『ある魔法使いの幸せ』
「ウルヴァス! 大変だ、起きろ!」
やっと白み始めた空を急かすように、緑髪の魔女は気持ちよさそうな寝息を立てる銀髪の男を揺らす。
「ん……、どうした、テトラ?」
何事かと目をこすり、あくびを噛み殺す彼の目をまっすぐ見つめてテトラは言う。
「腹が減った!」
ウルヴァスは至極真面目なテトラの顔をぼんやりと眺めて、5秒……10秒…………30秒………………
「おやすみ」
「なっ!? 寝るなって! ゴハン作れ!」
「あぁ分かったよ! 分かったから揺らすのやめろ!」
先ほど以上に揺らされて、ウルヴァスは諦めて布団から這い出した。
ここまでされては、いくら百戦錬磨の魔法使いである彼とはいえど、ゆっくり休むことなどできはしない。
そんな彼に、テトラは目を輝かせる。
「やったー! あれ食いたい! えっと、……ローストビーフ!」
「朝からあんな面倒くせぇ料理作るわけねぇだろ……。大体お前もそろそろ料理くらい覚えろよ」
ウルヴァスが寝起きなことなどお構いなしに手間のかかる料理を注文するテトラに、ウルヴァスは思わず視線を湿らせる。
「ええぇ、オレが作るよりウルヴァスのメシの方が美味いじゃん!」
ウルヴァスの湿度の高い視線を気にした風もなく、テトラはとても良い笑顔を浮かべてそう言った。
そんな彼女に、ウルヴァスは満更でもなさそうな顔で寝癖だらけの髪を掻く。
「で、ローストビ――」
「作らねぇ」
注文を却下されて笑顔のまま固まるテトラの前を横切って、ウルヴァスはキッチンへ向かった。
調理台の前に立つと、ウルヴァスは慣れた手付きで作業を始める。
朝食のメニューはシンプルに、フレンチトースト・スクランブルエッグ、空腹のテトラにはウィンナーとベーコンも追加で焼く。
「おお! 美味そうな匂いだ!」
テトラはウルヴァスの肩に顎を乗せて、ジュウジュウと小気味良い音を立てるフライパンをのぞき込んだ。
「危ないから座って待ってろ」
その言葉に素直に従って席に着いたテトラに、家に住み着いた妖精達が紅茶を淹れる。
「お、ありがとな」
テトラの笑顔を見て、妖精達は嬉しそうに彼女の周りを飛ぶ。
淹れたての紅茶を舐めながらテトラが妖精達と戯れていると、
「ほら、飯出来たぞ」
白い湯気を立てながら、テーブルの上に料理が並んだ。
ごくありふれたいつも通りの朝食を、テトラはまるで宝箱の中身のように見つめる。
「そんなに見てると冷めるぞ」
「今食べる! いただきます!」
しっかりと手を合わせて、テトラはフォークとナイフを器用に使って次々と料理を口に運んでいく。
口に入った料理を咀嚼しては「美味い」と溢す様は子どもの様で、ウルヴァスはそれを頬杖をついて眺めていた。
「んぐ……なんだよ、これはオレのだぞ」
「取らねえよ、ゆっくり食ってろ」
「ん」
ウルヴァスはテトラと過ごすこの穏やかな朝に、不思議な温かさを感じていた。
もちろん、腹が減ったという理由で叩き起こされるのは大変不服ではあるが……。
それでも、数えるのも億劫になるほどの時間を生きてなお、この時間が永遠に続けばいいと思うほどの幸せを、彼は静かに、胸の奥で感じていた。
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