『オズワルドは笑わない』
私の街には、オズワルド邸という
そこに住むのは幽霊だとか殺人鬼だとか、……はたまた魔女だとかどれも眉唾ものの噂ばかりだ。
「おいマリア、お前あの屋敷の中見て来いよ」
「お前が無事に帰ってこれたら、もういじめるのやめてやるよ」
馬鹿みたいに騒いでいるこいつらは、私のクラスメイトだ。
クラスメイト、とは言っても決して友人ではない。
こいつらのせいで私は、学校の中に友人と言えるような人が誰もいないのだ。
「わかった。そこまで言うなら行ってあげる。……ただし、あの屋敷を見てきたらもう二度と私に関わらないで」
「ふん、どうせお前みたいなチビには元々興味ねぇんだよ。どうせなら屋敷に住む幽霊にでも襲われりゃあ話のネタになるんだけどな」
「魔女の生贄にされるかもよ」
勝手なことを……っ!
今すぐにでもぶん殴ってやりたかったが、そんなことをしても事態が好転しないのは今の私の状況からも明らかだ。
どうもこの自由の国は、平等な国ではないらしい。
「今すぐ行ってくるから! そこどいて!」
「マリアはやっぱ怖いねぇ」
ニヤニヤと不快な目を私に向けながら、彼らは門の両端によけた。
「ま、せいぜい頑張れよ」
啖呵を切った手前、今さら引き返すわけにもいかない。
私は二人を背に、オズワルド邸へと歩き出す。
重厚な玄関ドアに飾られたライオンをかたどったドアノッカーは、そんな私を嘲笑っているように見えた。
オズワルド邸に入り、まず目に付いたのはごく普通のエントランス。
奥にはリビングルームが広がっていて、今も人が住んでいるようだ。
しかし不思議なのは、これだけ手入れが行き届いているのに、屋敷の中からは人の気配が少しもしない。
「だ、誰かいませんか?」
恐る恐る出した私の声が、広い屋敷にこだまする。
それでも、何の反応も返ってこない。
私はそれが妙に不気味に感じて、思わず
クラスメイトに強がってはいても、所詮私はまだ15歳の小娘なのだ。
もし殺人鬼や幽霊や魔女なんかに襲われたら、どうしていいのか分からない。
ドアノブに手をかけ、回そうとしたところで、その先に待っているであろう大嫌いな二つのにやけ顔が頭に浮かぶ。
『はは! なんだよその顔!』
『さすがのマリア様でもオズワルド邸は怖かったですかー?』
そんな高笑いの幻聴を振り払って、私はもう一度オズワルド邸に向き合った。
やはり、おかしなところなど何もない。
きっと家主がたまたま外出していて、その留守中に入り込んでしまっただけなのだ。
なら帰ってきた家主に出くわして面倒事になる前に屋敷を一周してしまおう。
「そうだ。がんばれマリア」
私は自分を奮い立たせて、屋敷の真ん中に堂々と作られた階段を登った。
2階にあったのは沢山の本が置かれた書斎。
窓際に置かれた安楽椅子は揺れていて、明らかに先ほどまで誰かが居たことを物語っている。
「う、嘘でしょ。……まさかほんとに幽霊?」
私は慌てて部屋を出ようと振り返った。
その後ろで、今までは一切感じなかった人の気配が膨れ上がるように現れた。
「……誰だ?」
短く響いたその声は、幼さを孕んだ女性の声。
ただの問いかけにも関わらず、その声を聞いた瞬間、私の体は自由を奪われた。
まるで魔法でもかけられたみたいだ。
「……マ、マリア・ハミルトンです」
やっとの思いで名前を絞り出す。
それをかみしめるように、私の後ろに立つ誰かはしばらく沈黙し、
「で、なんのようだ?」
少なくともこの人は快楽殺人者ではないらしい。
もしそうなら、今頃私は息をしていないだろう。
「クラスメイトに、この家を見てきたらいじめをやめてくれるって言われて」
「なんだ、お前いじめられてるのか?」
可愛らしい声とは裏腹に、何ともぶっきらぼうな口調だ。
「……はい。でも、ここから帰ればそれも終わりです」
「終わらないぞ?」
本に書いてある事実を述べるかのように、その人は言う。
その言いようはさすがに頭に来て、文句の一つでも言ってやろうと、私は勢いよく振り返った。
そしてすぐ近くにいる家主を睨む。
「わっ! 急に振り返るなよ! びっくりするなぁ」
そう言いながら驚いた顔を浮かべているのは、私とほとんど背丈の変わらない緑色の少女だ。
仮装趣味なのか、頭には黒い角、そいて腰からは同じ色のしっぽが伸びている。
「え、あ……ごめんなさい?」
そんな彼女に毒気を抜かれて、私は思わず謝ってしまった。
「って! ごめんなさいじゃないです。なんで私が謝ってるんですか。大体あなた誰なんですか? 人が頑張ってるのに水差すような事ばっかり言って!」
今まで抑え込んでいたものが胸の奥から湧き上がってきて、一気にあふれだす。
「ああもう悪かったって、別にオレもいじめたくて言ってるわけじゃないんだからそんなに怒るなよ。……っていうか、ここオレの家だぞ」
早口で言った私に、彼女はめんどくさそうに手を振った。
「オレはドロシー。ドロシー・ホワイト・オズワルド。しがない物書きだよ」
そう簡潔に名乗って、オズワルドさんは続ける。
「たしかに言い方が悪かったかもしれないけど、いじめが終わらないのは本当だぞ」
「え?」
「お前にちょっかいかけてるバカどもって、さっきまでウチの前にいた二人だろ」
さっきまで、という言葉に引っ掛かりながらも、私は小さくうなずいた。
「あいつらもうとっくに帰ってるぞ」
後ろの窓を指さしながら、彼女が言う。
驚いて窓に駆け寄ると、門の横にいたはずの二人は、もう影も形もなくなっていた。
「どうせお前が戻ろうが戻るまいが何も変える気なんてなかったんだよ」
「なんで……」
うなだれる私の肩に、小さな手がポンと触れた。
「人間なんてそんなもんだよ。あんまり期待しすぎんな」
その言葉に、今まで張りつめていた心の糸が、スッと切れたのが分かった。
「大体、殺人鬼が住むだの幽霊屋敷だの噂されてるこの家に一人で入ってくるんだから、お前は十分勇気がある。他のやつばっか見てないで、もっと自分のことを見てやれよ」
物書きだと名乗った彼女の言葉は、なるほど、説得力が違う。
普段からそれだけ人を観察しているからだろうか。
年なんて私とほとんど変わらないように見えるのに、妙に落ち着いているところも、かっこよく見える。
「……オズワルドさん、またここに来てもいいですか?」
目の端からこぼれそうになる涙をすくって、私は聞いた。
初めて私を肯定してくれた彼女の事を、もっと知りたいと思ったから。
「ああ、お前一人ならいつでも歓迎だ」
そんな穏やかな声で言う彼女の顔は、どこか寂しそうで。
「ありがとうございます! それじゃあ、また明日!」
いつか、この人が心の底から楽しそうに笑うところを見てみたいと思った。
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