『あなたのための魔法学教本』

『星を見上げるパイ』

 ウルヴァスは窓際に置いた安楽椅子に座って、昨日買ったばかりの本を読んでいる。

 しかし、なぜか彼は同じページを開いたまま、読み進める気配が無い。

 ……10秒、20秒、刻々と時計は時間を刻んでいく。

 そうしてもう指折り数えるのも面倒になってきた頃。


「はぁ……」


 ウルヴァスは小さくため息を吐いて、膝に乗せた本をパタリと閉じ、頭を抱えた。


「あぁ…………あいつ、どうするかねぇ」


 彼の悩みの種は、冷蔵庫に眠るパイだった。

 パイと言っても、リンゴやレモンのようなごく一般的に食べられる美味しいパイではなく、大量のニシンがぶっ刺さった奇妙なパイである。

 しかも焼かれて白くなったニシンの目は料理名の通り星を見上げており、その視界には星の下にいるウルヴァスももちろん入るのだ。


「……不気味過ぎるだろ。まあ土産にケチ付けるのも野暮だが、コンキレヲの奴は毎回こればっかだからな……」


 イギリスに住む牛頭のオマニはなぜかこのパイがお気に入りらしく、客が来る度にこれを土産に持たせている。

 ウルヴァスとてこれを渡してくるのがヤコヴであったなら悪態を添えて突き返すのだが、コンキレヲに対してはそんな気は起きず、毎回律儀に貰って帰っていた。

 そうして毎回処分に困るまでが恒例行事だ。


「はぁ……仕方ねぇ。貰ったもんはちゃんと食うか」


 次に行った時は断ろうと密かに誓いを立てて、ウルヴァスは冷蔵庫からパイを取り出した。

 そこに刺さったニシン達の白い目に見つめられながら、彼は器用にパイを切る。


「やぁ、ウルヴァスちゃん! 遊びに来たよ!」


 それはウルヴァスがパイを切り終えるのと同時だった。

 明るい声を響かせ、満面の笑みを浮かべながら、ヤコヴがリビングを歩いてくる。


「おうヤコヴ。よく来たな」


 いつもなら文句と一緒に魔法の一発でもぶつけるところだが、今日はそういう訳にはいかない。


「ちょうどパイを切ったとこだ。お前も食ってけ」

「どしたのウルヴァスちゃん? 今日はやけに歓迎してくれるじゃん。変なもん食べた?」

「お前失礼過ぎるだろ……」


 相変わらずのヤコヴの態度に、ウルヴァスも取り繕うのがバカバカしくなった。


「ま、せっかくのお誘いだし、頂いていこうかな」

「食ってけ食ってけ。なんなら全部食ってもいいぞ」


 そう言いながら、ウルヴァスはヤコヴの前に切り分けたパイを置く。

 

「……なるほど」


 そう溢して、ヤコブはパイと見つめ合う。

 その顔からは先ほどまで浮かんでいた笑顔の影すら感じられない。


「コンキレヲちゃんのとこに行ってたのね……」

「ああ」

「それでお土産を貰ってきたと……」

「そうだ」


 そしてまた沈黙。ヤコヴは笑顔を作り、しかし額には汗を浮かべながらウルヴァスを見た。


「…………あっ! ごめんねウルヴァスちゃん! 今日はウチの店の買い出しでこっちに来てたんだった! こんなとこで油売ってる時間無いから俺行くね!」


 早口でそうまくし立てて逃げようとするヤコヴの襟を、ウルヴァスがしっかりと掴む。


「……ヤコヴ」

「……な、何かなウルヴァスちゃん?」

「今日、魔法屋は定休日だ」


 ……この後、パイを食べた二人が仲良く口直しの食べ歩きに出かけたことは言うまでもない。

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