒りのあまりか言葉が紡げていない。
顔を真っ赤にしてパクパクと口を動かしている。
私もどうすればいいのか分からない。
人って、本当に困惑したら固まってしまうんだね。
今日でよく分かったよ。
「大きい音がしたけど大丈夫か?」
と、大きな七宝さんの声がした。
その声に弾かれるように私と大七矢さんは距離を取る。
それとほぼ同時に、みんながゾロゾロと部屋に入ってくる。
「ここここ心菜ちゃん! 大丈夫!? 怪我してない!?」
ユウヤが誰よりも青い顔をしてこっちに来ようとするが、それを神夜さんが止める。
「ユウヤ、心配なのは分かるがちょっと待て。今箒を……」
が、ユウヤは止まらなかった。
多分さっき私が転んだ時に何かの液体が入ったものを落として割ってしまったのだろう。
その液体を踏んで滑ったのか、ユウヤはそのまま正面の棚に激突した。
置いてあった沢山の瓶を巻き添えにして。
「あー! それは貴重な魔力増幅剤なのに!」
大七矢さんの悲痛な声も虚しく、それらは私とユウヤに向かって、中身をぶちまけながら落ちてくる。
瓶自体は体に当たってもそんなに痛くなかった。
だが、その瓶が地面に当たった瞬間、ぱちぱちと弾けるように割れる。
中身は細かい砂のような物で、落ちた勢いでそれは盛大に舞い上がった。
まるで霧のようにも思えるそれが視界を塗りつぶして、呼吸する度に気管に絡みつく。
喉が焼けるように痛い。
目にも入ったのか、洗い流そうとする涙が止まらない。
目の中で小さな光が弾けては消える。
体全体が熱を持つ。
けれど、それは病熱と言うよりもむしろ心地よい温もりで。
「心菜ちゃん! ごめんね、大丈夫? 怪我してない?」
すぐ近くでユウヤの泣きそうな声が聞こえる。
こんな事で泣くなんてみっともないぞ。
「大丈夫、ちょっと粉が目の中に入ったくらいで」
「俺もだー、涙が止まんない」
そう言えばユウヤのメガネは割れたままだった。
いつもなら少しのゴミはメガネが防いでくれると喜んでいるが、さすがにこれは防げなかったか。
そりゃ、肩に積もるくらいの量は無理だよね。
「2人とも大丈夫かい? あ、ガラスの破片が落ちてるかもだからあまり動くんじゃないぞ」
七宝さん、意外としっかりしてるんだな。
見た目はチャラそうと言うか、元気いっぱい! みたいな感じなのに。
逃げようと思っていたことも、もう頭の片隅に追いやられていた。
砂埃が晴れる。
みんなの顔が見えた。
心配そうにこちらを見ている。
だが、目が合った瞬間、それぞれの動きが止まる。
そんなメデューサに会ったみたいにならなくても。
誰がメデューサだよ。
不思議に思い、ユウヤの声がした方を見る。
そこにユウヤはいなかった。
いや、ユウヤなのかもしれない。
確かに薄汚れた白衣やその他服装、顔立ちはユウヤそのものなのだ。
何年も見てきたから、さすがに顔は嫌という程覚えている。
だが、目が、髪が変なのだ。
元々ユウヤは少し色素が薄めだが、今の姿はもうその域を超えていた。
髪はガラス窓から差し込む陽の光を反射してキラキラと光っている。
目を見張るほどの銀髪。
シルバーアッシュ、というやつだろうか。
毛先は光が透けて煌めいている。
瞳の色も日本人特有の黒ではなかった。
幼い頃作ったべっこう飴。
上手く出来たそれを部屋の明かりに透かして見た。
そんな色。
「ユウ、ヤ」
「心菜ちゃん?」
ユウヤと思しきその人物もまた、私を見て目を見開いている。
誰もがぽかんと口を開けて固まる中、真っ先に冷静に戻ったのは神夜さんだった。
「2人とも、取り敢えず言いたい事とかはあるだろうけど、気をつけてその場から移動して。ガラスが散乱してるから」
確かに、棚に飾ってあった小瓶は殆ど床に落ちて原型を留めていない。
さっき大七矢さんの口から「貴重な」と聞こえた気がする。
それが床に積もるほど落ちているのだ。
これはやってしまったか?
弁償って流れか?
こんなにしてしまって逃げる訳にはいかない。
流石にそれは罪悪感で潰されてしまう。
私は観念して、ガラス片に気を付けながらゆっくりと立ち上がった。
そして誰もが無言のまま、さっき目を覚ました部屋に通される。
誰に促された訳でもなく、みんなが大きなダイニングテーブルに着く。
空気が重い。
長方形の短い辺の席、いわゆるお誕生日席に着いた七宝さんが両手を顎の下で組んで肘をついているのは、ネタとしてやっているのか本気でやっているのか分からないからつっこめない。
沈黙を破ったのは、文月さんだった。
「あー、僕もうこの空気耐えられない! もういいよね」
大きく伸びをして机に突っ伏す彼に続き、良緑さんも大きく欠伸をした。
「俺ももう無理ー。疲れた」
「あれ、みんな秘密結社っぽく集まってたから急にごっこ遊びでも始まったのかと思ってた。遊ぶ気満々だったのにな」
七宝さん、やっぱり貴方遊んでたんですね。
ケロッと明るい顔になり笑う3人につられて、流石に緊張していたユウヤの顔も綻んだ。
あんまり気にしてないみたい。
よかった、と思い目線を動かすと、そこには仁王のような顔をする2人がいた。
神夜さんと大七矢さんだ。
緩んだ気持ちが一気に引き締まる。
慌てて背筋を伸ばすが、他のみんなは気にしていない様子だ。
「さてと、まず何から言おうかね……心菜、質問はあるかい?」
「へ、私?」
「そうだともさ! まず気になる事はなんだい?」
突然話を振られて焦る私を、七宝さんはただキラキラとした目で見つめていた。
そんな期待するような顔されてもろくな事思いつかないですよ。
それより今は険悪な雰囲気の2人の方が気になるのですが。
とは言えず、まず最初に戸惑った出来事を口にする。
「えっと、横にいるこの銀髪の人はユウヤ……なんですよね?」
「そうだよ! 飛鳥ユウヤ、年齢16歳、趣味心菜ちゃん特技心菜ちゃん好きなこと心菜ちゃんの、愛すべき心菜ちゃんの従兄だよ!」
「気持ち悪い! 好きなことはともかく趣味特技が人ってどういうことなのさ! でもその気持ち悪さは確実にユウヤだよありがとう!」
「仲良しだな!」
はっはっはと快活に笑う七宝さんはとても楽しそうだ。
取り敢えず、この人がユウヤだと言うことはわかった。
「てか、そっちも心菜ちゃんだよね? いや心菜ちゃんだとは分かってるんだよ? この俺が愛する心菜ちゃんを間違うはずはないからね。けど、だとしたらその目と髪は? すっごく似合ってるね」
と、不思議な事を口にするユウヤ。
ユウヤはともかく、私には変わったところはない。
何を言っているんだ、と私は自分自身の体を改めて見下ろす。
違う。
私じゃない。
いや、この体は確実に私のはずなんだ。
服も変わってないし、体型も変わってない。
なのに髪が違う。
元々肩くらいまで伸ばしていた黒髪は、腰に届くかというくらいの水色の髪になっていた。
特に手入れもしてなくて、ここまで伸ばしたら絶対ばさばさになるであろう髪は綺麗に纏まっていて、まるで水を流したかのように滑らかに輝いていた。
そう言えば、瞬きする度に視界を掠める睫毛も、水色のフィルターをかけたように見える。
「何これ!」
あまりの事に信じられなくて、思わず立ち上がってしまう。
その動きに乗って、長い髪はさらりと揺れた。
凄い。
私の髪じゃないみたい。
シャンプーのCMで見るような、潤いのある髪。
あの髪をなびかせて歩く姿が憧れだった。
嬉しくなって、つい、くるっとターンしてしまう。
制服のスカートが広がるのと同じように、私の髪はふわりと軽やかになびいた。
その姿を見ていたユウヤが目をキラキラさせて拍手しているのが見えた。
「可愛い! お姫様みたい!」
いつもなら「何言ってるんだ」と思うユウヤの言葉も、今は気にならなかった。
「よし、気に入ってるみたいだし説明に入ろうか! 良緑、鏡をここに!」
満足そうに頷いた七宝さんは、演技かかった動作で2回手を叩いた。
「はいよー」
その華麗な動きとは真逆の、ゆっくりとしたやる気のなさそうな動きで良緑さんはキャスターの着いた姿見をゴロゴロと持ってきた。
途中で面倒くさくなったのか、中途半端な位置で姿見を引くのを止め、私たちを手招きする。
ユウヤと共に姿見の近くまで行くと、良緑さんがニヤリと笑って鏡の面をこちらに向けた。
「ほい、新しい自分とごたいめーん」
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