#09 機会


 大七矢さんの、真っ直ぐ伸ばされた腕、そして、人差し指を目で追う。

 その先にはさっき盛大にすっ転んだ部屋。

 もうそれだけで大七矢さんの今の感情がわかる。

 それはきっと怒りだろう。

 片付けろ、なんて事してくれた。

 もしくは弁償しろ、とか。


「あの粉、すっげー貴重な物なんだけど」


「ごめんなさい」


 その圧力に耐え切れず、思わず後ずさる。

 そんな空気をものともしないのが、七宝さんだった。


「まあまあ、レディに怪我が無くて良かったじゃないか!」


 ね、と私の方にウインクを投げる。

 キラリ、という効果音が聞こえそうな程底抜けに明るい七宝さんの発言に、若干場の空気が緩む。

 いや、元から場の空気はそんなに張り詰めていないのかもしれない。

 私が1人、緊張しているだけなのかも。


「そーそ。それにあの粉が貴重な物って言ったって、誰も店に来ないんじゃ意味ねーじゃんかー」


 いつの間にか着席していた良緑さんがまた机に突っ伏す。

 この人は軟体動物か何かなのかってぐらい、ずっと脱力してるな。


 そう言えば、ずっと聞き流していたけど、もしさっきの部屋がお店であの粉が商品なら、本当に弁償とかの話になってくる。

 いや、そうじゃなくても弁償の場合もあるけど。

 珍しいとも言ってたし、相当価値のあるものなのでは。

 だったら売上に大きく響いてしまうだろう。


「だ、誰も来ないんじゃない! たまたまちょっと今は売上が下がる時期ってだけで」


 今まで眉間に皺を寄せていた大七矢さんが、良緑さんの言葉に図星を突かれたのか、急に狼狽え始める。

 だが、そこに良緑さんによる無慈悲な追撃。


「文月、今まで来た客、覚えてる?」


「えっとお、僕がここに来る前はわかんないけどお……冷やかしが2人に道を聞きに来た人が2人。後1人はこの当たりを徘徊してたおじいちゃんがトイレ借りに来たね。無事警察に保護された後家族の元に戻れたようで、よかったよかった、だねえ」


「つまり、まともに客は来てない! という事なんだなー。文月がここに来たのも1年くらい前なんだろ? 一体いつまで閑散期なんだよってんだよー。これじゃ閉店してるのと変わんねーよー」


 この人は人を煽るのが好きなのだろうか。

 また大袈裟に頬に手を当ててわざとらしく困った顔をしている。


 そう言えば、さっきの部屋は少し見た感じだと埃が積もっていたような。

 かなり長い間触られてないんだろうな。


「そりゃ、お客さん来ても意味無いんじゃ」


「うるせえよ!」


 思わず口をついた言葉に、噛み付くように身を乗り出す大七矢さん。

 今のはまずかった。

 火に油とはまさにこの事なんだな。

 大七矢さんは苦虫を噛み潰したような顔をして着席すると、腕を組んで落ち着こうと、ゆっくり話し出す。


「大体なあ、百歩譲って、店が、繁盛してない……のだとする。あくまでも仮定の話だ。現実とは別だ」


「それ現実逃避ってやつじゃ」


 そこにボソリと神夜さんの無慈悲な言葉。

 痛い所を突かれた、と言うような難しい顔をして大七矢さんは黙ってしまった。


「……神夜お前酷いこと言うな」


 ユウヤ、さっき君が私にしたのと同じ事だぞ。

 人の事言えないぞ。


「ともかく! もしそうだとしても、そうだとしたら余計に、赤字でカツカツなのに、更に赤字を増やすような行為はどうかと思う! 責任取れるのか、ああん?」


 ひえっ、取り立て屋みたいな事言うじゃん。

 罪悪感で私は更に縮こまる。


「す、すみません、何でもするので」


「お? 何でもって言った?」


 絞り出すような私の声に、嬉しそうに良緑さんが反応する。

 すごく嫌な事を企んでいるような笑顔で。

 ニターと、まるでチェシャ猫のような笑顔を浮かべて。

 そして、オススメの商品を紹介するかのようなイキイキとしたテンションに変わる。


「じゃあ、これからはー」


 良緑さんが何か言おうとする前に、素早くユウヤが言葉を遮った。


「おっと、良緑。そこまでにしてもらおう」


「なんだよユウヤ、そんなに従妹が大切かー?」


 揶揄うような良緑さんの様子にも、常日頃から恥ずかしい発言をしているユウヤには怯まない。


「当たり前じゃん。心菜ちゃん、愛してるよ」


「こっちに流れ弾飛ばさないで貰えますかね」


 真顔でそんな事言うんじゃありません。

 誤解を産むでしょうが。

 今実際に、神夜さんが「そういう関係だったのか」みたいな顔でこっち見てるし。

 勘違いしないで欲しい、そうじゃない。


「ともかく、心菜ちゃんは純粋なんだ。教育上宜しくないことを吹き込まないでくれるかな」


「えー、俺まだ何も言ってないー。なー、文月、言いがかりだよなー?」


「うーん、りょーみんはあんまり健全じゃないと思う」


「なんでさ」


「雰囲気」


「酷っ。七宝ー、お前はどう思う?」


「流石に初対面のレディにそれはどうかと思う」


「嘘っ、俺の人望無さすぎ?」


 コントのような会話のテンポについていけない。

 頭にはてなマークを浮かべていると、神夜さんがこっちを見て「お前はそれでいい」という風に頷いていた。

 何でこの人喋ろうとしないんだろう。

 大七矢さんは大七矢さんで、話題が逸れたことに不愉快とでも言うような顔をしているし。


「ま、でも大七矢もそこまで怒らなくてもいいだろ? 女の子には優しくしなきゃ」


「はあ? そんなの知るか。男女平等だ」


 七宝さんが呆れたように言うが大七矢さんは気に留めない。

 どうやったらこの状況から助かるんだ。

 庇ってくれた七宝さんを頼ろう。

 そう思い目線で訴えかけるが、全くわかってないのか決めポーズとウインクを返された。

 違う、そうじゃない。


「あの、ちなみにさっき割ってしまった分の金額とか、どのくらいになりますかね……あんまりお金持ってないですけど、家に帰ってかき集めてきますので。あ、ユウヤはもしもの時の為に置いていきますので」


「そんなメロスみたいな事しなくても」


 良い案だと思ったんだけど、神夜さんに引き気味につっこまれた。


「心菜ちゃん、俺、信じて待ってるよ。例え心菜ちゃんが途中で諦めてしまいそうになるってわかってても、王様が涙して許してくれるのを待つよ」


「誰が王様だ。許さんぞ」


 駄目だ、大七矢王様は許してくれそうにない。


「あ、ちなみにこちらが被害総額でーす」


 いつの間に書いていたのか、良緑さんに渡された紙には、請求書の文字とゼロがいくつもついた数字。

 ぱっと見ただけじゃいくらになるのか分からない。

 理解したくないのもあるけど。

 勝手な事するなと言わんばかりに、すぐにその紙は大七矢さんに取り上げられたのだが、その後の彼の反応が「あながち間違ってない金額だ」と言うようなものだったので、冷や汗が吹き出す。


「そもそも、お金自体払えるような状況じゃないんだよね」


 まるで他人事かのようにユウヤはあっけらかんと言い放つ。


「お前なあ、加害者がそんな堂々と逃げられると思ってんのかよ」


「いやー、そうじゃないんだよね。むしろ逃げたくても逃げられない状況と言うか」


 大七矢さんに睨まれてもなお、ユウヤの笑顔は変わらない。

 むしろ悪びれもなく笑ってられるユウヤを羨ましくすら思う。


「これ、なーんだ」


 そう言ってユウヤがポケットから取り出したのは、見覚えのあるガラクタ。


「そのガラクタ、拾ってたの?」


「だからガラクタじゃなくて、俺の発明品である魔界に行く機械だよ。いや、本当に行く気かい! 機械だけにね! てね!」


 寒いぞ。


 誰に反応されなくてもユウヤは気にしてない。

 淡々と頼んでいない説明を始める。


「これは人間界と魔界を繋ぐパスを発見し、そこにこの機械の周辺1m以内を繋ぐことで、お互いの世界を行き来する事を可能にした機械で」


「ほう、詳しく」


 珍しく、と言ってもまだ出会って少しなんだけど、今までの険しい顔はどこへやら。

 大七矢さんが目を少しキラキラさせて食いついた。

 その様子にユウヤはご満悦だ。


「分かる生徒も居るじゃないか。まず、このアンテナ部分で空中に存在する、とある種類の微々たる電磁波をキャッチするところから始まって、あとは電子が」


「なんだ科学か。ならいいや」


 相変わらずよく分からない説明を始めたユウヤだが、話を聞くなり大七矢さんは思ってたのと違う、とでも言うように軽くあしらった。


「興味示してくれたのに何でだよ!」


「俺は科学じゃなくて魔術系オカルト専門なの」


「俺だって科学を踏まえた上で分からない事にロマンを見出すオカルトなの!」


 大七矢さんもオカルトマニアなのか。

 道理で不可思議な話になった途端顔色が変わったはずだ。

 けどそんなオカルトマニア達の言い争いは傍から見ればどっちも同じものにしか思えない。

 オカルトにも色々あるんだなあ。


「で、ユウヤは結局何を言いたいのさ」


 要領を得ないと言うか、着地地点が分からなくなってきた話に、とうとうたまらなくなって私は言った。

 するとユウヤは「そうだった」と目線を掌の上のガラクタに移す。


「えー、ゴホン。この状況を分かりやすく表す言葉があります」


「それはなんですかー」


 先生のようにかしこまって胸を張るユウヤのテンションに乗ってくれているのか、良緑さんはゆるゆると手を挙げて言う。


「あー、その、ね」


「何だよ早く言えよ」


 いざ言うとなると急にどもり出すユウヤに痺れを切らす大七矢さん。

 その指は落ち着きなく机を叩いている。

 急かされて決心を決めたように、ユウヤは大きく息を吸い、そして吐く。


「はい、機械が、壊れました」


「……は」


 呆れて声も出ないとはこういう事を言うのだろうか。

 いや、今は呆れるよりも、まず状況が飲み込めない。

 はあ、と語尾が上がるはずだった言葉も、1音目で詰まってしまう。

 機械が、壊れた。

 つまりどういう事だ。

 分かっている答えを押し退けるように、別の考えを捻り出そうとする頭だが、それも虚しく思考停止寸前だ。


「つまり」


「帰れない、って事だね」


 流石のユウヤも今回ばかりは顔が引き攣っている。

 そして他のみんなも。

 

「て事は、弁償出来ないってのか」


「本当に弁償させるつもりだったのか」


 声を震わせる大七矢さんの隣で、更に驚いたと言うように七宝さんが呟く。

 その声で私も正気に戻る。


「ちょっと待ってよ、帰れないって、じゃあ私達どうすれば」


「うーん、どうしよう……」


「やっぱりノープランだよね知ってた!」


「流石の俺でも帰れなくなった時の事は想定してないよ」


 それもそうだ。

 いや、でもそんな壊れやすそうな小さい機械なんだから、想定していてもいいじゃないか。


 やめよう。今更何を思ったって変わらない。


「あー……じゃあ魔法薬分の金額はパーか……金をドブに捨てるようなもんだぞ……」


「すみません……」


 天を仰ぐ大七矢さんに返す言葉もない。

 商品を壊した挙句、弁償の目処も立たない。

 しかも経営は上手くいってない。

 そりゃあ怒るよね。


 それもだけど、帰れないという事を1番にどうにかしないといけない。

 帰れないとなると、これからどうすればいいんだ。

 こんな見知らぬ、しかも自分達を襲ってくるような人が沢山いる土地で。


「たななんはお金が欲しい。心菜ちゃん達は帰れない。どうしたもんかねえ」


 うーん、と手を頬に添えて可愛らしく首を捻る文月さん。

 このポーズをして自然に可愛いと思えるのは、本当に限られた人だけじゃなかろうか。


「おい、人を守銭奴みたいに言うな。そういうのは良緑みたいなやつの事を言うんだ」


「まー、人の事を守銭奴みたいに」


「本当の事だろうが」


 その場にいる全員が黙り込む中、七宝さんは何かに気が付いたと言うように、急に表情を明るくする。


「なんだ、そんな簡単な事で悩んでたのか!」


 簡単な事なのか?

 周りが訝しげに七宝さんを見るも、当の本人はそうかそうか、としきりに納得したとでも言うように頷いている。


「なんだよバカ七宝、何か天才的な思い付きでもしましたかー?」


「うん!」


 私でもわかるくらい皮肉たっぷりな大七矢さんの言葉に無邪気に笑顔で答える七宝さん。

 分かってないのか、あえてスルーしているのか。


「オレが考えた天才的、ヒーロー的、平和的解決方法はなー……」


 暫し、沈黙。

 時が止まったみたいに誰も動かない。

 ただ、みんなが七宝さんの方を向いたまま。

 けれどすぐに辛抱出来なくなった大七矢さんが声を荒らげる。


「んだよ早く言えよバカ!」


「あっはっはー、注目されてる状況が非常に気持ちよくてな!」


 スッキリしたと言わんばかりに親指を立ててグッドサイン。

 誰とも無しに、ため息をつくのが聞こえる。


「まあまあ、待たせてすまないな! でもヒーローは遅れてやってくるってもんだろ? ちょっとぐらい待てなきゃ、助けてやれないぞ?」


 それはすみませんでした。

 でも何か間違ってる気もする。


「で、何を思いついたんだ?」


「よくぞ聞いてくれました!」


「いや、ずっと聞いてるんだよな」


 神夜さん、わかるよ、その気持ち。

 みんなに呆れられつつも、七宝さんは声高らかに宣言する。


「ユウヤも心菜も、うちで働けばいいじゃないか!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る