05_反響定位

 この際、一人で逃げてしまおうか......。


 と、頭をよぎったが、やはり、アルバートを見捨てるなんてことはできなかった。


 アルバートが半獣に襲われれば、全身の血を啜られ、先ほど見つけた変死体のような姿になってしまう。想像しただけで、とても恐ろしいし、とても悲しい。きっと、彼をここで見捨てれば、僕は大きな後悔を胸のなかに残すことになる。


「そんなこと言われて、すぐに一人で逃げるようなら、もうすでに逃げてるよ!」


 僕は、そう叫び、再び彼の腕を掴んで、一緒に逃げるよううながした。だが、アルバートは、かたくなに拒み、僕の手を振り払った。


「俺の邪魔をするな!もういい。俺は、俺のやりたいようにさせてもらう。鬼山、お前の意見など聞きたくはない」


 アルバートはそう言うと、周囲に向かって大声で叫んだ。


「いるんだろ、半獣!出てこいよ!」


 アルバートは、近くにいるかも分からない半獣に向かって挑発じみたことを叫んだ。もし、半獣が、近くで僕たちの様子をずっと観察し、命を狙っているのだとしたら、かなり、危険な行為だ。アルバートは、時々、想定外で、大胆な行動に出ることがあった。


 アルバートの声が、響き渡った後も、相変わらず、辺りは、静寂せいじゃくに包まれ、川のせせらぎや、風で、草むらが揺れる音しか聞こえて来なかった。


 ーー油断してはならない。


 先ほどの死体は、暖かみがあった。ほんの少し前まで、半獣が僕たちのいるこの場所付近にいたことは確かだ。いつ、半獣が飛び出て来て、襲われてもおかしくない緊迫した状況下にいる。


 僕が、半獣からアルバートを守らなければ。彼を守れるのは、半獣の力を持つ僕しかいないのだから。


 血。血。血。血。


 一瞬の油断で、簡単に真っ赤に血塗られた状況へと一変してしまう。あっという間に、息の音を止められた後、全身に通う血液を隅から隅まで半獣に啜られ尽くされる。あふれでる唾を飲みこみ、そっとアルバートの方を見た。


 (お腹空いたな......)


 無意識的に、呟いた心の声にやっと理性が追い付く。


 僕は、一体、何を考えてるんだ。


 ダメだ。


 駄目だ。


 だめだ。

 

  ほんのわずかだけれど、友達を、人と見ていなかった。まるで、食料として見てしまっていた。体だけではない。心さえも獣になりつつあった。


 空腹が、理性を貪り、人ならざる道へと駆り立てている。もしかしたら、僕は彼を守るどころか、この手で彼の息の音を止めてしまうかもしれない。


 心が、安定することを忘れてしまっている。


 僕は、深呼吸をし、一旦、荒く波打った精神を落ち着かせた。


 今は、彼を守ることに専念しよう。悩み苦しむことは、後でいつだってできる。


 目を閉じ、物音を聞くことだけに集中した。ほんのわずかな音の変化も見逃さないように聴覚を最大限にまで高める。


 ーーなんだ、この感覚は。


 今までに感じたことのない奇妙な感覚に襲われた。目を閉じていても、物の位置が分かる。周囲の情報が一斉に流れ込んできた。


 音しか聞いていないはずだけれど、どうして分かったのだろうか。色々と考え巡らせているうちに、ある言葉を思い出した。


 ーー反響定位はんきょうていい


 図書館の本に、コウモリやくじらなどの動物は、超音波を発して反響した音から、周りの状況を把握することができると書いてあった。


 目を閉じた状態で周りの状況が、分かったのは、この反響定位のおかげにちがいない。目を瞑り、足を動かした時に、足音で、周りの反響音を聞き取ることができたのだろう。


 僕は、もう一度、足音を立てて、周囲の状況を把握してみた。もしかしたら、半獣の場所を特定できるかもしれない。

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