『魔女は花の少女の夢を見る』

 私は、数千年ぶりの夢を見た。

 弱い私の後悔の証。

 今も抱える過去の懺悔ゆめ

 そして、……。


 そこは豪奢ごうしゃなピラミッドも奴隷もいない、真っ白な世界。

 私以外のものが何一つ存在しない、孤独な世界。

 私の心の中を現したようなその世界に、


「エッセッレ、久しぶり」


 突然、柔らかな声が響く。

 その心地よさには、確かに覚えがある。

 私は、胸が締め付けられるような感覚と一緒に振り向いた。

 一体なんで今更彼女が出てきたのか。

 褐色の肌に黒い髪、澄んだ空のように青い瞳が、私の情けない顔を映している。

 そこには最後に見た時と変わらない、あどけない笑みを浮かべた親友ランタナが立っていた。


「……久しぶり、ランタナ」


 絞りだした声が震える。

 目の前にいる彼女の姿がじわりとにじむ。


「どうしたの? エッセッレ、今日元気ないね」


 心配そうな顔で、ランタナが私の顔を覗き込む。

 夢の中とはいえ、親友との再会はもちろん嬉しい。

 けれどそれ以上に、罪悪感と後悔が込み上げてくるのだ。


「大丈夫よ。……ちょっと疲れてるだけだから」

「そう? ならいいんだけど……」


 ランタナが小さく首を傾げる。


「ていうか、エッセッレってそんなに大人っぽかったっけ?」


 その言葉に、彼女の最期が脳裏に蘇った。

 綺麗な瞳は冷たく濁り、褐色の肌は赤い血に染まっている。

 抱き上げた彼女の体は冷たくて、いつもの元気な声は、もう二度と聞こえない。

 その絶望をもう一度飲み込んで、私は口を開いた。


「最後に会ってからこれだけ時間が経ってれば当然でしょ」


 私とランタナが死に別れたのは8000年も前のこと。

 もちろん、今目の前にいるランタナは私の記憶の欠片でしかない。

 だから8000年という時間が経ったことも、彼女自信が死んでいる事すらも、知っているわけがないのだ。

 本当の彼女は私自信が弔って、魂の円環へと返したのだから。


「そっかぁ。……でも、私の中ではやっぱり人見知りで怖がりのエッセッレだからさ。あんまり抱え込んじゃダメだよ」


 私の言葉を気にした様子もなく、ランタナは笑う。

 私の手を初めて引いてくれた、あの日のような優しい眼差しで。

 変わらないその姿に、張り詰めていた糸は緩み始めて。


「別に何も抱え込んで何かないわよ。ていうか怖がりじゃないし! 私強いし!」


 子どものように頬を膨らます。

 こんなとこ、彼女以外には見せられたものじゃない。


「ふふ。人見知りは否定しないんだ」


 懐かしさから気が緩んだエッセッレを見て、ランタナも頬を緩める。

 何千年と時が経とうとも、二人の関係性は変わらない。

 臆病で人見知りな魔女は、彼女を外へ連れ出した人間の少女には敵わないのだ。


「……別にいいじゃない。人見知りでも」


 そして、そんな人間は彼女一人だけでいい。

 あの心臓を握られるような苦しさをもう一度味わうくらいなら、特別なんて作らなければいい。


「うん。人見知りなのは悪いことじゃないよ。それもエッセッレの可愛いとこだし」

「なっ……!」


 私の反応を楽しみながら、ランタナは続ける。


「でも、困った時に頼れる人くらいは居た方が良いんじゃない?」

「頼れる人……」


 ランタナが死んでから、ずっと一人でエジプトを見守り続けてきた。

 永い時間の中で人間と過ごしたこともあったが、それはあくまで祀られる存在としてだ。

 現代に至るまでのエジプト神話を作り上げた私にはもう、ランタナのような友人はいない。

 不意にランタナが私を優しく抱きしめた。


「ほら、抱え込んでたじゃない。……そんな苦しそうな顔してまで一人で頑張る必要ないんだよ」


 ランタナの肌のぬくもりに、そして何より、もう二度と聞くことはできないと思っていた親友の優し気な声とその言葉に、私の頬を温かい雫が伝う。


「いいんだよ。エッセッレが一人で頑張らなくたって」


 ランタナが私の頭をそっと撫でる。


「……それでも、まだエッセッレが頑張りたいって言うなら」


 それは、まるで私たちが初めて出会った時を再現するように。

 見るだけで心の奥に熱が灯る、花の咲いたような笑顔を浮かべて、ランタナが私の目をまっすぐ見つめる。


「私と一緒に世界を見に行こう! 砂漠の果ても、ナイル川の向こう側も、全部」


 彼女はあの時と同じ言葉を口にして、いたずらっぽく口の端を上げた。

 外に出る事を、人と関わることを恐れていた私を外へ連れ出した彼女は、死してなお、この小さな背中を押す。

 そんな親友の姿に、エッセッレの頬も緩んで、


「そんなに遠くに行ったら、パパとママに怒られちゃうわよ」


 自分達の過去を台本にした演劇に興じるのだった。


 私は、数千年ぶりの夢を見た。

 ナイル川を渡り、疲れ果てるまで砂漠の終わりを探した少女時代。

 今は遠き過去の記憶ゆめ

 そして、その隣でいつも笑っていた、親友の夢を……。

 

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