05_密かな楽しみ

 家族との関係を断ちきった僕は、半獣たちに、なんとか仲間として認めてもらうことができた。ただ、完全に仲間と認められた訳ではなく、これから信頼を築いていく必要がある。新しい生活は、たった今、ゼロから始まったばかりなのだから。


「ところで、小僧の名前は鬼山と言ったか?」


 象男ファントムが、僕の名前を聞いてきた。


「そういえば、まだ、みなさんにはちゃんと自己紹介してませんでしたね。僕は、鬼山聖といいます。日本人です」


 僕が、日本人と聞くと、半獣たちは、少し驚いた様子を見せた。


「なんと、まさか、日本人だとはな。言われて見れば、顔立ちは日本人だ」


 イギリスに来て、何年か経っていて、自分が日本人であると言う自覚が薄れてはいるが、僕は、両親が二人とも日本人なので、生粋の日本人だ。周りにも、それほど日本人がいる訳ではないので、珍しがられるのも無理のない話だった。


「ええ、親の都合で日本からこのイギリスに来たんです。最初は、馴染めなかったのですが、最近は、さすがにだいぶ慣れてきたところだったんです。でも、今回のような出来事が起きてしまって、何もかもが変わってしまいました」


「なるほどな。まあ、半獣になったことは起こってしまったことだと割りきるしかなかろう。悩んでいても、何も変わりやしないのは確かだろうからな」


 象男ファントムが、少し、僕の悲しみに更ける様子を見て、言った。


「あなたが自己紹介をしてくれたし。私たちのほうも自己紹介しないといけないわね」


 蛇女ムグリがそう言って、半獣たちのメンバーを紹介してくれた。半獣のメンバーは、僕を除くと、5人だ。改めて、各メンバーの名前と担当する楽器を聞いた。蛇女ムグリはピアノ、狼男アウルフはヴァイオリン、像男ファントムはトロンボーン、ライオン男ライアンは、ドラムを担当しているらしい。


 前に、彼らの演奏は生で聞いた。とても刺激的で美しい旋律が今でも鮮明に頭の中に残っている。一ヶ月後。ロンドン街のコンサートホールを借りて演奏会があり、人々の前で、演奏を行う予定のようだ。もちろん、獣の姿ではなく、人間の姿でだ。


 そのため、一日中、彼らは、一ヶ月後の演奏に向けて、練習をしている。


 仲間に入ったからには、僕自身何か、彼らに貢献できたらよいのだけれどーー。


 ピアノは、一時期、習い事で弾いたことがあるが、長いこと、弾いていなかった。彼らと共に、いつか、演奏できたなら、きっと楽しいだろう。そんな日を密かに僕は夢見ていた。


「ここの掃除したか?まだ埃が残っているぞ!」


 妄想を抱いていると、狼男アウルフの叫び声が現実に引き戻す。アウルフは、腕組みし、人指し指を動かし、イライラを表現する。彼は、発言は荒々しいが、意外にも潔癖症けっぺきしょうだった。


「あ、はい!?分かりました!」


 僕は、このタイムベルの掃除役に任命された。アウルフは塵一つ許さない徹底てっていぶりだ。隅から隅まで、部屋をきれいにしなければならないので、変に手を抜くことができない。タイムベルは、部屋が広く、すべて掃除しきるまでに今は一日かかってしまう。


 妙な緊張感のもとで、ひたすら、掃除をする日々に、少し仲間入りしたことを後悔してしまった。どうか、この生活に、早く慣れますように。僕は心の中で、そんなことを祈り、最近、生きている。


 時々、家族と過ごした日々や、学校の友達と話し合った日々の思い出が、頭にちらついて、あの時に、戻りたいと思うことがある。そして、二度と、失われた眩しい日常は、戻ってこないという現実を思い出して、胸が苦しくなった。


 そんな苦しみのなか、僕が生きていけるのには、音楽の存在があった。掃除が終わり、彼らの演奏の練習が終わった後、ピアノを弾かせてもらえた。


「あら、なかなかピアノ弾くのうまいじゃない。その調子だと、すぐに、演奏できるかもしれないわね」


 蛇女ムグリは、タイムベルの舞台に上がり、僕のそばに近づいてきた。彼女のとても美しい旋律を耳にしているので、彼女に、褒められるのは嬉しく感じた。とはいっても、彼女の美しく繊細な演奏には、遠く及ばない。


「だといいんですが。ムグリさんのように、ピアノをなかなか弾けません」


 蛇女ムグリは、僕の身体に寄り添って、言った。


「ただ、ピアノをうまく弾けばいいという訳ではないわ。もしあなたが心を揺さぶるような、旋律を奏でたいなら、曲に自分の思いをのせる必要があるの。人の心を揺さぶるのは、人の思いがのったものよ。あなたが、思いを音にしてうまく奏でることができれば、いつか心を揺さぶるような曲が弾けるわ」 


 人の心を揺さぶるのは、人の思いと言う言葉が印象的だった。半獣になった今でも、人の心を揺さぶることができるのだろうか。と、ふとそんなことを思ったが、実際に、ムグリたちの演奏は、僕の心を震わせた。


 彼らの身体は、半獣になっても、心は人間なのだ。だからこそ、人々の心を震わせる曲を奏でることができるのだと思った。


「あら......随分と、楽しそうね。でも、その幸せはいつまで続くのかしら。あなたが絶望のどん底に、落ちるのが楽しみで仕方ないわ」


 今日の仕事が終わり、タイムベルの洗面所で、一人、顔を洗っていると、どこからか女性の声がした。ムグリの声ではない。


 この声は......。


 僕は、洗面所の周辺を、すかさず見渡し確認する。


「どこだ。どこにいる」


(いない......)


 声がするのに、自分を除いて、誰の姿も確認できない。


 確かに、声がした。空耳なんかでは決してない。少女の声。それも、忘れもしない、あの声だ。


 薄暗い洗面所の明かりに、ほのかに照らされながら、佇む。


 ぽちゃ、ぽちゃ、ぽちゃ。


 蛇口から垂れる水滴の音がやたらと響いた。


 僕に語りかけているのは......バエナだ。間違いない。


 途端に、身体が震え、心臓が狂いだし、息が乱れ始める。以前、バエナという少女に、身体を支配され、罪のない女性を襲ってしまったことがあった。あの時は、心に刻まれた旋律のお陰で、なんとか、自制心を保ち、女性を殺すことは回避できた。それでも、脳裏にこびりつき、トラウマになるには十分な惨状だった。


 まただ。僕は、彼女にとらわれている。彼女が、僕の理性をむしばんでいく。


 彼女の束縛から解き放たれてはいない状況に両手で頭を抱え込んだ。


 ふと、違和感を感じて、うつむいた顔を上げて、正面の鏡に映る自分の顔を見た。


「さあ、私と一つになりましょう」

 

 正面の鏡に映るいびつな僕の顔。


 彼女は、僕の顔の半分で不気味な笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。

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