10_死際に命輝く

 行く宛もなく、僕は、一人さまよった。


(半獣になってしまった今では、人と普通に生活することはもうできない。僕の日常は、完全に狂わされ壊れてしまった)


 人々の社会の外側で、生きていくほかない。少なくとも今は、そういうふうにしか考えることができない心境だった。


 半獣になった、こんな僕を受け入れてくれる人はいるかもしれない。でも、きっと、その人も僕と関わることで危険にさらしてしまう。傷つけてしまう。それは、僕が一番恐れていることだった。


 半獣の僕が近くにいることで、大切な誰かを傷つけてしまうことは、自分の日常が失われるよりも、ずっと辛いことだ。

 

 街中を歩いていると、足を止めた。いつか自転車置き場で、見たことがある不良グループが、いじめていた少年につれられ、路地裏に入っていくのが見えた。不思議なこともあるものだ。まるで、少年と不良グループの立場が入れ替わってしまったかのようだ。それに不良グループの男たちの様子がおかしい。目が虚ろで、心ここにあらずという感じだ。


 僕は気になり、路地裏ろじうらに入る。


 ーーすると、その直後。


 右の頬に、思いっきり、殺意のこもった拳が入り、僕は近くにあったゴミ箱に、倒れ込んだ。地面には、ゴミ箱に入っていたゴミが激しく散乱さんらんする。


(なんだ、いきなり......)


 痛みの走る頬に触れ、顔を上げると、不良グループの男たちが立っていた。その中には、先ほど一緒に入っていた少年の姿はなかった。


 先ほどの拳には、殺意が込められていた。僕に対する憎しみや怒りがふんだんに詰め込まれた一撃だった。この男たちは、先ほどまで、うつろだった目から一転して、憎しみや怒りで血走った目をしている。


「ごめんなさい、先日、あなたたちにとんでもないことをしてしまった」

 

 自転車置き場の件は、いじめられたところを救ったとはいえ、やり過ぎてしまったところがあった。もしかしたら、危うく命を奪っていたかもしれない。


「......」


 僕が、謝罪しても、男たちから何も返事は返ってこない。負の感情にとらわれ、僕の話を聞いていないという様子だ。半獣の顔になった僕を見ても、驚く素振りすら見せない。ただ、僕に対する殺意だけがひしひしと伝わってきた。


(ああ、きっと、これは報いだ。人を傷つけてしまった)


 男たちは、一斉に、襲い掛かってくる。路地裏で、拳の音が狂気の旋律せんりつを奏でるように鳴り響いた。


 ーーー


 僕は、また、行く宛もなく一人さ迷った。


(また、人を傷つけてしまった。今の僕は、生きているだけで、人を傷つけてしまう)


 これから、どう生きればいいのか、全く分からない。


 今まで、人々との関係のなかで生かされてきた。


 多くの人々の支えがあったからこそ、僕はここまで生きてこられたんだ。


 半獣となって、人々と僕の間には両者を明確に二分する線が引かれてしまった。人々の関わりなしで、生きていくところなんて想像できない。


(いっそのこと、このまま......)

 

 ただ、何も考えず足だけを動かしていた。もう、自分がどこに向かって歩いている自分でも分からない。そうして、行き着いた先は、踏切だった。


 踏切が、赤く点灯し、音を立てながら、危険を知らせる。そんなことを気にもせず、僕は、佇んでいた。


 夜の暗闇を照らしながら、電車が線路の上を走って次第に近づいてくる。


 そして、僕の目の前を、電車が通り過ぎようとしたところで、前に進む。


(もう、どうにでもなれ......)


 前に進んだ時、腕を横から掴まれた。優しく力強い声が僕を救った。


「死ぬな、小僧。生きろ。一人じゃない」


 横を振り返ると、人間の姿をした象男ファントムがいた。


 彼が放った言葉は、僕が、今、求めていた言葉だった。


 ただ、生きろって、一人じゃないよって言ってほしかった。誰かに止めて欲しかった。かまってほしかった。


 それだけで、僕の心は救われた。


 思わず涙が頬を伝った。フードの中の顔は、涙で濡れていた。


「ありがとうございます......」


 僕は、自分の命を、救ってくれたファントムに顔をしわくちゃにさせながら頭を下げた。彼が止めてくれなければ、僕は、こうして息をしていなかっただろう。彼は命の恩人だ。感謝してもしきれない。


「行くぞ」


 彼は、一言言った。


「どこにですか」


「タイムベルにだ」


 ファントムは、そう答えると、背中を向け、タイムベルに歩き出した。彼の背中は、たくましく、かっこ良かった。僕は、涙をぬぐい、その背中を追って、ついて行くことにした。


 タイムベルの門の前まで行くと、薄暗い小道を照らしながらランプの明かりが、ゆらゆらとこちらに向かって近づいてきた。


「あら、そんな悲しそうな顔をしてどうしたの?」


 門の向こう側で、蛇女ムグリが、ランプを持ってこちら側を見ていた。僕は、悲しみに沈み頼りない顔を浮かべ言った。


「あなたには、僕は、化け物に見えますか?」


 ランプの光が、血まみれになった顔を照らす。


「いえ、あなたは一人の人間に見えるわ。苦しい目にあったのね。だから、私たちのところに来た」 


「はい」


「生きたくて、新しい居場所を求めて、ここに来たのね」


「はい」


「そう......分かったわ。ここまでよく頑張ったわね。入るといいわ」


 そう言うと、蛇女ムグリは、門を開け、中に入れてくれた。彼女は、僕の苦しみを汲み取って、優しく受け入れてくれた。


 漆黒の空に、光輝く星星を見た。


 今日ほど死にたいと思った日はなかった。だけど、今日ほど生きたいと思った日もなかったーー。

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