#15 溢れる


「すみません、それ、1枚貰えません?」


 頭上から降り注いだ声に、反射的に顔を上げる。

 そこに居たのは、いつもの人懐っこそうな笑顔の七宝さんだった。


「あ……あの、えっと」


 私が答えられないでいると、七宝さんは私の顔の前で人差し指を立てた。


「No、Noだぞ心菜、Nothing! そんな顔じゃビックリしてしまうだろう」


「す、すみませ」


 慌てて、いつの間にか目の端に滲んでいた涙を拭う。

 恥ずかしい、申し訳ない、悔しい。

 こんな事で泣いてしまうなんて。


「Hmm……そうだな。まずはRelax! だよな」


「え?」


 まあそれはそうなんだけど、どうすればいいのかと顔を上げる。


「ショートコント、大七矢の皿洗い」


 何か急に始まった。


「はー、やっぱり食後には紅茶だな。さて、食器でも洗うか……ってAuchi! どうしよう、ティーカップを割ってしまったぞ」


 大七矢さんの真似なのだろうか。

 完全に口調は七宝さんなのだが。


 そして七宝さんは、おもむろに地面にそっとチラシを置く。


「大丈夫ですか、ティーカップのお嬢さん……って、別に心配なんてしてないからな! お前の為なんかじゃねーから!」


「ふっ」


 大袈裟な動作に思わず吹き出してしまう。

 全然大七矢さんに似てないとか、どこがショートコントなのかとか、色々とツッコミ所はあるけれども。


「なんですかそれ、全然似てないですよ」


「そうか? まあどんな時でもポジティブなオレには堅物な大七矢の真似なんか出来ないか!」


 あははと笑い飛ばす七宝さんに釣られて笑ってしまう。


「よし! じゃあ一緒にチラシ配り再開だぞ! ほらほら、サボってたら怒られてしまうからな!」


「え、待って」


「No problem。さ、行くぞ!」


 そう言って走り出した七宝さんに手を引かれ、まだ見慣れない街に繰り出していく。

 優しく、でもしっかりと握られた手に小っ恥ずかしさも感じるけれど、何よりさっきの不安を消し飛ばすような温もりを感じた。


「Hello,World! オレたちは『7色のお店』だ!」


 広場の真ん中で、七宝さんは声高らかに宣言する。

 通行人の視線はもう気にならなかった。


「オレたちはただの雑貨屋ではなーい! この世界のみんなを幸せにするお店だ! 困った事があったらオレたちに言ってくれ! すぐに駆けつけて力になるぞ!」


「って、そんな事するなんて初耳なんですけど!?」


「うん、今思いついたからな。でも店長のオレが思いついた素晴らしーい提案だ、いいだろ?」


「パワハラですか!?」


 けど、まあそれもいいかもしれない。この人の純粋な笑顔を見てたら何だか反対する気も無くなってしまう。

 通行人達もコントじみたやり取りをする私たちを笑顔で見守っていた。


「なーに勝手に業務内容増やしてんだよ、ったく……」


「でも人助けも面白そうだねえ。たななん、やってみようよ」


「おーおー、七宝と心菜目立ってんじゃーん。宣伝効果抜群のうるささだもんなー」


「まあ心菜ちゃんの美貌は街ゆく人々の目も奪ってしまうからね! さすが心菜ちゃん! きゃわいい!」


「みんな1箇所に集まったら効率悪くないか? いや、でも目立つからいいのか……?」


 そうこうしているうちにみんなも集まってくる。

 より賑やかになった私たちを囲む人々も増えていく。

 その場にいるみんなが笑顔になっていく。


 と、私たちと同じか少し年上くらいの女の子たちがおずおずと私たちに近づいてくる。


「すみません」


「あ、はい、何です?」


 わいわいと盛り上がるみんなを横目に、私は彼女たちに向き直る。

 その子たちは少し躊躇した後、


「チラシ、ください!」


「え……私?」


 まさか私からチラシを貰ってくれる人がいるなんて。

 でも、本当に私でいいの?

 他に顔のいい男子たちがいるけど、いいのかな?


 ちらりと七宝さんの方を盗み見ると、すごく嬉しそうな顔で頷いている。


「わ、私でよければ」


「ありがとうございます!」


 その子たちは花が咲くような笑顔でチラシを受け取り、大きくお辞儀をして去って行った。


 なんだこれ。

 なんだこれ。

 すごく、嬉しい。


「ありがとうございます!」


 その背中に向かって、思わず私も大きくお辞儀をする。


 振り絞った声が届いたのか、彼女たちは振り返り、大きく手を振った。


「し、七宝さん、これ」


 彼女達の姿が見えなくなったと同時に、私は勢いよく七宝さんの方を振り向いた。

 頬が痛いくらいに口角が上がり、口は震える。

 胸いっぱいに息を吸い、肺が膨らむ。


「ああ、よくやった。そして、よかったな、心菜!」


 そんな私に、七宝さんは今までで1番の笑顔で親指を立てた。


「はい!」


 それに私も親指を立てて返す。

 表情筋がこれでもかというくらい動き、私は、恐らく、自分に出来る1番の笑顔をしていたと思う。


「さ、この調子でどんどん配っていくぞー!」


「おー!」


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