『探偵たちのプロローグ』
「よくやるよな」
スクールバスの窓側の席を占拠した友人、須黒海斗が窓の外を眺めて溢す。
「何がだ?」
珍しい物でも見つけたのかと俺も窓に顔を寄せると、海斗は鬱陶しそうに顔をしかめた。
窓の外には見慣れた茜色の街並みしかない。
「お前だよ」
俺の顔を押し返しながら、海斗は続ける。
「バイトで学費稼いでまで大学来るとか、そういうの俺だったら無理」
確かに、日頃から講義もサボりがちなこいつには俺の気持ちなんて分からないだろう。
「煽ってんのか?」
「素直に尊敬してんだよ。……っていうか最近仮面はがれてきたぞ、お前」
「俺は元々こんなだよ」
湿度の高い目を向ける海斗に言葉を返して、俺は顔を背けた。
母さんが死んでからの4年間、そもそも人付き合いが浅かったせいで、どんな風に他人と話していたかなんて覚えていない。
それでもずかずかと人の内面に踏み込んでくるこいつには、これくらいの対応で間違っていないはずだ。
「まあ、なんだ。……普段から頑張ってるお前に飯でも奢ってやろうと思ってな」
気まずくなったのか、海斗がぼそぼそと言う。
「悪い。今日は夜勤なんだ」
「……また増やしたのか?」
「最近は野菜も高くてな」
どれだけシフトを増やしても、学費を払うことを考えたら無駄遣いもできない。
暗く沈んでいきそうになる思考をため息で追い出すと同時に、バスのエンジン音が止まった。
お決まりのアナウンスが流れて、学生たちがぞろぞろと降車を始める。
一通り後ろの列が降りきったところで、俺達も席を立った。
バスを降りると、目の前を桜の花びらが流れて行く。
何気なくその行き先を目で追って、俺は思わず顔をしかめた。
ショッピングモールの外壁の前に、見知った顔がいたからだ。
思わずため息がこぼれた。
それは決して目の前に立つ少女の美貌ゆえでは無い。
「お久しぶりです、幽さん」
夕陽に輝く白髪をなびかせて、小柄な少女がそう言った。
「麗薇……」
できることなら、二度と会いたくは無かった。
そう心の内で溢しつつも、彼女が変わりない声で自分の前に立っていることに安堵したのも事実だ。
この少女との記憶はたった1つ。
そしてそれは、俺が最も思い出したくない記憶だ。
「今さら何の用だ」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないですか。私はただ、幽さんのお母様との約束を守りに来ただけですよ」
麗薇の言葉が耳に届いた瞬間、母の顔が脳裏に浮かぶ。
あの日、痛みを押し隠すように笑いながら俺を見つめるその目には、悲しみが浮かんでいた。
「……帰ってくれ」
俺が言うと、麗薇はこれ見よがしにため息を吐いた。
「そうやって、また逃げるんですか?」
「……うるさい」
「あの時はまだ仕方ないと思います。私も幽さんも、どうにかする力なんてなかったんですから」
俺の声など聞こえてはいないかのように、麗薇は続ける。
「でも今なら、私は幽さんの力になれます。……だから、幽さんも私に力を貸してください」
それまでの飄々とした話し方とは違う。
縋るような声だった。
あの日、大切な人を失ったのは俺だけじゃない。
「幽さんの《耳》と私の《目》があれば、あの事件の真相だって――」
麗薇が言い切る前に、誰かが俺の肩を叩いた。
「幽、どうした? バイト遅れるぞ」
バスから降りてきた海斗の声を聞いて、麗薇も言葉を止める。
海斗もそれを見て駅に足を向けた。
「ああ、そうだな」
海斗に答えて麗薇を振り返ると、彼女は力が抜けたように俯いている。
「悪いな。俺は今の生活に満足してるんだ」
麗薇にそう告げた瞬間、何故か胸がチクリと痛んだ。
その痛みには気付かないフリをして、俺は麗薇に背を向ける。
「幽さん……」
寂しげな声に、胸が詰まった。
「お前も、もう忘れろよ。……麗薇」
「っ……!」
あるき出そうとした俺の足が、不意に止まる。
麗薇にかけた言葉を悔いたからではない。
彼女を憐れに思ったからでもない。
後ろから襟を掴まれて、思いっきり首が絞まったせいだった。
バランスを崩して尻もちをつく。
「れ、麗薇……何、すんだ」
えずいて涙目になりながら、自分よりも小さな少女を見上げた。
「…………それは、こっちの台詞です!」
叫ぶ彼女の目元にも、涙が滲んでいる。
ずっと口元に浮かんでいた笑みも消え去って、今目の前にあるその顔が、4年前から変わらない彼女の本心なんだと気づいた。
「麗薇……」
「忘れるなんて、できるわけないじゃないですか!」
崩れていく。
「夜寝るときも、朝起きるときも、他の何をしていたって! あの日のことを忘れるなんてできない!」
それまで彼女が必死に作り上げてきた、『夜光麗薇』という仮面が、崩れていく。
「私は、もっとお父様やお母様と生きたかった! もっと、……もっと私のことを見てほしかった!」
今、世間体も気にせず泣きじゃくるこの少女こそが、彼女の素顔なんだ。
「あの時のことを忘れたら、あなたのお母様との約束を忘れたら、……もう私には何も残らない!」
その激情は、これまで彼女が並べたどんな言葉よりも俺の胸を抉った。
「麗薇……俺は……」
どんな言葉をかけてやればいいんだろう。
ずっとあの日から目を背けてきた俺が、あの日と向き合い続けている麗薇に、何を言えば。
『幽、私やっぱり、あなたの笑顔が好きだわ』
それは、どれだけ忘れようとしてもできなかった、最悪の記憶。
その中で、ただ1つ忘れたく無かった、母の声。
「俺は、あの事件の真相にも復讐にも興味はない」
そんなもので、俺は笑えない。
麗薇の肩が小さく震えた。
「それでも、……もしあの日の真相を知ることでお前の涙が止まるなら」
地面に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。
「その重荷の半分くらいは、俺が一緒に背負ってやる」
麗薇が涙に濡れた顔で俺を見上げた。
彼女の頭を、そっと撫でる。
「それでもまだ心の穴が塞がらないなら、……俺が一緒に生きてやる」
こいつが今抱えてる傷を分かってやれるのは、きっと俺だけだろうから。
「幽さん…………ありがとう、ございます」
弱弱しい声でそう溢した麗薇をそっと抱きしめて、静かに頷く。
そうして訪れた静寂に離すタイミングを失っていると、麗薇がゆっくりと口を開いた。
「幽さん。あの事件を追うにあたって、私から1つ提案があります」
涙を拭った麗薇が、俺の目をまっすぐ見てそう言った。
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