『妹の食器で納豆を練るべからず』

 今日は義兄あにもすでに起きているらしい。空っぽのベッドに少しだけ寂しさを感じながら、麗薇は階段を降りる。

 階段横のガラス窓から差す光が麗薇を包み、彼女の物憂げな顔も相まって、さながら宗教画のような美しさだ。


「おう、麗薇。おはよ」


 一階まで降りると、リビングから義兄の声が聞こえてきた。


「おはようございます、お兄様」


 麗薇も挨拶を返しながら、リビングへと足を踏み入れた。

 瞬間、彼女の動きがピタリと止まる。

 そんな妹を見ながら、幽は先ほどまでと変わらぬ様子で納豆を混ぜる。


「……どうした?」

「どうした? じゃありません! なんで私のお気に入りの食器にそんな物入れてるんですか! 納豆くらい紙コップか何かで混ぜればいいでしょう!」


 言いながら、麗薇は幽の手に収まっている高級食器を指差した。

 それは白を基調として和を感じさせるブルーの花柄があしらわれた湯呑であった。

 麗薇のお気に入りの食器メーカーが数量限定で販売し、公式ネットでなんとか購入したその食器を、あろうことか幽は納豆を練るために使っているのだ。

 もちろん幽に悪意など一切なく、ただ納豆が混ぜられればそれこそ紙コップでも良かったのだが、たまたま最初に目に付いたのがこの食器だったのだ。

 とはいえ、ここまで義妹の正論には返す言葉があるはずも無く。


「……すまん」


 そう言ってしゅんと肩を落とす幽に、


「…………お兄様、これはわざとでは無いのですね?」


 深呼吸をして自分を落ち着かせながら、麗薇がゆっくりと訊ねる。

 幽がそれに小さく頷いたのを見て、麗薇はため息を吐いた。


「でしたら、これ以上諫めるような真似はしません。……ただし、次はありませんから、お兄様も気を付けてくださいね」

「ああ。肝に銘じておく」


 幽の返事を聞いて、麗薇は軽く微笑む。

 そしてゆっくりと歩いて幽の対面に座り、彼の手にある食器を眺めた。

 高級食器の中に入った1パック30円の茶色い発酵食品は、何度見ても頭が痛くなるほどミスマッチだ。


「ところでお兄様?」

「……どうした?」

「先日隣街にできた洋菓子店のケーキ、ずっと気になってるんです」


 先ほどまでとなんら変わらない笑顔をうかべたまま、麗薇は幽を見つめる。


「……今?」

「今です」


 表情にこそ可愛らしい笑みを浮かべているが、その声音からさすがの幽も義妹の胸の内を察した。


「……買ってきます」

「ありがとうございます、お兄様。最近はこの辺りも何かと物騒ですし、気を付けてくださいね」

「……ありがとう。じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 幽は重い足取りで家を後にしながら、麗薇の食器には二度と触るまいと固く決意するのであった。

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