10_邪悪な存在
いち早く、アルバートを止めたいけれど、まずは、様子を窺おう。
焦って、飛び出しても、話がややこしくなるかもしれない。
胸に手を当て、深呼吸をし、狂ったように鼓動する心臓を落ち着かせた後、長椅子の影から、少しの間、様子を見ることにした。
再び、静まった地下室に、二人の会話が響く。
「あなたに、そんな事情があったとは思わなかったわ。でも、いいの?半獣になれば、人の血を食らって生きなければならないのよ。今までの人間の生活はまず、できなくなるわよ」
蛇女ムグリは、アルバートを心配している風だった。そんな彼女の言葉を聞いてもなお、彼の強靭な意思は、揺らぐことはなかった。
「かまわない。承知の上だ。力が手に入るなら、人間をやめることも厭わない」
蛇女ムグリをまっすぐ見つめるアルバートの目は、憤怒の炎で燃え盛っていた。彼の父親に対する底知れない怒りが、彼を人外の道へと駆り立てている。怒りにとりつかれた彼は、並大抵のことでは、自分の考えを変えることはしないだろう。
「本気で半獣になることを考えているのね、あなた。そこまで言うなら、あなたを半獣にしてあげてもいいわよ」
アルバートの強い執念が蛇女ムグリを突き動かしたのか、半獣にする方に話が進み始めた。
このままでは、本当にアルバートは、人ではなくなってしまう。僕が止めなければならない。今しかない......今しか。
そう思い、僕が、身を隠していた長椅子から立ち上がろうとした時だった。耳をつんざくような叫び声が轟き、僕の身体を静止させた。
「ならぬ!その子供を半獣にさせては!」
突然、大声を上げて叫んだのは、意外にも、舞台裏から出てきたライオン男だった。
ライオン男は、威圧的な鋭い眼光を輝かせ、アルバートを舞台の上から、睨んでいた。
「どういうことだ。俺を、半獣にできない理由があるのか?」
アルバートは、交渉がうまく行く寸前だったところに、ライオン男に口出しされ、かなり苛立ちを感じているようだった。
「お前からは、とてつもない邪悪な気配がする。もしお前が、半獣となれば、大きな災いをもたらすと、私の直感が言っている」
ライオン男は、アルバートに明らかに敵意を示し警戒しているように見えた。アルバートは、ライオン男に負けず、鋭い目付きで、睨み返す。地下空間の空気が一瞬で、淀んで息苦しく感じられるほどの緊迫した状況だ。僕は、固唾を飲んで、彼らの様子を見守る。
「直感だと......。馬鹿馬鹿しい。そんな理由で、俺を半獣にしないというのか?」
アルバートは、自分を邪悪なものとして扱うライオン男に対して、さらに嫌悪感を募らせる。
「ライアンの直感は、本当に当たるのよ」
蛇女ムグリは、アルバートの方に顔を向け、そう一言言った。ムグリの言うライアンとは、ライオン男のことだろう。アルバートは、ムグリの言葉に、何か返答することなく、黙り込む。
「かつて、お前のように、邪悪な気配をする者を半獣にしたことがあった。その結果、どうなったと思う。邪悪な者は、私利私欲のために半獣の力を使い、多くの仲間を裏切り、殺したのだ。二度とそんな悲惨な出来事を繰り返してはならぬのだ!」
ライオン男ライアンの凄まじい威圧感が巨大な塊が勢いよく衝突するかの如く伝わってきた。そのとてつもない威圧感に、長椅子の影に隠れていても、気圧され、腰が抜けそうになる。ライアンと対話するアルバートは、僕よりもずっと、彼の強烈な威圧感をひしひしと身で感じているはずだが、怒りと嫌悪感に支配されたアルバートは、動じている様子はなかった。
「俺も、その邪悪な者と同じように、多くの仲間を、殺すというのか。安心しろ。俺は、そんなことを絶対にしない。保証する」
「私には、お前が、その約束を守る人間にはどうしても見えない......」
「どういうことだ?」
アルバートは、ライオン男ライアンに言うと、彼の代わりに蛇女ムグリが答えた。
「あなた、自分で気づいてないの。今、あなた、まるで悪魔のような顔しているわよ」
ふと、彼らと話すアルバートの顔を見て驚愕した。眼前に映る彼は、僕の知るいつもの優しい彼ではなかった。彼が全く別人と錯覚してしまうほどに狂気に満ちた、まるで悪魔にでも取りつかれたような表情を浮かべていた。
この時初めて、僕は彼を恐ろしく感じた。
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